氷と花

「素晴らしい気分だ、ミス・バイル。君はどうだい……」
 感情のこもっていない棒読みの返事が返ってくる。ネイサンはパンに手を出し、苛立たしげに引き千切ると切り口にバターを塗った。マージュはなんとか自分を叱咤し、背筋を伸ばす。

「とてもいい気分です。それに、今日はイチヂクのジャムがあるんですよ。わたし、子供の頃からイチヂクが好きなんです。この季節に朝から食べられるなんて思っていなかったから、嬉しいわ」
「それはよかった」

 ネイサンの返事は、ふたたびひどい棒読みだった。
 ああ、この男性は、そもそも人並みの感情というものを持っているのだろうか? いないのだろうか? ここ数日で、マージュはもうネイサンが悪魔のような男ではないことに気がついている。しかし、だからといって天使でないのは確かだった。

「ええ、ありがとうございます」
 にっこりと微笑みながら、マージュは礼を言った。
 ネイサンはパンを咀嚼すると、またコーヒーでそれを飲み下し、素早く椅子から立ち上がった。そして白い絹のナフキンで口元を拭くと、短く「失礼」とだけ言い残し、踵を返して食堂を出ていった。
 普段、毎朝食べているゆで卵が手付かずで残っている。
「いいえ……」
 ささやいたマージュの声が、食堂に虚しく響いた。

 ネイサンはきっと、なにか付け忘れた伝票の存在でも思い出したのだろう。もしくは、早朝の取引か、もしくは、工場の綿織り機の上のほこりを払うとか、そういったことを。
 なんにしても、それらの仕事はネイサン・ウェンストンにとって、マージュとの朝の会話などよりずっと……重要らしかった。
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