氷と花
 ひとりで考え込んでいると、思考はどんどん重く、耐え難いものになってきた。このまま夫に(うと)まれ、使い古された「お(ふる)」を拾ってやったのだと軽蔑され続ける。一生。犯してもいない罪のために。
 悔しくて悲しくて、涙が溢れそうになった。
 それでも、残されたひとかけらの誇りを持って、なんとか下唇を噛み締めて泣くのを我慢していた……その時、屋敷の玄関から誰かが入ってくる物音がした。
 ぼそぼそと話し込むディクソンの声が聞こえる。
 耳を澄ますと、ネイサンがやっと帰ってきたのだと分かった。時計を見るともうすぐ夜の十時だった。

 それでもしばらくのあいだ、マージュはひとりで鏡に映る自分を見つめて、踏みとどまっていた。
 しかし、いくら時計が時を刻んでも、どれだけマージュの心臓が早鐘を打っても、ネイサンはいっこうに二階へ上がってはこない。
 ──我慢するのよ、マージュ。そんな、はしたない話をしたら、それでなくても冷徹な彼になんと思われるか!
 しかし、秒針が時の流れを知らせるチクタクという音が、いつしかマージュの胸ををいたぶるように刺してくる。チクタク、チクタク。チクチク、チクチク。フレドリックの言葉が脳裏にこだました。
 キミハ、ボクニ、クレナカッタ。

 椅子をなぎ倒すような勢いで、マージュは立ち上がった。
 これ以上は我慢できない。これより長く、苦しむのは耐えられない。そもそも、マージュにはもう失うものなどほとんどないのだ……。鏡に映った自分の顔は、見たことがないほど「女」の顔をしている気がした。もう少女ではない。
 薄い灰色の夜用上着だけを寝間着の上に羽織ると、マージュは駆け足で一階へ降りていった。
 これがマージュの運命だというのなら、もう逃げたくはなかった。

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