氷と花

氷の葛藤 〜 "Nathan. Call me Nathan"

 抵抗するべきなのかもしれないのに、マージュはどうしてもそんな気になれず、いつのまにかネイサンの腕に自分のすべてを預けていた。

 ネイサンの手がマージュのうなじを掴み、背筋をなで上げ、自由を奪う代わりに熱いうずきを与えてくる。
 快感がどんなものなのか、マージュはまだ知らない。しかし、もしかしたら、この体の芯がとろけそうな感覚こそが……それなのではないだろうか?

 何度かフレドリックに抱きしめられた経験はあるが、こんな熱は感じなかった。もちろん、フレドリックの抱擁はネイサンのそれとはまったく違ったけれど。もっと気軽で、笑いに溢れていて、優しかった。
 ネイサンの抱擁にはそのどれもがない。
 この抱擁はもっと原始的で、欲望に溢れていて、優しさは微塵も感じない。あるのはマージュを求め、より近くにたぐり寄せたいという切なる渇きだけだ。
 それなのにマージュは、嫌だと思えないどころか、もっとこうしていたいと思っていた。

「マージョリー」
 やっと聞き取れるくらいのかすれた声が、耳をくすぐる。

 マージュはなんとか顔を上げて、ネイサンを見上げようとした。しかし、彼の顔はマージュの左の耳の後ろの髪の中に隠れるように(うず)められていて、はだけた胸元とクラヴァットを外したせいであらわになった喉仏しか見えない。
 ネイサンの香りがした。

 汗の匂い、工場の蒸気と油の名残り、男性用の上質なコロン……。それらがすべて混じって、ネイサン・ウェンストンというひとりの男性を作っている。マージュはなぜかそれをひどく愛しく感じて、両手で彼の背中をぎゅっと抱き返した。
 肩幅の広い背中は、マージュの手を受けてかすかに震える。

 そんなことはありえないと思っていたのに、ネイサンの腕はさらに力を増してマージュを抱き寄せた。夜の屋敷は静かで、先ほどのネイサンの叫び声にもかかわらず、誰かが近寄ってくる気配はない。

 その時ふと、執務机の上にあったランプの炎がジリジリと乾いた音を立てて揺れ、高く上がり先細ったかと思うと、ジュッと鳴って消えた。油が切れてしまったらしかった。
 あたりが完全な暗闇に包まれ、マージュは身を硬くする。

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