氷と花
「あ、あの、明かりが……」
 マージュの不安げなささやきに、ネイサンはやっとすこし体を離した。といっても、彼の両手はマージュの二の腕をきつく掴んで、離さないままだ。それでも急にできたわずかな隙間に、マージュは安心するどころか寂しさを覚えた。

 真夜中な書斎にふたりきり、真っ暗で、見えるものはなにもない。
 ネイサンはしばらく動かず、口を開かなかったが、闇の中にも彼の視線を痛いほど感じた。──彼はなにを考えているのだろう? こんなふうに、視界さえ開けない暗がりの中でマージュを見つめて……彼に得るものはあるのだろうか?

 お互いの深い息遣いだけが、必要以上に大きく響く。
 彼の胸の中に荒れ狂っている熱情の正体を知りたくてたまらないのに、暗闇はマージュに彼の表情をうかがうことを許さなかった。

「この闇の中でなら、君を抱き続けていられる」
 と、ネイサンのひび割れた低い声が沈黙を破った。「明かりなどもう世界から消えてしまえばいい……。このまま闇に沈んで、永遠にこうしていようか」

 ネイサンの右手が、マージュの輪郭の線を探るようにゆっくりと上がってきた。
 最初、彼の手はマージュのあごの形をなぞり、そのまま慎重に唇へ届いた。親指が優しく唇を押し、マージュは本能的にわずかに口を開いて彼の手の動きに(こた)えていた。

 体の奥から湧き上がってくるはじめての情熱に突き動かされ、マージュは舌の先でネイサンの指に触れ……軽く吸いついた。
 ちゅっと生々しい音が漏れると、闇の中でネイサンが息を止めるのが聞こえる。

 暗闇はマージュに不思議な勇気を与えた……。

 この男性ひとにもっと触れて欲しい。触れ合いたい。心の中をのぞいてみたい。この身の純潔を証明したかったはずなのに、マージュはそれとは真逆の欲情に翻弄され、流されそうなになっていた。

「だったら……離さないで。触れてください……わたしに」

 素直にそう、願いを口にしてしまうと、マージュはついに自分がどれだけ寂しかったのかを実感した。
 フレドリックに裏切られてからの痛みと孤独。ウェンストン・ホールに来てからのネイサンとの希薄な関係。そのすべてが、本来ひと好きで明るいマージュの心を残酷に切り刻んでいた。
 それが、ネイサンに触れられると、ゆっくり癒されていくような優しい(しび)れを感じる……。
「触って」
 どこを、とは言わなかったのに、ネイサンの腕はすぐに反応した。

 片手で上着越しに背中をまさぐられ、寝間着があらわになった胸元にもう片方の手が触れる。今度はマージュが息を止める番だった。

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