氷と花
 ネイサンはもうすぐマージュと結婚する。

 その未来を想像するだけで、ネイサンは持てるすべての富を手放してもまったく惜しくないほどの喜びに溺れた。──いや、そうではない。マージュに何不自由ない生活をさせてやるためにも、さらに仕事に邁進しなくては。しかし時には、この工場も注文書の山も放り出して、彼女を愛することだけにすべてを捧げたい。

 傷を負った彼女の心を癒してやりたかった。
 屈託なく微笑む彼女の顔をもっと見ていたかった。

 静止する機械の表面に指を走らせながら、ネイサンは黙っておのれの考えにふけっていた。
 いつしか、工場とウェンストン・ホールをつなぐ扉が乾いた音を立ててゆっくりと開き、遠慮がちに首をかしげたマージュが顔を出すまでは。

「マージュ」
 製綿機械がずらりと二列に並ぶ作業場の中央で、ネイサンは振り返った。
 マージュは大きな瞳をさらに見開きながら、首を伸ばして工場内の全景をまじまじと見ている。確か、マージュが休日の無人になった工場を目にするのは、これがはじめてのはずだ。
 マージュはひと通り工場を見回した後、ゆっくりとネイサンに視線を止めた。

「あなたがどこにいるのか……探していたんです。そうしたらディクソンが、きっとここだと……」

 控えめに紡がれる声は、まるで彼女がここに来たことをネイサンが叱責するのではないかと危惧しているような不安がにじんでいた。
 なんと皮肉なことだ。
 ネイサンはいつでもマージュをそばに置きたかった。いつでも彼女の隣へ行きたかった。それを制止している理由はただひとつ……マージュが結婚まで純潔を守りたがっているからだ。

 いまのネイサンに、この少女のそばで紳士のように振る舞い続けるのは、かなり難しかった。

「日曜日の朝にレディが楽しみごとを見出すような場所ではないよ、ここは」
 ネイサンは告げたが、マージュはわずかに首を振り、工場の中へ足を踏み入れてきた。
「書斎といい、工場といい、あなたはわたしが、あなたの仕事場を退屈な場所だと思うと決めつけているのね」
「違うかい?」
「いいえ」

 ネイサンを狂わせる可憐な微笑みを見せたマージュは、そっと言い加えた。「とても興味深いです。その機械で綿を織るのですよね?」
「ああ……向こうの炉で石炭を燃やし、その蒸気で稼働するようになっている。この白いベルト部分が回り、機械の腕を動かして……」

 上がっていく心拍数を抑えるために、面白みのない機械の説明をはじめてみたが、あまり効果はなかった。
 ネイサンが話している間に、ゆっくりと近づいてくるマージュがじれったく、いますぐ駆け寄って抱きしめてしまわないようにするのには、かなりの忍耐を必要とした。
「作業員がここに立ち、流れてくる綿布を押し出すためにこのレバーを回し続ける必要がある。そして天井に新しく設置した特別な換気扇が、舞い散る綿の屑を外に出せるようにしてあって……」

 そこまでは真面目に聞いていたマージュだが、突然くすりと笑いだしたので、ネイサンはぴたりと説明をやめた。

「言っただろう、楽しい場所ではないと」
「ええ、でも、あなたの説明を聞くのは面白いです。本当にこの仕事を愛していらっしゃるんですね」

 ──愛してる?
 ああ、そうだとも。君を。

 いや、そうじゃない。マージュはなんと言った? 仕事だ。仕事を愛しているんだろう、と。
 くそ……頭がまともに回らない。

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