氷と花
 しかし、次の瞬間、顔を上げたマージュの瞳ははつらつとしていた。
「実は、わたしも毎週通っていたわけではないんです。特に今日みたいに天気のいい日は……人ごみの中にいるより散歩がしたくなって……」
 今朝が晴天だということに、ネイサンはその時はじめて気がついた。

 ネイサンにとって天気とは、原綿の仕入れがある際に荷物が濡れないよう雨の日を避けるとか……そういったビジネス上の利便性以外の意味を持たなかった。

 そういえば、マージュはよく天気の話をした。
 した、というより、しようとした、という方が正解ではあるが。ネイサンがあまりその話題に乗ろうとしなかったからだ。

「では……今朝もその散歩に行くつもりだったのかい?」
 ネイサンが訊くと、マージュは必要以上に一生懸命にうなずいた。そして、
「はい。それで……その」
 とだけつぶやいて、またうつむく。

 自惚れてもいいのかと思うと、ネイサンは微笑みがさらに広がっていくのを抑えられなかった。駆け引きを知らないマージュは可愛かった。恥じらいをもってうつむくマージュの顔を、満点の笑顔で輝かせたかった。

「『それで……その』?」
「そ、そうやってひとの言葉を繰り返すのをやめてくださいっ! わたしは……ただ……もしかしたらあなたも……すこし息抜きをしたいんじゃないかと思って……」

 桃色に火照ったほおと、大きく揺れる瞳で顔を上げたマージュは、どれだけ控えめに言ってもネイサンを熱くそそる美しさだった。

「つまり、わたしはその散歩に誘われていると思っていいのかな?」
 すこし意地悪に、しかしイエスの返事を匂わせながらネイサンが言うと、マージュはうなずいた。
「はい」
 まさに、ネイサンの望んだような満点の笑顔で、マージュは答えた。
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