氷と花
 数週間前なら、これがネイサン・ウェンストンであり、商売や事業に関係のないものに心を動かされることはないのだと、寂しいながらも納得してしまうところだった。

 しかし、マージュはもう知っている。
 マージュを見つめるとき、あれだけ情熱にけぶった瞳をのぞかせる彼ネイサンを。そんな彼が、希少な晴れの朝の美しさに、なにも感じないはずがない……。
 マージュはもうひと押ししたい気分になった。

「ね、耳を澄ましてみてください。ほら、この近くには川があるんじゃないかしら? 水のせせらぎが聞こえるわ」
「確かに川はあるよ」
 ネイサンは単調に答えた。「この通りの向こう側に。街からの排水で、信じられないくらい汚い灰色に(よど)んでいるが」

 ムッとして顔をゆがめたマージュに、ネイサンは微笑しながら肩をすくめてみせた。

「マージュ、君もすでに知っての通り、わたしは天真爛漫な明るい人間ではないんだよ。すこし外を歩いたからといって、急に詩人になったりはしないんだ」
「でも、あなたは情熱的なひとだわ。隠しているだけで……違いますか?」

 ネイサンは警戒するような目をマージュに向けた。

「なぜそう思う?」
「だって、と、ときどき、そうとしか思えない目でわたしのことを見ます」

 そしていま、ネイサンはまさに、心ない石像さえ戸惑わせるほどの熱い瞳でマージュを見すえている。確かにネイサンは詩人ではない。おとぎ話の王子様でもない。ネイサンは……騎士だ。
 口先ではない。視線で、行動で、おのれの存在と願望を表現する、猛々(たけだけ)しい武人のような男性。

「例外、というものがある」
 ネイサンは低い声で静かに告げた。「君を見るときと、君以外のものを見るときでは、まったく……心の持ちようが……違うんでね」

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