氷と花
 熱い視線と低くかすれた声にからめとられて、足を止めたマージュのすぐ横に、ネイサンは歩み寄ってきた。
 マージュは流行の派手な帽子が好きではなく、そのときかぶっていた帽子も茶色の小さなツバのものだったが、それでもネイサンとの距離を邪魔されているようでじれったく感じた。

 手を伸ばせば、腕に触れることができる近さに、ネイサンは立っていた。
 ふたりは婚約者同士だ……腕を組んで街を歩くくらい、きっと許されるはず。そう思ってマージュは手を伸ばそうとした。すると、ネイサンは目に見えて全身を硬くした。

 その単純な拒否反応に、マージュは傷ついた。声に出して拒絶されるより、心が傷む。

 うなだれて足元に視線を落とすと、しかし、ネイサンはその大柄な身をかがめてマージュの顔をのぞき込んできた。

「君はまだ理解していないようだから、説明するが」
 マージュは顔を上げた。
 ネイサンの険しい口調に、そうするしか、なかったのだ。そんなマージュに合わせてネイサンも姿勢を正す。
「わたしはまだ君に触れない。一度、堰を切ってしまったら、わたしは自分を止められないからだ」
「え……」
「そして、わたし達の結婚はまだ先だ」
「え、ええ……」
 戸惑いながら、マージュは相槌を打った。「あと二週間とすこし……です」

 具体的な日数を出すと、ネイサンはその事実を呪うかのように、くぐもったうめき声をもらした。

「くそ、そうだ。そして君は、その可愛いらしい顔とほっそりとした体でわたしの屋敷をうろついている。わたしに微笑み、わたしの書斎で紅茶を飲み、日曜日の朝には散歩へ誘ってくる……」

 ビジネスに関さないことで、ネイサンがこれほど饒舌になるのははじめてだったから、マージュは唖然として彼の独白を聞き続けた。

「わたしが明るい人間でないのは、もう知っているだろう。しかしこれも覚えておいた方がいい……未来の妻よ」

 マージュはごくりと唾を呑み込んだ。
 妻。
 未来の、妻。

「わたしは僧尼ではない。人一倍健康な肉体とみだらな欲望を持った成人男子であって、君を欲している。君だけを。しかし、その君は、結婚まで純潔を守ることを誓っている。つまり、」

 ネイサンはここでひと息置いて、片手で帽子のツバをつまみ、かぶり直すふりをした。

「結婚まで、君はむやみにわたしに触れようとしてはならない。そして、わたしは君にいっさい触れてはならない。そうでなければ、君は後悔することになる……わたしはまったく後悔しないが……ただ、君を傷つけたくはないんだ」

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