氷と花
 これは……。
 これは、恐れおののくべきところなのだろうか?
 それとも、つつましやかに未来の夫の言葉を受け入れ、うなずくべきところなのだろうか?

 彼の告白に、情緒的なロマンチックさはまったくない。
 まともな淑女がこんなことを言われたら、本来なら悲鳴をあげて逃げなくてはならないはずだ……。しかし、なにかがマージュを止めていた。止めるだけじゃない。体の奥がうずいて、この男性に触れてほしくてたまらなくなる……。

 それこそ、その『後悔すること』を、マージュに施してほしい……と。

 暗闇に包まれた夜の書斎で起きた出来事と、あの時与えられた快感を思い出しながら、マージュは小刻みに震えながらささやいた。

「わたし……その……どうしてなのか、わ、分かりません。でも、ほ、本当に結婚まで待つ必要があるのかしら……?」
 ネイサンの眉間のしわが怖いほど深まる。
「それを、君がわたしに、聞くのか?」

 信じられない、と言いたげな口調だった。

「え、ええ……」
「これは新手の拷問の手段なのか、マージュ? わたしを地獄へ落とすつもりなら無駄だぞ、ミス・バイル、わたしはすでに地獄にいる」
「そ、そんな! 地獄だなんて言うのなら! いっそ、すこしことを早めても、許されるんじゃないかしら……って……」

 マージュももはや、自分がなにを言っているのか分からなくなってきた。
 ただ、体の芯がどんどん熱くなって、あの夜に受けた刺激をもう一度欲しくなっている。実際のところマージュは、初夜に起こるべき男女の営みの機微を知らない。ただ、あんなふうに情熱的なものなら……欲しい。

 そして、ネイサンならけっしてマージュを裏切らないという確信がある。
 ネイサンなら。
 ネイサンなら……。

 そのとき、マージュは気がついた。
 ああ、そうだ……マージュは彼に惹かれているのだ。惹かれているだけじゃない……きっと、いわゆる恋心を、抱いている。
 だから彼に抱いて欲しい。だから彼に触れたい。
 フレドリックにはこんな気持ちを抱いたことはなかった。

 一方のネイサンは、いますぐマージュを置いて逃げ去ってしまうべきか、それともこの場でマージュを抱いてしまうべきか、決心がつかないでいるような荒々しい顔をしていた。
 きっとここは、彼ではなくマージュが決めるべき時なのだ。
 そしてマージュの心は決まっている。

「あなたの望むままに……ネイサン。あなたとなら、わたしは絶対に後悔しないから」
 
 次の瞬間、マージュの肺から空気がすべてなくなっていた。
 それほど強い抱擁を受け、帽子は道路に落ち、足は宙に浮いた。痛みに悲鳴をあげてもよさそうなくらい強烈に抱きかかえられた後、息を奪われるほどの口づけが交わされる。頭が変になってしまいそうだった。

「覚えておくといい……君はいま、永遠にわたしの檻の中に入った」
 激しい息の合間に、ネイサンのかすれた低い声がつぶやかれる。マージュは涙を浮かべながら小さくうなずいた。
「はい」
「なにがあっても離さないからな」
 熱を帯びたネイサンの声が、マージュの耳をくすぐる。
「はい……」

 ふたたびマージュが答えると、想像したことさえないような長く優しい口づけを、ふたりは分かち合った。
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