氷と花
「若旦那様はいつもダルトンのご実家から帰られた後、数日から数週間、無口になって、どこかふさぎ込んでいるような表情をすることが多かったのです。しばらくは、ご実家で夫人や弟君と口論でもされたのかと思っていましたが、聞くとそうではないと言う……」

 ディクソンは膝の上で両手を組み、指を動かしながら次の言葉を探しているようだった。

「わたしは遠回しに、ダルトンでなにがあったのかと訊ねてみたものです。するとネイサン様はまず、あなたのことを語りましたね。いわく、マージョリー・バイルはイチヂクが好きで朝から晩までそればかり食べていたとか、そんな細やかなことですが」

 マージュは言葉を失い、短く息を吸った。
 そんなことが……。

 ダルトンに訪ねてくる時のネイサンは、いつも難しい顔をして、マージュには極力近寄らないようにしていた。顔を合わせるのは食事の時くらいで、それも決まってマージュからは一番遠い席を選んでいたから、会話らしい会話をする機会さえほとんどなく。

「それで……イチヂクのジャムを?」

 なかば呆然としながらマージュがつぶやくと、ディクソンは微笑みながら深くうなずいた。

「ええ。他にも色々と細々としたことを……部屋の壁紙はお気に召されましたか?」
 マージュは同意に首を縦に振った。
「ええ、もちろん」
「桃色の薔薇。確か数年前、そんな模様の入った生地を夫人に手土産として持っていかれたら、あなたがいたく気に入って夢中で魅入っていたとか」

 そんな……マージュ自身でさえ忘れかけていた些細な記憶だ。
 もしかしたら、マージュの部屋の壁紙はネイサン自ら選んでくれたものなのだろうか? それともネイサンの話を覚えていたディクソンが手配したもの……?

 マージュの無言の疑問を感じ取ったのか、老執事は穏やかに言い加えた。

「実際に壁紙屋で見本を選んだのはわたしですが、指示を出されたのはネイサン様です。マージョリーは桃色の小薔薇が散った柄を気に入っていたから、そんな感じのものを選んでくれ、とね。わたしの方は、指示されるまですっかり忘れていましたよ」
「まあ……」
 それ以上、なんと言っていいのか分からなかった。

 せっかくの紅茶も味わえる気がしなて、カップをそっと横へどける。
 昨日、ネイサンは確かに、ずっとマージュを愛していたと告白してくれた。ただそれは睦言のひとつで、ふたりとも冷静ではなかったから、きっと『マージュがウェンストン・ホールにやってきてから、ずっと』という意味だと思い込んでいたのだ。

 しかし……?

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