氷と花
「ミスター・ウェンストン、搬入口にあなたに会いたいという青年が来ているんですがね。どうしますか?」
煤に顔を半分灰色にした作業員のひとりが、ネイサンの前にやってきて帽子を脱いだ。
「青年?」
「身なりはいいんですけどね。ずいぶん取り乱した様子で、ネイサン・ウェンストンに会わせろと騒いておりやす。入れていいものかどうか、はかりかねまして……」
思考を中断されたことに眉をしかめたネイサンは、脱いだ帽子を胸元に握りしめている作業員をじっと見下ろした。
「分かった。わたしが直接会いに行こう」
ネイサンが告げると、作業員は肩の荷が下りたような、ほっとした顔をした。もしかしたらこれは厄介な客なのかもしれない。しかし無視するわけにもいかなかった。
ネイサンは上着を羽織り直し、搬入口へ早足に進んでいった。
積み上げられた原綿の塊を避け、開いている扉へ近づいていく。太陽の光を背に受けていたせいで、問題の青年は、最初は黒い影にしか見えなかった。
目を細めてさらに近づくと、その姿が明らかになっていった……帽子もかぶらず、明るい茶色の髪を振り乱した長身痩躯の青年。
「フレドリック」
ネイサンがつぶやいた低い声は、工場の機械の騒音にかき消されていった。
最後にフレドリックを見てから半月と経っていない。しかし弟は目に見えて瘦せこけ、瞳は充血してぎらつき、唇は血色が悪く乾いていた。
嫌な予感しかしなくて、ネイサンは短い罵り言葉を吐き出した。
「くそ」
フレドリックはすぐにネイサンの姿を見とめ、ゆっくりとにじり寄ってくる。
「おはよう、兄さん。どうして僕がここに来たのか、分かってるよね」
痩せただけではない。
まるで老人のように、フレドリックはひと回り縮んでしまったようにさえ見えた。当然だ──ネイサンだってマージュを失ったら同じことになるだろう。いや、さらにひどいことになるのは確実だった。
しかしマージュを裏切った愚か者は奴の方だ……。ネイサンならたとえ世界を敵に回してでもマージュへの忠誠を誓い抜くというのに、この阿呆は他の女の色気に惑わされた。
「いいや、フレドリック。お前は新婚旅行に出ていたとばかり思っていたな。奥方はどうしている?」
フレドリックはびくりと肩を震わせ、怒りに満ちた目をネイサンに向けた。
「兄さんにそんなユーモアのセンスがあるとは思わなかったよ」
弟の薄い唇の端が、皮肉につり上がる。「決まってるじゃないか……兄さんがダルトンへの仕送りを急激に減らしたせいで、彼女は逃げたよ」
冷静な表情をいっさい崩さず、ネイサンは胸の前で両腕を組んだ。
「本当にお前を愛しているまともな女性なら、兄の仕送りが減ったというだけの理由で夫から逃げ出すことはないだろう。屋敷はお前のもので、学業も終えて結婚したんだ。わたしの金に頼らず独立するべきなのは当然だ」
「兄さんになにが分かるっていうんだ!」
かっと激昂して掴みかかろうとしてきたフレドリックの手首を捕まえたネイサンは、両手に力を込めて弟の腕をひねり上げた。苦痛の悲鳴がフレドリックの喉をつく。
「は、離せ……!」
フレドリックの抵抗が弱まるのを待って、ネイサンは手を離した。
対等に戦えない相手を痛みつけるような趣味はネイサンにはない。相手が実の弟となればなおのこと。しかも、近づいてきたフレドリックの息からはわずかに酒の香りが漂ってきた。
やけ酒か……。
ネイサン本人もそう遠くない過去に同じことをしていたのだから、それについて厳しいことを言うのはとどまった。
「なんのためにお前がここに来たのか? さっぱり分からないね。説明してもらおうか」
澄んだ水色のフレドリックの双眸が、険しくネイサンを射抜こうとする。
煤に顔を半分灰色にした作業員のひとりが、ネイサンの前にやってきて帽子を脱いだ。
「青年?」
「身なりはいいんですけどね。ずいぶん取り乱した様子で、ネイサン・ウェンストンに会わせろと騒いておりやす。入れていいものかどうか、はかりかねまして……」
思考を中断されたことに眉をしかめたネイサンは、脱いだ帽子を胸元に握りしめている作業員をじっと見下ろした。
「分かった。わたしが直接会いに行こう」
ネイサンが告げると、作業員は肩の荷が下りたような、ほっとした顔をした。もしかしたらこれは厄介な客なのかもしれない。しかし無視するわけにもいかなかった。
ネイサンは上着を羽織り直し、搬入口へ早足に進んでいった。
積み上げられた原綿の塊を避け、開いている扉へ近づいていく。太陽の光を背に受けていたせいで、問題の青年は、最初は黒い影にしか見えなかった。
目を細めてさらに近づくと、その姿が明らかになっていった……帽子もかぶらず、明るい茶色の髪を振り乱した長身痩躯の青年。
「フレドリック」
ネイサンがつぶやいた低い声は、工場の機械の騒音にかき消されていった。
最後にフレドリックを見てから半月と経っていない。しかし弟は目に見えて瘦せこけ、瞳は充血してぎらつき、唇は血色が悪く乾いていた。
嫌な予感しかしなくて、ネイサンは短い罵り言葉を吐き出した。
「くそ」
フレドリックはすぐにネイサンの姿を見とめ、ゆっくりとにじり寄ってくる。
「おはよう、兄さん。どうして僕がここに来たのか、分かってるよね」
痩せただけではない。
まるで老人のように、フレドリックはひと回り縮んでしまったようにさえ見えた。当然だ──ネイサンだってマージュを失ったら同じことになるだろう。いや、さらにひどいことになるのは確実だった。
しかしマージュを裏切った愚か者は奴の方だ……。ネイサンならたとえ世界を敵に回してでもマージュへの忠誠を誓い抜くというのに、この阿呆は他の女の色気に惑わされた。
「いいや、フレドリック。お前は新婚旅行に出ていたとばかり思っていたな。奥方はどうしている?」
フレドリックはびくりと肩を震わせ、怒りに満ちた目をネイサンに向けた。
「兄さんにそんなユーモアのセンスがあるとは思わなかったよ」
弟の薄い唇の端が、皮肉につり上がる。「決まってるじゃないか……兄さんがダルトンへの仕送りを急激に減らしたせいで、彼女は逃げたよ」
冷静な表情をいっさい崩さず、ネイサンは胸の前で両腕を組んだ。
「本当にお前を愛しているまともな女性なら、兄の仕送りが減ったというだけの理由で夫から逃げ出すことはないだろう。屋敷はお前のもので、学業も終えて結婚したんだ。わたしの金に頼らず独立するべきなのは当然だ」
「兄さんになにが分かるっていうんだ!」
かっと激昂して掴みかかろうとしてきたフレドリックの手首を捕まえたネイサンは、両手に力を込めて弟の腕をひねり上げた。苦痛の悲鳴がフレドリックの喉をつく。
「は、離せ……!」
フレドリックの抵抗が弱まるのを待って、ネイサンは手を離した。
対等に戦えない相手を痛みつけるような趣味はネイサンにはない。相手が実の弟となればなおのこと。しかも、近づいてきたフレドリックの息からはわずかに酒の香りが漂ってきた。
やけ酒か……。
ネイサン本人もそう遠くない過去に同じことをしていたのだから、それについて厳しいことを言うのはとどまった。
「なんのためにお前がここに来たのか? さっぱり分からないね。説明してもらおうか」
澄んだ水色のフレドリックの双眸が、険しくネイサンを射抜こうとする。