氷と花
 ネイサンとフレドリックはあまり似ていなかった。フレドリックは細身で、髪も肌も瞳もずっと色素が薄い。顔つきはいつまでも少年らしさを失わず、長い手足は流行りの服装がよく似合った。どれもネイサンにはないものだ。

 ネイサンの黒髪。厳しく彫りの深い男性的な顔つき。広い肩幅と大きな背中。
 ふたりがにらみ合っても、強弱を決する勝負の勝者は誰の目にも明らかだった。

 しかしその勝者が、婦人の愛を勝ち取れるのかといったら、話は別だ。
 時代はもう野蛮な中世ではない。

「マージュを取り戻しに来たんだ。僕には彼女しかいない。彼女にも僕しかいないはずだ」

 興奮に肩で荒く息をしながら、フレドリックが宣言した。
 ネイサンは悪夢に足をすくわれたような気分になった。マージュ。マージュ。その名前を弟の口から聞くだけで、誰かを殺してしまいたいような誘惑に襲われる。
 できれば、目の前のこの弟を。
 もっとも残酷な方法で、ゆっくりと時間をかけて。

「彼女はすでにわたしの婚約者だ」
 喉の奥からうなるように告げると、フレドリックは顔を真っ赤にして叫び返した。

「そんなものは無効だ! 兄さんはマージュの傷心につけ込んで彼女を横からさらっただけじゃないか。彼女はまだ僕を愛しているのに!」

 ネイサンは忍耐深い性格で知られていた。自分でもそう信じている。しかし、このフレドリックの言葉は我慢ならなかった。

 素早く宙を切ったネイサンの拳が、フレドリックの顔を直撃した。
 なぎ倒されたフレドリックは工場が舞い上げる埃の積もった床に背中から崩れ落ち、苦痛のうめき声を漏らしながら身悶えている。ネイサンの怒りはさらに熱いものになった。

「二度と彼女を傷つけてみろ……なぶり殺してやる! わたしの目の前で息ができると思うな!」

 重機械の騒音もネイサンの怒声を消すことはできなかった。工場で働いているすべての者が兄弟のいる搬入口を振り返る。
 フレドリックは苦しげにもがきながら四つん這いになり、ふらふらと立ち上がろうとしていた。

「そうか……兄さんだったのか……。わざと僕をロンドンに送ってマージュを裏切るように仕向けて、彼女を奪ったんだ! 昔から兄さんはマージュに惚れてた! 知ってるんだぞ!」

 勝ち誇ったようにそう叫んだフレドリックの唇は切れて、血が(したた)っていた。
 怒りに血が沸騰し、心臓が激しく高鳴り、興奮に野生が目覚める。弟を工場の端で燃え盛っているかまどに放り込んでしまわないように自制するのは、息を止めるよりも難しかった。たとえ真実ではないにせよ、フレドリックの言葉をいちいち否定する気にもなれない。

「わたしが望むのは、彼女の幸せだけだ」
 ネイサンが告げると、フレドリックはますます目をぎらつかせた。手の甲で血を拭ぬぐい、一歩前に出てネイサンに歯向かう。

「それで、僕がほんの少し他の女性に目を奪われてしまったすきに、他に行くあてのないマージュをたぶらかした。最低だよ……」
「お前はあの女と結婚したんだ! 『結婚』だ! マージョリーがどれだけ傷ついたか、考えるだけでも吐き気かする!」
「あの結婚は失敗だった。僕は……僕らは、まだ若いんだ。時には失敗を犯す。マージュは許してくれるはずだ」

 酒気のせいか、フレドリックの表情はいささか正気を欠いていた。
 言っていることも理論的ではない。確かにフレドリックは浮世離れした性格だったが、ここまで自分勝手ではなかったはずだ。マージュを想う気持ちが、彼を狂わせたのか……。

 しかし、ネイサンの狂気の方がはるかに深い。

「その失敗とやらに気がつくのが遅すぎたな。マージュとわたしはすでに結ばれている……。お前はもう過去のものだ」

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