氷と花
 フレドリックの目が驚愕に見開かれた。
 口は半開きになり、息の仕方を忘れたように固まっている。ネイサンは静かに弟が言葉の意味を理解するまで待った。しばらくすると、フレドリックの全身がぶるぶると小刻みに震えだした。

「なん……だって……?」

 今のネイサンに、弟を思いやる余裕はなかった。
 血祭りにしてしまわないだけで、十分すぎる赦免なのだ。傷ついたフレドリックの瞳を見て、溜飲が下がるような満足さえ感じていた。

「か……彼女は……ずっと……結婚まで待っていたいと……」

 声まで震えだし、フレドリックは今にも気が触れてしまいそうな常軌をいつした表情をした。ゆっくりと口をゆがめ、軽蔑に満ちた視線でネイサンを見据える。
 それにつられてネイサンの中の怒りが、もっと血を、と叫びはじめる。

「彼女は聡明な女性だ。心のどこかでお前の本性を見抜いていたんだろう」
「ありえない!!」
 フレドリックは叫びながらネイサンに体当たりしてきた。「兄さんはマージュを犯したんだ! 彼女を脅して無理やり受け入れさせたに決まってる! 殺してやる!」

 ネイサンは腰をかがめて受け身を取った。その勢いで兄弟が揃って床に崩れ落ちると、野次と悲鳴が周囲から湧き上がる。降りかかってくるフレドリックの拳を止めようとすると、上着の背の縫い目が切れるのを感じた。

「殺してやる!」

 呪文のように繰り返し叫ぶフレドリックは、すでに狂人の目をしていた。
 床の上でもみ合いながら転げ回り、ネイサンはすぐに弟の上にのしかかる格好になる。抵抗しようとするフレドリックのほおを平手で打つと、彼は一瞬だけおとなしくなったが、すぐに憎悪に満ちた目でネイサンをにらみ返した。

「卑怯者だ! 兄さんは卑怯者だ……!」

 その目には涙が浮かんでいる。
 ネイサンはフレドリックの上着の襟を両手で掴み上げると、そのまま無理やり立たせて弟の背中を壁に打ち付けた。

「卑怯なのはお前だ! 彼女に愛されていながらそれを裏切ったんだ!」
「そ、そらみろっ……! マージュは僕を愛してるって……分かってるんじゃないかっ!」

 兄弟は互いの息がかかるほどの至近距離で、険しくにらみ合った。
 気味が悪くなるほどのざらついた荒い息が、ネイサンの肺から湧き上がってくる。マージュ……マージュ……。心の奥に沈んでいた触れてはならない不安を、乱暴に掻き出されたような痛みが胸をつく。

 マージュは……。

「兄さんは……彼女の心の傷を利用したんだ……!」

 ネイサンが怯んだのを感じ取ったフレドリックは、獲物に与えた傷を確実なものにしようとさらに矢をねじ込む狩猟者のように、残酷にそこへつけ入った。

「マージュはきっと……兄さんに体を捧げなきゃまた捨てられると思って……そうしたんだ。そうだ、彼女は聡明な女性だよ……!」

< 77 / 85 >

この作品をシェア

pagetop