氷と花
愛の始まり 〜 "I love you more"
──そして二週間後。
空は相変わらずの灰色だったが、雨も風もなく穏やかな日和だった。
いつもは冷静な顔ばかりしているネイサンが、子供のように瞳を輝かせて微笑んでいる姿は目に痛いほどまぶしかった。体型に合わせて仕立てられた上質の礼服に身を包み、マージュがウェンストン・ホールに来てから少し伸びた気がする黒髪は、丁寧に後ろに撫でつけてある。
ネイサンは見まごうことなき偉丈夫で、街の誰よりも堂々としていて、幸せそうだった。
ある冬の日曜日。マージョリー・バイルとネイサン・ウェンストンの結婚式はつつがなく執り行われ、マージュはついに名実ともにウェンストン夫人となった。
フレドリックは現れこそしなかったものの、謝罪と祝福の電報を送ってきた。
*
結婚式が終わると、ネイサンは伝統通りに花嫁を横抱きにして玄関の扉をくぐった。
教会での式には使用人もすべて招待していたから、屋敷はがらんとして静かで、肌寒いくらいだった。
マージュは花嫁衣装のままネイサンの首にぎゅっと抱きつき、ふたりは体温を分け合うようにしながら、二階の寝室へと向かった。
今夜から、マージュは今までの個室を離れてネイサンの寝室で眠ることになる。
「せっかく素敵な壁紙まで用意してくれたのに、もったいなかったですね。たったひと月しか使わなかったわ」
くすくすと笑いながら夫をからかう。
するとネイサンは片眉をつり上げて、新妻を見つめた。
「あそこは、子供部屋にしようと思っている。きっと君は入りびたるだろうから、好きな壁紙があるのは悪くないだろう」
ふたりはネイサンの部屋に入った。
ネイサン・ウェンストンの寝室の壁紙は落ち着いた濃い緑で、調度品は漆をたっぷり塗った重厚なものだった。まさにネイサンそのひとを思わせる、誇り高い独身男性の部屋という感じがした。
それもゆっくりと変わっていくだろう……。これからは、この部屋がふたりの愛の巣になるのだ。
「素敵ですね。その案は、いつ思いついたの?」
ネイサンはマージュをそっとベッドの上に座らせた。
「たった今……と、言いたいところだが、君が来る前から考えていたよ。君から結婚を承諾する手紙をもらった後、すぐにね」
信じられないくらい優しい仕草で、ネイサンの片手がマージュのほおを包む。マージュは感嘆のため息を漏らし、目を閉じて夫の大きな手に甘えるようにほおずりした。
「やめなさい。君を抱く前に、まず火を起こさなくては」
ネイサンは名残惜しそうにマージュの輪郭を指の先でなぞってから手を離し、上着とクラヴェットを直すふりをした。それから大股で暖炉の前に向かうと、器用に火種を起こした。
その一連のネイサンの動作を見ながら、マージュはさらに愛しい気持ちになる。
冬山の雪や氷が、春の日差しに溶けて川を満たしていくように。
かつて氷だった水が、大地をうるおし、草木を育てていくように。
マージュという花はネイサンの愛を受けて満開に開こうとしていた。
火がある程度の安定した大きさになると、ネイサンは振り返ってマージュの待つベッドまで戻ってきた。ふたりは長い間見つめ合い、やがてどちらからともなく微笑み合っていた。
「大好きよ、ネイサン」
ネイサンは身をかがめて、両手でマージュの顔を包み込む。灰色の瞳が、その時は不思議に澄んだ青のように見えた。
「わたしのほうが、もっと君を愛しているよ」
優しくはじまった口づけはゆっくりと深まっていき、ふたりの体は互いの還るべき場所を見つけたかのように、ひとつになっていった。
【氷と花 了】
空は相変わらずの灰色だったが、雨も風もなく穏やかな日和だった。
いつもは冷静な顔ばかりしているネイサンが、子供のように瞳を輝かせて微笑んでいる姿は目に痛いほどまぶしかった。体型に合わせて仕立てられた上質の礼服に身を包み、マージュがウェンストン・ホールに来てから少し伸びた気がする黒髪は、丁寧に後ろに撫でつけてある。
ネイサンは見まごうことなき偉丈夫で、街の誰よりも堂々としていて、幸せそうだった。
ある冬の日曜日。マージョリー・バイルとネイサン・ウェンストンの結婚式はつつがなく執り行われ、マージュはついに名実ともにウェンストン夫人となった。
フレドリックは現れこそしなかったものの、謝罪と祝福の電報を送ってきた。
*
結婚式が終わると、ネイサンは伝統通りに花嫁を横抱きにして玄関の扉をくぐった。
教会での式には使用人もすべて招待していたから、屋敷はがらんとして静かで、肌寒いくらいだった。
マージュは花嫁衣装のままネイサンの首にぎゅっと抱きつき、ふたりは体温を分け合うようにしながら、二階の寝室へと向かった。
今夜から、マージュは今までの個室を離れてネイサンの寝室で眠ることになる。
「せっかく素敵な壁紙まで用意してくれたのに、もったいなかったですね。たったひと月しか使わなかったわ」
くすくすと笑いながら夫をからかう。
するとネイサンは片眉をつり上げて、新妻を見つめた。
「あそこは、子供部屋にしようと思っている。きっと君は入りびたるだろうから、好きな壁紙があるのは悪くないだろう」
ふたりはネイサンの部屋に入った。
ネイサン・ウェンストンの寝室の壁紙は落ち着いた濃い緑で、調度品は漆をたっぷり塗った重厚なものだった。まさにネイサンそのひとを思わせる、誇り高い独身男性の部屋という感じがした。
それもゆっくりと変わっていくだろう……。これからは、この部屋がふたりの愛の巣になるのだ。
「素敵ですね。その案は、いつ思いついたの?」
ネイサンはマージュをそっとベッドの上に座らせた。
「たった今……と、言いたいところだが、君が来る前から考えていたよ。君から結婚を承諾する手紙をもらった後、すぐにね」
信じられないくらい優しい仕草で、ネイサンの片手がマージュのほおを包む。マージュは感嘆のため息を漏らし、目を閉じて夫の大きな手に甘えるようにほおずりした。
「やめなさい。君を抱く前に、まず火を起こさなくては」
ネイサンは名残惜しそうにマージュの輪郭を指の先でなぞってから手を離し、上着とクラヴェットを直すふりをした。それから大股で暖炉の前に向かうと、器用に火種を起こした。
その一連のネイサンの動作を見ながら、マージュはさらに愛しい気持ちになる。
冬山の雪や氷が、春の日差しに溶けて川を満たしていくように。
かつて氷だった水が、大地をうるおし、草木を育てていくように。
マージュという花はネイサンの愛を受けて満開に開こうとしていた。
火がある程度の安定した大きさになると、ネイサンは振り返ってマージュの待つベッドまで戻ってきた。ふたりは長い間見つめ合い、やがてどちらからともなく微笑み合っていた。
「大好きよ、ネイサン」
ネイサンは身をかがめて、両手でマージュの顔を包み込む。灰色の瞳が、その時は不思議に澄んだ青のように見えた。
「わたしのほうが、もっと君を愛しているよ」
優しくはじまった口づけはゆっくりと深まっていき、ふたりの体は互いの還るべき場所を見つけたかのように、ひとつになっていった。
【氷と花 了】