レディキラーを君に
マスターは私に白っぽいカクテルを差し出し、自分の分はロックグラスに氷も入れずに「白州」と書かれたお酒をなみなみと注いだ。
そしてカウンターから出てきた彼は、適度に間隔をあけて置かれている椅子をぐっと近づけて、当たり前みたいに私の隣に腰かけた。カウンター越しに見るよりもずっと背が高く感じた。
肩が触れ合ってしまうような距離感に、いい加減私の心臓が止まりそうだ。今日心筋梗塞で死んでも驚かないってくらいぎゅうっと締め付けられて苦しい。
彼はちょっとだけ私に向かってグラスを掲げると、ちびりと琥珀色の液体を口にする。嚥下するのに合わせて上下する喉仏に目が行ってしまう。なんだかすごくイケナイものを見てしまった気になって、なるべくゆっくりを心掛けながら、どうにかこうにか自分のカクテルに視線を移した。
「いただきます」
「どうぞ」
私もちびり、と小さく口に含む。
レモンの香りがすっと鼻に抜けていく。さっきのと違ってアルコール度数の高さは隠しきれていないけれど、さわやかで癖もなく飲みやすい。
ああ・・・
「私、これ好き」
もう一口、さっきよりも多く飲む。
強いお酒だけあって、喉が熱く感じた。
「それはよかった」
ちょっと大きく飲みすぎたのだろう。じん、と脳がしびれるような酩酊感に襲われる。
大きく息を一つついて、酒気を逃がしながら、横目で彼を見る。
彼は頬杖をついて、姿勢を崩し私を見ていた。いつもカウンターの向こう側にいる時には想像もつかないような、気だるげでくつろいだ様子だ。
見た事を後悔した。
だって。そんなくつろいじゃったらもうなんか、存在が犯罪みたいな色っぽさでもうなんか、なんかなんかだ。語彙力が消えうせる程度にはダメだった。
ごくっと生唾を飲み込みながら視線を前に戻す。
「ねえ、僕の名前覚えてる?」
「・・・・ええと、壱村さん?」
「なんだ、覚えてたんだ」
それはこのお店に初めて来たときに「店主の壱村です」って言われたもの。忘れるわけがない。とはいえ、下の名前は知らないのだけど。
私のことは・・・・覚えているのかな。
その時反射的に自己紹介を返したのを思い返してそんなことを思う。でも、それは酔っていても聞けなかった。
もし「知らない」なんて、こんな間近で言われたら泣いてしまいそうだったから。
「今日はえらく元気がなかったけど、何かあったの?」
「仕事で、ちょっと事故っちゃって・・・誰が悪いってこともなかったんだけど。でも私だけが悪いわけじゃないのに、しわ寄せが来たのがほぼ私だけで・・・。なんかこう、釈然としないというか、イライラのぶつけ先がないっていうか・・・」
「モヤモヤしてたわけね」
「そうなんですよ」
私たちはぽつりぽつりと交互に質問を投げかけるようにして会話を続けた。
「今日はお客さん少なかったんですか?」とか。
「あのコンビニスイーツ知ってる?」とか。
「森香るウィスキーってネーミングがたまらん」とか。
そんな取り留めもない内容ばかりで、大きな笑い声が上がることもなく、驚きの声が上がることもなく。でもその静かなおしゃべりがものすごく心地よかった。