【ショートショート】俺と男性の奇妙な関係の始まり
 俺は自分のことを異性愛者、ヘテロセクシャルだと思っていた。
 が、最近、違うかもしれないということに気が付いた。

 俺は地方に住む28歳の独身男性だ。
 18歳で高校を卒業し、ニートを2年間やったあと地元のとある会社に就職した。

 俺は恋愛に関してかなり奥手だ。
 学生時代、好きな人はいた。
 もちろん、異性、女性だ。

 しかし、俺は告白どころかその女性に近付くこともできなかった。

 俺なんかが近寄ったら気持ち悪いと思われるだろう。

 そんな思いがあった。

 会社に入ってからも、

(素敵な女性だな。お近付きになりたいな)

 と思える異性はいた。

 が、ビビリの俺は声を彼女たちに声をかけることすらできなかった。

 28歳にして、俺は彼女なしの本物の童貞だった。
 が、焦りはなかった。
 俺の周りにおおくの童貞がいたからだ。
 類は友を呼ぶのだろうか。

 時折、高校時代の飲み会に行くと、

「俺、まだ童貞でさ」

 と嘆くと、

「俺も!」
「僕も!」
「奇遇な、(それがし)もでごさるよ」

 という(やから)がいた。

 もちろん、飲み会の参加者には童貞でないどころか結婚しているやつもいた。中には子持ちのやつもいた。

 でも、そいつらは童貞を差別しなかった。

「初めてを好きな人に捧げるなんて理想じゃないか!」

 と力説する3人の子持ちもいた。

 断っておくが、この飲み会の参加者のメンツは特定の宗教に入っているわけではない。

 そういうわけで、俺は童貞でいることにそれほどコンプレックスを抱えていなかった。機会があれば自然とそうなるだろう、くらいに気楽に考えていた。

 それは突然だった。

 新型コロナの流行が一段落したせいか、少子化のためか我が社でも人手不足が深刻な状況になった。

 俺が所属する部署は急遽、派遣社員が入ることになった。
 酷な話だが、派遣社員は契約社員と違って雇用形態が不安定だ。
 人手が余るようになればすぐに切ることができる。

 俺の部署に入ってきた派遣社員は1人の男性だった。
 年の頃は40歳手前であろうか。
 俺より年上であることは明らかであった。

 第一印象は

(少し頼りなさげだな)

 というものだった。

 が、ともに仕事をし、たったの1ヶ月でその印象は変わった。
 彼はとても優秀な人材であった。
 なぜ、これほどまでに優秀な人が派遣社員で、うちの会社に雇われているのかが考えられないほどであった。

 仕事だけではない。
 彼の性質はとても気持ちのよいものであった。
 誰にでも敬語を使う。
 その敬語は洗練されており、聞いていて心地よかった。

 それに気が利く。
 常に周囲に目が行き届いており、困っている社員がいるとすぐに、

「私にできることはありませんか?」

 と提案するのだ。

 俺はこの男性が気に入った。
 そして、こう思った。

(一緒に飲んでみたい)

 と。

 金曜日の仕事おわり。
 俺は男性を飲みに誘った。

「近所に安く酔える飲み屋があるんですが、一杯やりませんか?」

 今思えばナンパに近い。
 いくら相手が同性で年上とはいえ、この誘いは軽すぎると今では思う。

 男性は笑って答えた。

「私で良ければどうぞ」

 この時、俺はなぜか心の中でガッツポーズをしていた。

 俺と男性は仕事が終わるなり、駅近くにある飲み屋に入った。
 飲み屋に入った記憶はある。
 が、その記憶は細切りになっている。
 店に入るなり乾杯をし、ビールを飲み、適当におつまみを口に入れたことは覚えている。
 腹も減っていたので、焼きおにぎりなど胃袋にたまるものを食べたことも記憶している。

 が、そのあとの覚えが曖昧なのだ。

 確か、俺は仕事の不平不満をこぼしていたと思う。
 気に食わない上司や部下の話をダラダラしたはずだ。
 男性は俺の話を静かに聞いてくれた、と思う。

 思う、と表したのは本当にそんなことを言ったのか俺自身も確たる覚えがないからだ。

 男性からは大人の余裕を感じた。
 さすがに40歳手前だと思われるだけあって、アラサーの俺なんかより大人だなと感じた。

 俺は酒に強い。
 と、自分で思っている。
 が、男性は俺以上に酒に強かった。

 どうも俺は飲みすぎて自力で歩行ができなくなったらしい。

 かすかに耳元に残っているのは男性の、

「酔い過ぎです。もう帰りましょう」

 という言葉だった。




 気が付くと俺はホテルにいた。
 ラブホテルではない。
 飲み屋の近くにある一般的なホテルだった。

 俺はスーツを脱がされ、バスローブを羽織らされた状態でベッドに横たわっていた。
 頭痛と吐き気がする。

「起きましたか?」

 男性の声がした。

 男性もバスローブを着用している。

 俺は瞬時に自分の身体を触った。
 パンツは履いていた。
 しかし、油断はできない。

 俺は恐る恐る肛門に指を当てた。
 特に異常はない。
 そもそも、痛みなど皆無だ。

 男性が頭をかいている。

「心配しないでください。いくら私でも合意のない行為はしませんよ」
「合意のない行為って……あなた……」

 男性は肩を落とした。

「飲み屋で盛大に吐いたのを覚えてますか?」
「吐く? 俺が?」
「はい。そりゃあ大変な量でしたよ。あわててお会計をして、お店を出てタクシーを拾ってあなたの家まで送ろうとしたのですが、乗車拒否されましてね。汚物のせいで」
「そんなに酷かったんですか?」
「私のスーツまで汚物まみれで」
「すみません」
「それはいいんですが、とにかくどこかで綺麗にしなくてはならないと思い、このホテルに入りました。本当は別々の部屋が良かったのですが、あまりにも意識が朦朧としていて吐瀉物で窒息しないか心配になり同じ部屋にしてもらいました」

(俺はなんという迷惑をかけたんだ) 

 酒に強い、という自負が崩れると同時に男性に対して申し訳けなさを感じる。

 俺は立ち上がり低頭した。

「すみませんでした!」
「お酒の失敗は誰にでもありますよ。私だって若い頃はむちゃくちゃをやったもんです」

 男性が部屋にあるカーテンを見つめた。
 まだ日は昇っていないようで、カーテンからもれる日差しはない。

 俺は恐る恐る、という感じで聞く。

「さっき、変なことを言いませんでした? 同意のない行為はしないって」
「ああ、私も口が滑りました」
「どういう意味ですか?」

 男性は黙った。
 俺も黙った。

 10分ほどの沈黙のあと男性は語りだした。

「私はゲイです」
「!」
「驚きますよね。でも誤解しないでください。ゲイですが男性なら誰でもいいわけではありません。私の恋愛対象は相手もゲイである、ということです」
「だから、合意のない行為はしない、と?」
「はい。まあ、中には男同士なら恋愛感情がなくてもいい、という方もいますが」「……」

 俺は何も言えなくなった。
 ゲイ、同性愛者を生まれて初めて目にしたからだ。

 男性は自分のベッドに腰掛けるとため息をした。

「今回の会社は長続きすると思ったんですけどね」

 俺は男性が何を言っているか理解できなかった。

「アウティングってご存じですか?」
「アウト……」
「アウティング、です。本人の意図しないところで社内の人間が、『あいつは同性愛者だぞ』ってバラすことです」

「そんなこと俺はしませんよ!」

 俺は語気を強めていた。

「あなたはいい人です。こんな俺を介抱してくれるし、会社での評判もいい。そもそも優秀です。なんであなたみたいな人が派遣やってるのがわからないくらいです」

「優秀と言ってくれるのはありがたいですが、世間は厳しいものでしてね。私は4回の転職経験があります。まだまだLGBTという言葉が世間に知られる前でしてね。会社に私の性対象が同性だとわかると、すみっこに追いやられるんです。自分で言うのもおこがましいですが、会社で優秀な人間がフツーじゃないと上層部が困るんでしょうね。それで、今はバレてもすぐに離職できるように派遣社員という道を選んでます」

「差別じゃないですか!」

「現実なので仕方ないです」
「俺は会社にこのことは絶対に言いませんよ」
「それが駄目なんですよ」
「どういう意味ですか?」
「もう手遅れなんです」
「意味がわかりません」
「はっきり言いますね。私はあなたを好きになってるようです」
「は?」
「先程は、『同意のない行為はしない』と格好つけましたが、本当はあなたの身体に触れたい私がいたんです。あなたにとっては気持ちの悪い話でしょ」
「……」

 あまりのことに俺は黙ってしまった。

「ね? 気持ち悪いでしょ?」

 俺は勇気を出して言ってみることにした。

「気持ち悪くありません! そもそも飲みに誘ったのは俺の方ですよ。しかも、なぜかドキドキしていた。同性を飲みに誘うのにドキドキしたのはこれが始めてです」

 今度は男性が困惑していた。

「俺は会社にはもちろん、誰にもあなたが同性愛者だということは絶対に言いません。その代わり、こんなのはどうです?」

 俺は自分でも突拍子もないことを言い出し始めた。

「俺は女性と付き合ったこともセックスしたこともありません。もしかしたら俺も同性愛者なのかもしれません。あなたはれっきとした同性愛者です。俺が『同性愛者かもしれない』という少ない確率に賭けて、まずは俺と友達になってみませんか?」

 男性はベッドから腰を上げた。

「本気で言ってるんですか?」
「今の俺は酔ってません」

 俺と男性の奇妙な関係の始まりの瞬間だった。
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