薬師シェンリュと見習い少女メイリンの後宮事件簿

第一話 薬師シェンリュと毒消しの薬

 かつてこの大陸に、(ルー)という国がありました。
 隆盛を極めたこの国も、末期は幼き皇帝を利用する奸臣(かんしん)によって荒廃し、隣国の(ホワ)に攻め滅ぼされてしまいます。

 その少し前に、この国の後宮にいた、薬師深緑(シェンリュ)と、その見習い美玲(メイリン)が、この物語の主人公です。

 シェンリュの診療所は、後宮の中にある西宮の一室にあります。
 ここで、彼は後宮に暮らす女性たちの主治医として働いていました。
 ただし、「彼」という言い方は正確ではありません。
 シェンリュは元男性の宦官で、髪を肩まで伸ばしていて化粧をしています。整った顔立ちも相まって王宮内でも本物の女性より美しいと評判でした。
 
 シェンリュは見習いのメイリンを呼び出して、買い物をお願いしようとしていました。
 メイリンは、彼が引き取った戦争孤児の少女です。シェンリュは彼女を薬師見習いとして、彼の診療所で働かせています。

「メイリン、お使いを頼みたいんですが、いいですか?」

「はい先生。今回は何をお望みですか?」

「私は、お酒の蒸留器が欲しいのです。陶磁器製の物が市場に出ているので、買ってきてもらえますか?」

「わかりました。メイリンにおまかせください」

 シェンリュからお金を受け取ると、メイリンは勢いよく部屋を飛び出しました。彼女は歳は十五ですが、背が小さく、顔も幼さが残っているため見た目は完全に子供にしか見えません。彼女はそれを気にしていて、コンプレックスを抱いています。

「やれやれ。お店の場所も聞かずに出て行ってしまいました。元気なのは良いことですが、そそっかしいのがたまにキズですねえ」
 
 シェンリュは市場中の酒屋からたくさんの酒を買い占めているため、後宮内の人々から大酒飲みだと噂されていました。それで無くとも、彼は常に口元を白い布で隠していて、灰で身体を洗っているなどと噂が立って、変人扱いされています。実際に彼は灰と香油を使って石鹸を作っており、見習い少女のメイリンにも石鹸で毎日身体を洗って毒素を洗い流すように指導していました。

 今回、シェンリュはお酒を蒸留してアルコールの濃度をあげて、消毒液を作ろうと考えていました。お酒を蒸留をするためには専用の蒸留器が必要になります。そのため、見習いのメイリンに陶磁器製の蒸留器を買ってきて欲しいと頼んだのです。

「久しぶりの市場、楽しみですー」

 メイリンは市場の人々に自分が後宮から来た人間だと見破られないように、自分の部屋に立ち寄って、普段後宮で着ている漢服から、街の人々が着用している白い麻の服へと着替えて、中庭へと出ていきました。

「あ、魅音(ミオン)。ちょうどいいとこにいた。今から先生のお使いで市場に行くんだけど、一緒にいかない?」

「面白そうね。私も行くよ。着替えてくるから待っててねー」

 メイリンは、中庭で偶然見かけた友人のミオンを買い物に誘いました。
 ミオンはメイリンと同い年ですが、最近身体がふくよかになって、胸が大きく膨らんでいます。そのため、まだ幼さの残るミオンよりも、少しだけ大人に近い見た目をしていました。

「ねえ、メイリンっていつもいい匂いがするけど、何かしてるの?」

「えーとね、先生からもらった石鹸っていう柔らかい石みたいなもので毎日身体を洗っているの。それがいい匂いだからかなあ?」

「へー、いいねそれ。今度先生に私の分もお願いしてよー」

「いいわよー。帰ったら先生にお願いしてみるねー」
 
 メイリンは、ミオンと一緒に市場に蒸留器を買いに行くことにしました。

 市場は、王宮から離れた場所にあります。二人は、そこまで手を繋ぎながら歩いて行きました。

 二人は陸で最大の市場に着きました。市場は人で溢れています。しかし、市場にいる人々は何故か殺伐としていました。

「いつ来ても、市場の人たちはギスギスしているね」

「仕方ないよメイリン。街の人たちは生活が苦しいんだ。だから、私たちも街に行く時は、揉め事を起こさないように、わざわざ質素な麻の服に身を包んでいくんだから」

「でも、さすがにミオンは薄着すぎるよ。服の下側からお胸が少し見えてるけど、恥ずかしくないの?」

 ミオンは動きやすいように、服の袖や腹を覆う部分を大胆に切って、胸だけを覆う下着のようにしています。そのため、身体が動くたびに、切り取られた服の隙間から、大きくなった彼女の胸の下部分がチラチラと見えていました。

「別にどうってことないよ。私はね、周りの視線をあまり気にしないようにしてるの。それに、たくさん服を着ていると動きにくいから、なるべく最低限の服装でいたいのよ」

「なるほど、そういうことだったんだね」

(ミオンは胸が大きくていいなあ。同い年なのに私は全然大きくならないから、よく子供扱いされるし……)

「でも、最近気温が下がって肌寒くなってきてるから、ミオンも気をつけた方がいいよ」

「私は寒いのには慣れてるからね。……でも、確かにメイリンの言うとおりだね。気をつけるよ」

 ゴロゴロゴロゴロ……。

「マズい、雷の音だ。雨が降ってくるよ」

 突然、雷がなって、雨がざあっと降ってきました。雨はどんどんと強くなり、すでに前が見えなくなるほど大きな雨粒が天から降り注いでいます。

「雨が降ってくるなんて聞いてないよー」
 
「大丈夫。雷雨だからすぐに止むよ。どこかで雨宿りして止むのを待とうか」

 二人は、雨に打たれて、身体がびしょ濡れになってしまいました。

「びしょびしょになっちゃった。早く屋根があるところを探さないと……」

 メイリンとミオンは大粒の雨に打たれながら、雨宿りが出来そうな場所を探しています。そうしているうちに、二人は市場の中でも治安が悪い裏路地に入り込んでしまいました。

 二人は、いつの間にかガラの悪い男たちに囲まれていました。男の一人が、ニヤニヤしながら話しかけてきます。

「よお、お嬢ちゃんたち。買い物かい? 俺たちちょうどお金がなくて困ってたんだ。助けてくれないかな?」

「ゴロツキに見つかったか。メイリンは後ろにいて」

 ミオンはメイリンの前に立って、ゴロツキたちから彼女を守っています。

「お前たち、金持ってるだろ? そんな服着てても、いい匂いをプンプンさせてりゃ、いいとこのガキだってバレバレバレなんだよ。とりあえず、有り金全部置いてきな。そうすれば、痛い目に合わないで済むぜ」

 男はナイフをチラつかせながら、メイリンたちを脅迫しました。

「これは、私が先生に頼まれた大切な物を買うためのお金です。あなたたちに渡すわけにはいきません」

 メイリンは、男をにらみつけながら、きぜんとした態度で返答します。

「なら、身体で払ってもらうまでよ。ふふ、そっちの姉ちゃんは身体の育ちがいいみたいだから、少しは楽しめそうだな。それになんだその格好は。お前、ガキのくせに男を誘ってんのか? とんでもない変態だな」

 雨でずぶ濡れになっていた二人は、濡れた服が身体にピッタリと貼り付いています。特に薄着のミオンは、服が透けていて、身体のシルエットが強調されていました。
 
「へへ、お嬢ちゃん、服が濡れて透けてるから、大事なところがくっきり浮き出ちまってるぜ。そんなの見せられたら、俺たちだって我慢出来ねえよ。ほら、こっちへこい!」

 男たちの一人が、ミオンの腕を掴もうとします。
 ミオンは素早く横に動いて腕を払うと、左足で彼の右足を薙ぎ払いました。

「ああっ!?」

 体勢を崩した男はそのまま転倒して、頭を激しく地面に打ちつけて、動けなくなりました。

「色気づいたメスガキがぁ! いい気になるんじゃねえぞ!」

 もう一人の男も腰からナイフを抜いて、刃先をミオンに向けます。

「女相手に刃物を出すなんて、恥ずかしい男ね。メイリン、そのまま下がっていて」

「うん」

 ミオンは、素早く地面から小石を拾い上げると、ナイフを持った男の顔面を目掛けて投げつけました。

「おっと、危ねえ!」

 男は、思わず顔をのけ反らせて石を回避します。
 ミオンはその隙を逃しません。彼女は男の頭を掴むと、自身の膝を彼のアゴにクリーンヒットさせました。

 ガツン。

 アゴからの衝撃で脳震盪を起こした男は、気を失って動けなくなりました。

 魅音は、倒れた男からナイフを奪うと、その男の喉元にナイフを当てながら、残りの男たちを脅します。

「今すぐ私たちの前から立ち去れ。さもなければ、この男の喉を切り裂くぞ」

 ゴォーン。

 近くで雷が落ちたのか、眩い閃光が走り、轟音が鳴り響いています。

 雷も恐ろしいですが、それ以上に、ミオンの眼から放たれる冷たい殺気に怖気付いた男たちは、無言でその場から立ち去っていきました。

「先に手を出してきたのはお前たちだ。落とし前をつけさせてもらう」

 ミオンは、倒れている二人の男が回復して動き出す前に、全体重をかけて彼らの首を何度も踏みつけます。

 ドスン。ドスン。

「ぐああああっ!」

 ミオンに首を踏まれるたびに、悲鳴をあげていた男たちは、やがて動かなくなりました。

「これでお前たちはもうしばらく動けない。私がまだ子供だと思って、甘くみたのが仇となったわね。私ね、あなたたちみたいな弱い男には興味が無いの。私の相手を出来るのは、私を倒せるくらい強い男だけよ」

「わー、相変わらずミオンは強いねー」

 メイリンは、ミオンと手を合わせて喜びます。

「ふふ、毎日道場に行って拳術の修行をしてるからね。それより、シェンリュ先生は何をメイリンに頼んだの?」

「あ、まだ言ってなかったね。先生は今回、新しい蒸留器を欲しがっているの。あ、蒸留器っていうのは、お酒の濃度をあげる装置のことだよ」

「へえ、先生はやっぱりお酒が好きなんだね」

「ううん、違うの。先生はお酒、全く飲まないんだよー。薬の原料になるから、もったいないんだって。蒸留器を使って、お酒をどんどん濃くしていくと、毒を消す薬が出来るんだよ」

「へえ。じゃあ先生はお酒から薬を作るために、大量に酒を買い込んでいたってわけか。意外だったよー」

「ふふ、そうなの。この薬があれば、大体の病気の原因になる毒は消すことができるんだって」

「そんなすごい薬を作れるんだ。すごいねえ。あ、今回買う蒸留器ってどんなものなの?」

「えーとねえ、大きな壺みたいな形をしているの。陶器のものがほとんどだけど、たまに青磁や白磁で作られた高級品もあるわ。上下に急須を重ねたような不思議な形をしているから、見ればすぐにわかるよ」

「へえ、面白そうな形をしてるのね。よし、それじゃあ雨が止んだら市場を探してみますか」

「うん、そうしよう。ううー、びしょ濡れで身体が冷えてきたよー。早く雨宿り出来る場所まで移動しよう」

 二人は、屋根のある場所に移動して、雨が止むのを待つことにしました。人がいなくなったので、二人は濡れた服を脱いで、手できつく絞って水気を切ります。

「着替えが無いから、帰るまでこれで我慢しましょう」

「どうせ干しておいても乾かないしね。でも、ずぶ濡れの状態よりはだいぶマシになったよ」

「服も透けなくなったしねえ」
 
「もう、それ言わないでよ。流石に私も恥ずかしかったんだから」

 ミオンが、顔を真っ赤にしながら答えます。
 
「あはは、ごめんね。でも、さっきは助けてくれて、本当にありがとうね」

「いいのよ。気にしないでー」

(やっぱりミオンは胸も大きくなったし、身体もむっちりとして大人っぽいなあ。背も伸びたし。私は十五歳になったのに、全然背も伸びないし、胸も全然膨らまないんだよね。なんでなんだろ?)

 メイリンは、衣服を身につけていないミオンの成長した身体を見つめながら、ため息をつきました。

「ん、どうかした?」

「いや、なんでもないよ。早く雨、止むといいねー」

「そうだねー」

 二人は、水を絞り切った服を再び着用して、手を繋ぎながら雨が止むのを待っています。

「ねえ、身体が冷えちゃった。しばらく抱き合って、身体温めない?」

「うん、確かにこのままじゃ風邪引きそう」

「だよね。それじゃあぎゅーってするよ」

 ミオンは、後ろからメイリンを抱きしめました。

「うわーミオンの身体、あったかいよ」

「メイリンもあったかい」

「ふふ、雨が止むまでこのままでいようねー」

(ミオンの身体、柔らかくて気持ちいい。もう少しすると、私もミオンみたいにふくよかな身体になるのかな?)
 
 二人は、ハグをして身体を温めあいます。
 それから三十分ほど経つと、雷の音が止み、空が明るくなりました。

「ようやく雨が止んだわね」

「さて、それじゃあお目当てのものを探しに行きますか」

 メイリンたちは、市場の中で陶磁器を扱う店を回ります。
 雨が上がった市場には人々が戻ってきて、活気が溢れていました。

 二人は、市場のお店を巡って、蒸留器を探しますが、なかなかお目当ての品が見つかりません。

「うーん、中々無いわね。やっぱり蒸留器は珍しいのかしら?」

「まあまあ、根気よく探してみましょう」

 五件目に訪れたよろず屋で、二人はようやく蒸留器を発見します。

「へえ、これが蒸留器なのね。本当に注ぎ口が二つあるんだ。大きな急須みたい」

「ね、面白い形をしてるから一目でわかるでしょう? しかもこれ、白磁だから本当に珍しい品だよ。すいませーん、これくださいなー」

 メイリンは、白髪頭の店主に声をかけました。

「こいつはお酒を作る道具だ。お嬢ちゃんたちにはちと早いと思うがね……。 おや、その髪飾りは――、そうか、シェンリュさんの使いで来たんだね。なるほど、それでは早く彼の元へ持っていってあげなさい」

 老人の店主は二人ににっこりと微笑むと、蒸留器をメイリンに手渡します。

「ありがとうございます。お代はここに置いていきます。これで足りますか?」

「ああ、十分だよ。シェンリュさんにいつもありがとうと伝えておいてくれ」

「はーい。ありがとう、おじいさん」

 メイリンは、蒸留器を落とさないように大事に抱えながら、ミオンと後宮へ戻っていきました。

「手伝ってくれてありがとうね、ミオン」

「どういたしましてだよ、メイリン。また一緒にお出かけしようね」

「もちろんだよー。またよろしくねー」

「でも、あまり無理はしないようにしないとね。だって私……」

「うん、なんか言った?」

「ううん、なんでもない。またねー」

「……あなたに何かあったら、生きていけないもの」

 メイリンと別れたミオンは、何故か愛おしそうにお腹をさすりながらつぶやきました。

◇◇◇

「先生、メイリン、ただいま戻りましたー」

 シェンリュの診療所に戻ったメイリンは、先生にあいさつします。

「おつかれさま、メイリン。おお、ちゃんと蒸留器を見つけられたようですね」

「えへへ、私、がんばりましたよー」

 メイリンは、いつものようにシェンリュに抱きついて頭を撫でてもらいました。

「あ、お店のおじいさんが、先生にいつもありがとうと言っていましたよ。とてもうれしそうでした」

 メイリンは、上目遣いでシェンリュの顔を見つめながら話します。

「ふふ。よろず屋の泰然(タイラン)さんがそう言ってくれるなら、何よりです。それじゃあメイリン。早速この蒸留器を使って、毒消しの薬を作ってみましょうか」

「はーい。それじゃあ私、お酒を用意してきます」

 シェンリュに頭を撫でられて上機嫌になったメイリンは、酒を取りに倉庫へと向かいます。

 メイリンがお酒を持ってくると、シェンリュは蒸留器をバラバラに外して、酒壺から汲んだ酒を蒸留器の中へと注いでから、元の形へと戻しました。

「メイリン、蒸留器の上の蓋を開けてください。そこに水を入れるんです。この水で、蒸気になった酒を冷やして液体へと戻すんですよ」

「なるほど、そういう仕組みになっているんですね。それじゃあ、水を入れますよ」

 メイリンは、蒸留器の上部に水を注ぎ込みました。

「よし、準備完了です。あとはこの蒸留器を火にかけるだけですよ」

 シェンリュは、蒸留器を火のついたかまどの上に載せます。
 しばらくすると、蒸留器の下の口から液体が流れてきました。

「よし、成功です。メイリン、これで毒消しの薬が出来ましたよ」

「やりましたねー、先生」

「ええ、これで私たちは毒を恐れずにすみます」

(まもなく華の国から流行り病がやってくる。その前に、できる限り多くの消毒薬を作らなくては――)

◇◇◇

 時を同じくして、陸国の中央を流れる大河の赤河で、とある小舟が発見されました。

 川にいた漁師たちは、小さな舟が河岸に流れ着いているのを発見します。

「ん? 見たことがない舟があるな。上流から流されてきたかー?」

「よく見ろ。人が乗ってないか?」

「おー、本当だー。おーい大丈夫かー?」

「すでに死んでいるみたいだ」

「おい、なんだよこれ……」

「すぐに村長をよんでこい。これはえらいことになったぞ」
 
 舟を発見した漁師たちはその異様な光景に恐怖して、すぐに村長を通して領主へと報告しました。

 あまりにも異様な事態だったため、領主もすぐに王府へと報告します。この件について、部下から報告を受けたトウミ宰相は、念のため、将軍のズーハオに軍による調査を依頼しました。

 すぐに軍の調査隊が、小舟が見つかった村へと派遣されました。軍の調査担当者も、そのあまりにも異様な光景を目の当たりにして、恐怖を覚えています。

「ズーハオ将軍、調査結果の報告にまいりました」

 ズーハオは、部下から今回の事件の報告を受けています。

「んふふ。なるほど、なるほど。舟に明らかに普通では無い死体が乗っていたというわけですか?」

「ええ、私も現地で死体を確認しましたが、あんなに不気味な死体を見たのは初めてです」

 舟に乗っていた死体には、無数の発疹があり、明らかに何らかの病を発症した形跡がありました。

「んー、これは大事になるかもしれませんねえ。それでは、後宮にいるシェンリュに話を聞いてみますか」

「薬師のシェンリュですか。確かに博識な彼なら何かわかるかもしれませんね」
 
 ズーハオは後宮へと向かい、薬師のシェンリュに会います。
 シェンリュはズーハオが苦手でした。彼の、宦官とは思えない筋骨隆々の体付きは、まさに将軍として相応しいものです。しかし、ズーハオは女性のように髪を伸ばしていて、顔にも化粧をしています。そのアンバランスさが、シェンリュにはたまらなく不快だったのです。
 
「ズーハオ将軍、あなたが直々にいらっしゃるとは……。何か大きな問題が起こりましたか?」

「お久しぶりですねえ、シェンリュ。実はあなたの意見が聞きたくてここに来たんですよー。実は最近、赤河のほとりで死体を積んだ舟が発見されましてねえ。それも、身体に発疹だらけの妙な遺体なんです。これだと、明らかに流行り病にかかって死亡したと思われる者でしょう? あなたはどう思いますか?」

「なるほど。そんなことがあったのですね。何者かが川の上流から意図的に流行り病で死んだ者をこちらに流している可能性があると思います。であれば、上流にある華の国の仕業でしょうね」

「やはりあなたもそう思いますか。華の連中さん、気持ち悪いことをしますねえ。あまり好きにはなれなそうです」

 ズーハオとシェンリュは、赤河の上流にある隣国の華が、流行り病を流行させるために仕組んだのではないかと推測しました。

「だとすると、今後、同じ死体を発見したら、舟ごと全て燃やすようにしてください。燃やすことで病の元となっている毒を消すことができます」

「わかりました。そのように指示しましょう。実は、ここからが本題なのですが、この舟が発見された村で、流行り病が出てしまっているのです。おそらくこの死体が原因かと思いますが、そちらはどうすればいいのでしょう?」

「感染者は毒を持っています。隔離して、感染していない者と接触しないようにしてください。そして、病で死んだ者は全て燃やして、体内の毒を消し去る必要があります」

「なるほど、そのようにさせましょう。ですが、病の薬はあるのでしょうか?」

「今、毒を消す薬を作っているところです。ですが、今はこの後宮を守る分だけで精一杯です」

「それで十分です。あなたはここを守ってください。ここにいるのは皇帝陛下の大切な奥方たちなのですから」

「わかりました。もし、流行り病がこの帝都まで流行したら、この後宮への人の出入は最低限に抑えたいのです。その時はズーハオ様からトウミ宰相へ進言していただけると助かります。それが後宮の女性たちを守ることに繋がりますので」

「わかりました。私から宰相に話しておきましょう。では、何かあれば、また報告しにきますよ。あ、何もなくてもまた遊びにきます。あなたの顔を見にね。ふふ、いつ見てもうっとりするぐらい綺麗な顔ですねえ。本当に女性だったらよかったのに」

 ズーハオはシェンリュの頬にキスをすると、彼らがいた部屋から立ち去りました。

(ここにいる女性たちは、あなたが楽しむために無理矢理連れてきたんでしょう? 皇帝がまだ若いことをいいことに、あなたは彼女たちに手を出して楽しんでいる。そんなことだから、ニセ宦官などと噂されてしまうんですよ。まあ、いずれあなたは――)

 シェンリュは、喉元まで言葉が出かかっていたのを、必死に抑えこみました。

「メイリン、もう出てきていいですよ」

「はーい」

 部屋の奥にある大きな葛籠の中から、メイリンが出てきます。

「ズーハオ将軍は見境なく女性に手を出しますからね。あなたを見かけたら、間違いなくこの部屋から連れ出していたでしょう」

「うー、怖いですー。でも、将軍は先生と同じ宦官なのにどうして女性に手を出すのでしょう?」

「去勢のやり方を上手く行うと普通の男性と同じように女性と関係を持つことが出来るのです。だから、見境なく女性に手を出す彼は去勢をしていないニセ宦官だと噂する者もいます。ここにいる女性たちは、彼に無理矢理連れてこられたのですよ。すでに結婚して夫がいる女性や、まだ子供だろうと彼には関係ありません。ズーハオ将軍は気に入った女性を見つけると、皇帝の名を使ってここに入れてしまうんです。もちろん、自分自身が楽しむためにね」

「そんなー。ひどいです」

「だから、私の助手としてここにいるあなたは恵まれているのですよ。それに、彼がここに来たとしても、あなたに手を出すような真似は絶対にさせませんから、安心してくださいね」

「ううー、先生、ありがとうございまーす」

 メイリンは、泣きながらシェンリュに抱きつきました。

「あ、ていうことは、先生も私とそういうこと、しようと思えば出来るってことですか?」

「さあ、どうでしょうねえ……」

 シェンリュは、メイリンからの思いがけない言葉に、言葉を濁しながら苦笑いするしかありません。

(先生はここにいる女性たちはって言った。ていうことは、ミオンもってことなの?)

 メイリンは、嫌なことを想像してしまいそうになり、それ以上考えるのをやめました。

◇◇◇

「本当に村を焼き払うのですか?」

 王宮内にある兵士の待機室で、一人の兵士が上官の命令に驚いています。

「そうだ」

 上官は、平然と兵士に返答しました。

「これはズーハオ将軍の、ズーハオ将軍の命令なのですか? あのお方がそのような命令を出すはずが無いです!」

 驚きと怒りを覚えた兵士は、大声で上官に疑問をぶつけてしまいました。

「大声を出すな! これはトウミ宰相からの直々の命令だ。ズーハオ将軍も知らない密命なのだ。くれぐれも慎重にやるのだぞ」

「しかし……」

「流行り病を出してしまった以上、その村の住民は処理しなくてはならない。原因となる毒を撒き散らす前にな」

「そんな……」

「深夜になったら、村に火を放つ。逃げ出してきた住民も全て矢で処理しろ。毒を持つ住民に接触しないように気をつけながらな」

 その日、小舟が発見された村で大火が発生しました。
 後の調査で、村の人々は全て亡くなったことが確認されています。

「こわいですねー。私が表立って出来ないことを裏でしっかりとこなす。さすがです、トウミ宰相」

 部下から村で大火が発生したと報告を受けたズーハオは、皮肉を込めて、そうつぶやきました。

 その後、陸の街中でも流行り病が発生します。街の人々は突然高熱を出して、全身に発疹が出現しました。

「やはり街にも広がったか」

 トウミ宰相は執務室で頭を抱えていました。

「案ずることはありません。毒を持つ人々を隔離すればよいのです。そして、毒を消せばいい。人間ごとね」

 宰相を後ろから抱きしめながら、白い仮面をつけた女性が、彼の耳元で優しくささやきます。

「今回は発症した人数が多い。ズーハオ将軍にお願いしてなんとかしてもらうしかないな」

「流行り病を発症した人物はいずれ死にます。そうであれば、毒を撒き散らして他の者に感染させる前に処分するのは懸命な判断かと」

「ふふ、わかっているよ。お前の言うとおり、国を守るためには適切な手段なことは間違いないさ」

 その後、トウミ宰相はズーハオ将軍に、軍を使って街の感染者を隔離することを命令しました。

◇◇◇

「やはり街へと広がりましたか。街はズーハオ将軍たちに何とかしてもらうとして、私は後宮を守らなければ」

 シェンリュは、メイリンを呼び出します。

「メイリン、しばらく後宮の外へ行くのは控えましょう。あなたも口と鼻を布で隠しなさい。そして、定期的に私が作った毒消の薬で手を洗うのです。わかりましたか?」

「はい先生。この時のために毒消しの薬を作ったのですものね」

「そうです。すでに後宮の人々にも毒消しを配ってあります。特に、調理を担当する者には念入りに毒を消すように話しました。ですが、食事にも注意しておきましょう。メイリン、いつもより念入りに毒味をしますよ」
 
 シェンリュは薬師として、作成した消毒薬を使い消毒を徹底させることで、流行り病を防ごうとします。

(この後宮は、私が守る。どんな手を使っても……)

 トウミ宰相はズーハオに、流行り病の対策として、死体は必ず火で燃やすことを指示して、王宮内への人の出入りも制限するように命じます。
 そして、軍を使って毒を持っている発症者を隔離することが流行り病を収束させる一番の方法であるとして、必ず実行するように話しました。

 ズーハオ将軍が軍の兵士に命令して感染者を隔離したことで、徐々に流行り病は収束していきます。しかし、彼はトウミが隔離した人々を秘密裏に処分していたことまでは、知らされていませんでした。

 華の国の薬師ジェルンは、陸にいる間者から流行り病が対策されたことを聞き、驚いていました。

「ちっ、私の策がこうも早く対策されるとは。陸の国にも凄腕の薬師がいるようだ。確かシェンリュとかいったか。まあいい、早く次の手を考えなくては――」

「焦ることはありませんよ、ジェルン」

 ジェルンの後ろから、トウミ宰相の執務室にいた仮面をつけた女性とそっくりな人物が現れます。

「すでに手は打ってあります。そのうち、シェンリュという薬師のことも試してみましょう。そして、私たちの邪魔になりそうな時は、消せばいい。ただそれだけのことです」
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