深を知る雨


 ◆



「着いたぞ」

私の肩を揺らして起こしてくれたのは泰久だった。まだ眠い私は二度寝しようとしたのだが、泰久がしつこく揺らしてくるので仕方なく起きて電車を出た。

駅の壁には、スプレーで沢山の人の名前や日付が描かれている。

おそらくここへ来た人が電車を待っている間に描いたものだろう。壁の落書きなんてこの辺じゃ珍しくないのだが、その壁だけ妙に気になった。

「描きますか?」
「そうだな」

え?と私が聞くよりも早く、泰久と一也が赤いスプレーで“東宮泰久”、“一ノ宮一也”と壁に文字を描き始めた。

通常軍外部には名前を伏せられているSランク能力者が、堂々と壁に本名を描いているのは妙な光景に思われた。

泰久は私を振り返って、

「描かないのか?」

と不思議そうに聞いてくる。

いや、これ普通に犯罪ですからね。1番こういうことしなさそうな泰久が何で積極的にしてるんですかね。

「……何でそんなノリノリなの?」
「俺達がこの世界にいる証になる。あるいは――ここに“いた”証か」

死んだ後も残るような何かを残す。ここにいた証を残す。泰久たちはそう言いたいのだろう。

戦争を経験している彼らだからこそ分かっている―――戦争が終わった時、私たち3人が生き残っているとは限らない。

それに、イタリィに入国したくらいなのだから、犯罪なんて今更だ。


私は書き終わった泰久からスプレーを受け取り、深呼吸して2人の名前の下に小さく描いた。


―――――“ 橘 哀花 ” 。


血のような赤い文字で、本名を。





< 102 / 115 >

この作品をシェア

pagetop