深を知る雨
一度だけ、帰る間際に雪乃は小雪の元へ向かった。
庭へ行ってもいないので、屋敷の中を探して、ようやく見つけた。
その顔はいつもの小雪ではなかった。随分疲れているように見えた。
「……小雪さん……?」
雪乃が話し掛けると、小雪は大きく体を震わせた。
そして何か恐ろしい物でも見るような眼で――脅えるような眼で雪乃を見た。
小雪が誰か別の人物に見えて、雪乃は思わず立ち止まる。
小雪は目を伏せて、雪乃に聞いた。
「―――…雪乃は、俺たちが兄妹だって、知ってた?」
「…………え?」
小雪の予想通り、芳孝は小雪と雪乃の血縁関係について、雪乃に何も言っていない様子だった。
おそらく小雪の口から言わせたかったのだろう。
芳孝のあの気味の悪い笑みを思い出し、小雪は吐き気を催した。
「初めて会った時、ちゃんとフルネームを教えておけば良かったね。……俺の名前は、澤小雪」
雪乃は、人の悲しそうな笑顔というものを初めて見た。
小雪は今にも泣きそうな表情で笑っている。
「な、泣かないでください」
「……泣いてないよ」
「嘘、泣いているでしょう?涙を流していないだけで」
「……っ」
「私、小雪さんと……兄様と兄妹で嬉しいです。初めて会った時から何となく感じていました。この人は他人じゃないって……。だから一緒にいて安心したのかもしれません」
小雪が何を悲しんでいるのか分からないまま、雪乃は小雪を慰めた。
しかし小雪からしてみればそれは逆効果で、自分の手を取ってくる雪乃の手を思わず振り払ってしまった。
(安心した?俺はこんな危険な男なのに?)
小雪は愛しいと感じていたはずの雪乃の無防備さに苛立った。
「―――もう、俺に近付かないで」
「…………え?」
「もう雪乃とは関わりたくない」
雪乃が傷付いたことは表情からして明らかだったが、小雪は彼女に背を向けて歩き始めた。
(これでいいんだ)
初恋は報われないというが、これはあまりに報われなさすぎじゃないだろうか?と、小雪は自嘲した。
(俺は、雪乃に関わっちゃいけない)
大丈夫、これからの人生では色んな女性と出会う。
きっと本気で好きになれる人が現れる。
大丈夫―――こんな恋心は、すぐに忘れられる。
そう自分に言い聞かせ、小雪は自分の日常に戻ることにした。
尤も、小雪の日常の崩壊はこの時既に始まっていたのだが。