深を知る雨



一度だけ、帰る間際に雪乃は小雪の元へ向かった。

庭へ行ってもいないので、屋敷の中を探して、ようやく見つけた。

その顔はいつもの小雪ではなかった。随分疲れているように見えた。

「……小雪さん……?」

雪乃が話し掛けると、小雪は大きく体を震わせた。

そして何か恐ろしい物でも見るような眼で――脅えるような眼で雪乃を見た。

小雪が誰か別の人物に見えて、雪乃は思わず立ち止まる。

小雪は目を伏せて、雪乃に聞いた。

「―――…雪乃は、俺たちが兄妹だって、知ってた?」
「…………え?」

小雪の予想通り、芳孝は小雪と雪乃の血縁関係について、雪乃に何も言っていない様子だった。

おそらく小雪の口から言わせたかったのだろう。

芳孝のあの気味の悪い笑みを思い出し、小雪は吐き気を催した。

「初めて会った時、ちゃんとフルネームを教えておけば良かったね。……俺の名前は、澤小雪」

雪乃は、人の悲しそうな笑顔というものを初めて見た。

小雪は今にも泣きそうな表情で笑っている。

「な、泣かないでください」
「……泣いてないよ」
「嘘、泣いているでしょう?涙を流していないだけで」
「……っ」
「私、小雪さんと……兄様と兄妹で嬉しいです。初めて会った時から何となく感じていました。この人は他人じゃないって……。だから一緒にいて安心したのかもしれません」

小雪が何を悲しんでいるのか分からないまま、雪乃は小雪を慰めた。

しかし小雪からしてみればそれは逆効果で、自分の手を取ってくる雪乃の手を思わず振り払ってしまった。

(安心した?俺はこんな危険な男なのに?)

小雪は愛しいと感じていたはずの雪乃の無防備さに苛立った。

「―――もう、俺に近付かないで」
「…………え?」
「もう雪乃とは関わりたくない」

雪乃が傷付いたことは表情からして明らかだったが、小雪は彼女に背を向けて歩き始めた。

(これでいいんだ)

初恋は報われないというが、これはあまりに報われなさすぎじゃないだろうか?と、小雪は自嘲した。

(俺は、雪乃に関わっちゃいけない)

大丈夫、これからの人生では色んな女性と出会う。

きっと本気で好きになれる人が現れる。

大丈夫―――こんな恋心は、すぐに忘れられる。


そう自分に言い聞かせ、小雪は自分の日常に戻ることにした。

尤も、小雪の日常の崩壊はこの時既に始まっていたのだが。



< 114 / 115 >

この作品をシェア

pagetop