深を知る雨
Eランク寮へ向かう途中、樹上に見慣れない小動物がいた。
端末に映して検索すると、出てきた単語は“ツパイ”。東南アジア辺りに分布するリスに似た哺乳類らしい。
「誰だ」
怪しすぎると思い、ツパイに向かって低い声で聞いた。動物に意識を移して動くというのは、よくある情報収集の方法でもある。
この軍事施設もそれを警戒して対策は取っているはずだから、それでも入ってこれたということは相当やり方がうまいということ。大物の予感がする。
『さっすが鈴だねェ』
……この声はまさか。
「……ティエン?」
『せーかい。何で能力者だって分かったのォ?ここ他の動物もちょこちょこいるし、完璧だと思ったのに』
ツパイの姿をしたティエンが、木から降りて私の肩に飛び乗る。
「ツパイの主な生息地域は東南アジアらしいよ?さすがにこの中にいたら浮くよ?何でツパイにしたのか全く分からないんだけど」
『可愛いっしょ?広東省で見かけた時から飼いたいと思ってるんだよねェ』
「単に好きなだけかよ……。ていうか何でいるの。もしかしてこれまでもよく来てた?だからうちのSランク能力者の名前知ってたの?」
『さァどうでしょう』
「摘まみ出すぞ」
『ボクここから出されたら帰るとこないよォ』
「何?また家出?」
喧嘩でもしたんだろうか。
大中華帝国の将官、佐官は同じ場所に住んでいる。ティエン以外の将官たちは普段ティエンに脅えているが、本気で怒るとオカン力を発揮してティエンを無理矢理にでも追い出そうとする。反省するまで家に入れませんってやつだ。
大方ティエンがまた何か好き勝手して、他の将官佐官に我慢の限界が来たといったところだろう。Sランクの収容能力者とはいえ、大中華帝国を代表するAランクの将官や佐官を何人も同時に相手することは難しいはずだ。
『そーそー家出。暫く鈴の部屋に泊めてよ』
「速やかに国にお帰りください」
『いいのォ?そんなこと言って。哀に構ってもらえなくて暇を持て余したボクがここの軍人殺しちゃうかもよ』
「……あんたがそんなことしたら日中の同盟関係が危うくなるよ?」
『それで困るのは鈴でしょう?ボクは正直国同士がどうなろうが知ったこっちゃないしィ』
獰猛な虎とか言われてるこの男ならやりかねない。ここで追い払っても素直に国に帰るとは思えないし……仕方ない、今日のところは部屋に連れてってやろう。
ツパイの姿をしたティエンを寮の部屋に入れると、ティエンは私の肩から降りて早速人の姿になった。
「狭~」なんて言いながら部屋のあちこちを見て回っている。狭くて悪かったな。
「晩御飯はもう食べたの?」
「食べてないって言ったら何か作ってくれるのォ?」
「インスタントって、知ってる?」
「マジつれねェ。鈴ってボクにだけ冷たくない?」
「年下の扱い方が分からないだけ」
お腹が空いて死にそうという状態には見えないので何も出さず放っておくことにした。無遠慮に椅子に座るティエンを見て、この無遠慮さなら何かあっても勝手に自分でこの部屋のもん使うだろうし、無理に面倒見なくても大丈夫だろうと少しほっとする。
空気だ、こいつは空気だと思って生活しよう。
ご機嫌な様子のティエンは、お風呂に入ろうとする私にニヤニヤしながら言った。
「鈴ってここじゃ哀って名乗ってるんだね」
「鈴も哀も偽名だよ」
「知ってる。でもボクはどっちの名前も似合ってると思うな」
「そりゃどーも」
「鈴で不幸を呼び寄せて、哀しい人生を送りそう。…ってか、もう送ってるか」
「人生楽しいんですけど?決めつけないでくれます?」
「ダウト。」
びしっと得意気に指を差された。
「鈴はずっと何かに追われてるみたいな顔してるよ。早く戦争に行きたい、早く中国へ行きたい、早く戦争に勝ちたい、って感じィ」
「……」
「そんなに焦っててほんとに楽しい?何でそこまでこの戦争に関わろうとするのか知んないけど、本当に自殺志願者みたいだ」
「――お前には関係ない」
一睨みしてシャワールームに入り、入ってこられても困るので電子ロックする。
はー、びっくりした。ティエンって私見ながらあんなこと考えてたんだ。……もうただの子供じゃないってことなのかな。
私の次にお風呂に入ったティエンが出てくる頃には、時計はもう11時を過ぎていた。髪から滴をボタボタ床に落とすティエンの髪を無理矢理タオルで拭いてからベッドに入ろうとすると、ティエンはまたにやにやしながら言ってくる。
「一緒に寝よ」
「床で寝ろ」
「えー何で~」
ベッドに入ってこようとするティエンの腹を足で蹴って距離を置く。
不服そうに唇を尖らせるティエンに背中を向けて寝転がると、それでも諦めないティエンはもそもそと私のベッドの中に入ってきて、ぴったり背中にくっついた。
「ボク子供だから一人で寝れなーい」
「……」
都合の良い時だけ子供扱いを要求してくるティエンに溜め息が漏れたが、もう抵抗するのも面倒でそのまま目を瞑る。少し苦しいが、眠れないほどではない。
――斯くして、私とティエンの同居生活が始まったのであった。