深を知る雨


 《14:30 訓練所廊下》小雪side


午後の訓練の合間の休憩時間。休憩所へ向かう途中、廊下の向こう側から紺野芳孝が歩いてきているのが見えた。……やっぱり来たか。

「あれはどうだった?」

すれ違い様、紺野芳孝が俺の耳元でそう問うた。

「いい声で鳴くだろう」
「……」
「僕が知らないとでも思ったかい?雪乃は僕に隠し事ができない」

この男が雪乃の変化に気付かないとは思えないし、元から雪乃が隠し通せるとも思っていない。そろそろ面白がって何か仕掛けてくるとは思っていた。

「……それを言いに、わざわざこちらへ?」
「いや、僕もそれほど暇ではないよ。今日は君に少し頼みたいことがあってね」

ろくでもない頼みであることは容易に想像できる。やはり俺で遊びに来たらしい。

「どうもこの超能力部隊に売国奴がいるようなんだ。君には裏切り者探しに協力してほしいんだよ」
「お断りします」
「ほう……今日は随分強気なようだ。君があれを抱いたことを、君の親戚中にバラせばどうなるだろうね?」
「どうぞお好きなように」

誰がお前の言いなりになるか。どうせろくに会うこともない親戚だ。軽蔑されたって関係ない。俺は哀と雪乃がいればそれでいい。

俺が吐き捨てるように言ったのが意外だったのか、紺野芳孝はきょとんとしたが、すぐにククッと面白そうに笑った。

「ああ、そういえば。君がよく一緒に話している――千端哀という隊員がいるだろう」

……こいつ。俺が逆らった時のためにもう1つ脅しの材料を用意してやがったのか。

この男がこちらへ来ることなど滅多にないために、哀と一緒にいるところは見られていないと思っていた。

哀といる時の俺を見れば、この男なら一目で分かるだろう。哀が俺にとって特別な存在であると。

「どこかで見たことのあるような顔をしていると思ってね。少し気になっているんだ。今度紹介してくれないか?」

直接的に言ってきてはいないものの、脅しであることは明白だった。この男がその気になれば、哀のことを調べさせることができるだろう。人の過去を探らせるのが好きな男だ。人の過去を調べれば、多くの場合必ず何らかの弱味が出てくるから。

この男は、俺が言うことを聞かなければ、今度は哀を玩具にすると暗に伝えてきている。しかし哀の場合、過去よりも何よりもまず調べられてはいけないことがある。哀は女であることを隠したいはずだ。憶測だが、特に紺野芳孝のような上層部の人間には。

……おそらくこの男なら、隠してもすぐ気付くだろう。

どうして哀がここにいるのかは知らない。でも、何か重要な目的がないとわざわざ超能力部隊に入隊したりしないと思う。

紺野芳孝に、哀の邪魔をさせるわけにはいかない。

「……頼みたいこと、とは?」
「乗り気になってくれたようで嬉しいよ。君には拷問を頼みたいんだ。怪しい人間のリストは作ってある。君なら瞬間移動能力で相手を痛め付けることも、治癒能力で治すこともできる。適任だと思わないかい」
「……いいえ全く」

ただ売国奴かどうかを確認したいだけなら読心能力者にでも頼めばいい。

わざわざ拷問なんて古風なことをさせようとする理由は――

「あんたは単に俺の手を汚したいんでしょう」

こうだとしか考えられない。

「ハ、汚す?何を言ってるんだ、君は」

紺野芳孝は眉を下げて心底可笑しそうに笑った。

「君はもうこれ以上無いくらい汚れているじゃないか。手が汚れたところで何だと言うんだ」

つきりと今更胸が痛むのは―――その通りだと心のどこかで思っているからなんだろうか。




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