深を知る雨



 《13:00 軍事施設内》雪乃side


今日は大学がお休みだったため、早めに軍の施設に来た。今までは来るのが嫌だったこの場所も、最近は軽い気持ちで立ち寄れるようになった。

兄様が私を拒絶しなくなったからというのもあるけれど、それよりも影響しているのは――

「ゆ、雪乃!?凄い!オレ今雪乃のこと考えてたんだ!」

――何故かいつも私を見つけるこの人。

「……そうなんですか。ありがとうございます」
「これは運命だ!」

一人で盛り上がっているのは、最近知り合った、兄様のご友人の哀様。

自暴自棄になって抱いてくださいなんてわけの分からないことを急に言ってしまった私の本心を見抜き、これまた急に泣き出した私を嫌がること無く傍にいてくれた方。

身長は私と同じくらいで、口元にホクロがあって、たまに寝癖がついてて、笑うと八重歯が見える、明るくて可愛い男の人。

「こっち来てるってことは、今日も性欲処理?」
「そう、ですね。一応」
「雪乃さー、それ、辛くない?」
「え?」
「雪乃って体と心切り離して考えられるようなタイプに見えないし、仲良くもない男に抱かれるのってやなんじゃないかなーって。あ、これオレが勝手に思ってるだけだから違ったらごめん」

黙ってしまった。図星だったから。

兄様に抱かれた夜からは特に、他の男性に抱かれることに対して落ち着かない気持ちを抱くようになってしまった。

何をされても兄様と違う、と感じてしまう。

兄様はこんな匂いしない、兄様はこんな風に乱暴な触れ方しない、兄様は私を抱いた後、私に背を向けて寝たりしない――いけないと分かっていても、一ノ宮様と兄様を比べてしまう。

でも辛いと言って何かが変わるわけでもない。義父様の命令は絶対で、Sランクの性欲処理係をやめたいなんて聞いてもらえるはずがない。

「……雪乃、今から時間ある?」

答えられなくなった私に気を使ってか、哀様が話を変えるようにそう聞いてきた。

「オレもうちょっとしたらS、A、B、Cランクの合同訓練見に行くんだけど、一緒にいかない?差し入れ持ってさ」
「差し入れ……?」
「最近小雪、ろくにご飯食べてないみたいなんだよ。雪乃の作ったものなら食べるかなーって思って。今からオレの部屋で何か作ろーぜ」

そこまで言って、哀様はハッと気付いたように深刻そうな表情をした。

「いや、でもそれは危ないか……あんだけ強い男共がいる中に雪乃を連れていくのはさすがに危ない……?」
「え、どうしてですか?」
「そりゃあ雪乃は男を狂わせるほどの魅力の持ち主だから、雪乃を見て理性を失った獣が雪乃を襲う可能性も……」
「ちょっと何言ってるのかよく分かりませんが、多少襲われても問題はないですよ。幼い頃から少林寺拳法を習っていますから」
「……ま、まじですか」

哀様にも驚かれてしまった。このことを言って驚かなかった人は今まで一人もいない。何でだろう。


私をEランク寮まで連れてきてくださった哀様は、入る前に「あ、ちょっと待ってね!」と端末を取り出して何やらどこかに連絡し、

「今は大丈夫っぽい」

と謎の言葉を発して部屋のドアを開けた。

……何だか先日来た時と随分お部屋の様子が変わったような。こんなソファ、置かれてましたっけ?

「あんま時間ねーから簡単なもんしか作れないだろうけど、やっぱ差し入れといえば蜂蜜レモンだよな~」
「蜂蜜レモン、ですか。でもあれって冷蔵庫で数日置いておかないとダメなんじゃありませんでしたっけ?」

チッチッチッ~と哀様が人差し指を振り、私をキッチンへ連れていく。

そこには見慣れない形の小さな冷蔵庫があった。

「超能力部隊の寮の部屋には超能力を利用した最新型の冷蔵庫が設置されているのだ!この中に入れれば3日掛かるものも3分で済むよ!」
「す、すごい……。さすが能力者だらけの寮ですね」

哀様は得意気に鼻を鳴らし、端末でレモンと蜂蜜、グラニュー糖を注文する。

ロボットがすぐに飛んできて、注文の品を部屋まで届けてくれた。

哀様は早速準備を始め、私も哀様に促されるままレモンを塩で洗う。

「気持ちを込めて!料理は愛情だって千代さんが言ってた!」と隣で応援してくる哀様は言うが、千代さんって誰。

「哀様も作ってはいかがですか?私ばかりというのも……」
「えー、でも小雪のやつは雪乃に作ってほしいからなぁ」
「えーっと、では哀様は他の方への蜂蜜レモンを作るというのはどうでしょう?」

私の提案に、哀様はハッと気付いたように大きく頷き、私と同様にレモンを塩で洗って輪切りにし始めた。

誰か思い浮かぶ人がいたんだろう。

暫くお互い無言でレモンを薄く切り、タッパに蜂蜜を入れ、グラニュー糖を掛けてレモンを置き、その上にまた蜂蜜、グラニュー糖、レモン……と繰り返して、最後には蜂蜜をたっぷり入れて蓋を閉め、最新型の冷蔵庫とやらに入れた。

あとは待つだけだ。……兄様、喜んでくれるかな。

「久しぶりだなー、こういうの。出来が楽しみだ!」

哀様は隣の部屋の音を盗み聞きしようとする時のような体勢で冷蔵庫に耳を当てながら楽しそうに笑っている。

「私もです。家事ロボットが普及してから、キッチンに立つ人って少なくなりましたもんね」

こんな風に何か作るのって何ヶ月ぶりだろう?

楽しかったし、たまには自炊もいいかもな、なんて思っていると。

「あれェ?男かと思ったら女かァ」

唐突に後方から聞こえてきた若々しい声にびっくりして振り返る。そこにいたのは、おそらく高校生くらいの男の子。

愉しげに不気味な笑顔を浮かべてこちらを眺めている。

……何この子、全く気配が無かった。

随分とカラフルな服装をした、外に出れば目立つであろうその男の子は、ばっちーんと私たちに向かってウインクする。

「来ちゃった~」

だ、誰……?哀様のご友人だろうか。

でも何でロックしてるのに入ってこれてるんだろう、と哀様の方をちらりと見ると、哀様は酷く青ざめていた。

「お前夕方まで帰ってこないんじゃなかったの!?」
「そのつもりだったんだけどォ、鈴が誰か部屋に連れ込むみたいだから面白そうだなって思って戻ってきちゃったァ」

リン……?哀様のあだ名?

「初めまして~。ボクの名前はティ、」
「太郎!こいつの名前は太郎!同じEランク隊員なんだ!」
「そ、そうなんですか。えっと……初めまして、太郎さん。私は澤雪乃といいます」
「よろしくねェ、雪乃チャン。ボクは鈴の恋人なんだ」
「おまっ……勝手なこと言うな!!」
「あ、哀様……まさか未成年に手を出してるんですか……!?」

哀様の恋人を名乗る男の子を改めてもう一度見る。

セミロングの金髪。多分軍の規則違反だ。でも規則違反しそうな顔してるし納得。

今時の子って感じだなぁ。

「哀様……こういう方がお好きなんですね」
「違うからね?恋人ってのはこいつが冗談で言ってるだけだからね?」

哀様が血走った目で否定してきたので、ようやく二人はただの友人関係であることを理解する。

「鈴って呼ばれてるんですか?」
「…………ま、まーな!あだ名なんだ!」

……何だろう今の間?

そんな私たちを見た太郎様は、にやにやしながら一歩近付いてくる。

「鈴ってば、女子大生部屋に連れ込んでるとこ誰かに見られたらやばいんじゃねェの~?」
「……何で私が大学生だって分かったんですか?」
「バッチ外すの忘れてるよォ?」

太郎様が自分の胸元をトントン、と指で叩く。

あ、と今更気付いた私は慌てて胸元の小さなバッチを外す。

大学にいる間、学生はバッチを付けなければいけない。ルールを無視して付けてない人もいるけど。

今気付いたらしい哀様は、感心したような表情をする。

「そのバッチ8年制の大学じゃん。雪乃頭いいんだな」
「いえ、そんなことは……」

最近になって国は総合大学を解体し、学部ごとの大学を建設した。大学によって短くて4年、中間が6年、長くて8年。普通は6年で、特殊な大学だけ8年制になったのだけど、就職に有利な8年制大学を志望する人は多く、一般に8年制は偏差値が高いと言われている。

とはいえ私なんて受験に受かっただけの人間で、周りの優秀さに付いていけないくらいだ。上には上がいるし、上にいけばいくほど劣等感が募る。

自分の学力について褒められるのは居心地が悪くてあまり好きではないので、話題を変えることにした。

「姉様も8年制大学ですよ」
「え、楓?もしかして同じ大学?」
「いえ、8年制と言っても習っている分野が異なるので……。姉様の大学は文学を中心に学ぶらしいんですけど、私は創薬系なんです」

文学が好きな姉様が8年制の大学に行くと言い出したから、私も好きなことを突き詰めたいと思って頑張って勉強した。

あの義父に預けられたことに対して感謝する点があるとしたら、それは姉様が私の義理の姉になったことだ。

姉様はどうしたらあの義父とどこぞの女の人の間からこんな良い女性が生まれるんだろうってくらいしっかり者だし、私に優しくしてくれる。

「いいなァ。ボクなんて将来的には強制で大中華国防大学行かされるんだよ?キョーミないってのォ」
「おおっとお!!冷蔵庫が鳴ってるなぁ!!蜂蜜レモンができたなぁ!!そろそろ行こうか雪乃ぉ!!」

急に大声を出した哀様は、タッパを2つ冷蔵庫から取り出し、私の腕を引っ張って早足で部屋を出る。

……大中華国防大学って、中国にある軍事学校ですよね?

哀様は友人まで不思議だと思った瞬間だった。



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