深を知る雨
太郎様を部屋に置いて私を広いグラウンドの隅まで連れてきた哀様は、そこにあるベンチに腰掛けた。
向こうの方でCランク隊員が何やら道具を使って訓練しているのは分かるが、ギリギリどの人が兄様かが判断できる程度で、そう近くはない。
「これ、渡せるタイミングあるんでしょうか……?」
「何か今日は終わるの早いみたいだし、もうすぐ渡せるぜ。……あ、ほら!言ってる側からもう終わったみたい」
おーい、と哀様が兄様に向かってぶんぶん手を振る。
兄様はまず哀様に気付き、その後その隣にいる私に気付いて目を丸くした。
幻だと思ったのか目を擦り、その後もう一度私を見て慌てて走ってくる。
「何でいるの?」
「あっ、え、えっと……蜂蜜レモンを……」
兄様の前となると挙動不審になってしまう私は、ブルブル震える手でタッパを差し出した。
兄様はきょとんとしてタッパと私を交互に見る。
何だか照れ臭くなってきて俯くと、
「あ、……ごめん、汗臭い?」
兄様は私の動作から勘違いしたらしく私から一歩離れてしまった。
確かに訓練の直後だし、兄様は汗をかいている。でも。
「そ、そんなことないです!兄様は汗かいてても別に……いえ汗の臭いも好、……っい、いえ、何でもありません」
また変態みたいなことを口走りそうになったところを何とか引っ込めた私は、恐る恐る兄様の顔を見上げるが―――そこには意地悪モードの兄様がいた。
兄様はタッパを受け取り、私を覗き込んでくる。
「汗の臭いも、何?」
「え……い、いや、だから、何でもありません」
「嘘つき。汗の臭いも好きって言いかけたくせに」
「分かってるならわざわざ聞かなくても……!」
「うん、分かってるよ?雪乃が俺の衣類の匂い嗅いで興奮する相当な匂いフェチってことは」
「きゃああああああああああ!哀様の前で何言ってるんですか!?やめてください!」
「今も俺の汗の匂いで興奮しちゃった?雪乃のえっち」
「してません!してませんからぁぁ!」
思わず哀様の耳を両手で塞ぐが聞こえているようで、哀様は苦笑いしている。
哀様に……!哀様に変態って思われてしまう!
焦って何とか言い訳しようとしていた時。
グラウンドの一番向こう側で、大きな音がした。
目を凝らせば、Sランクの東宮様とAランクの皆様が対峙しているのが何とか見える。
「……始まったか」
隣でぼそっと呟いた哀様の顔は真剣そのもので、ああ、今日はこれを見に来たんだなと思った。