深を知る雨
《14:30 Sランク寮居間》一也side
「Aランクに負けたそうですね」
「あぁ」
「哀花様が不思議そうにしていましたよ。泰久様が約束を破るのは珍しいと」
それ以前に何故負けたのかも気になるところなのだが、今は哀花様の注文が先だ。
まったくあの女王様は、僕を扱き使いやがって。後で覚えてろよ、好きにしていいっつったのはそっちなんだからな。
「何か約束を破らなければならなくなるほどのことがおありになったんですか?」
僕がそう問えば、泰久様は紅茶を一口飲んだ後、カップをテーブルに置いてゆっくりとこちらに視線を向けた。
「俺に蜂蜜レモンは無かったんだぞ?」
「……は?」
何をまた、わけの分からないことを。
泰久様は時々ずれたことを言うから困る。予想外過ぎて思わず素の声が出てしまった。
「……ええっと、それはどういう意味でしょうか?」
「……」
ここでだんまりかよ、意味分かんねぇ。
質問の仕方を変えようと口を開いた―――その時。
玄関の方から物凄い音がして、同時に寮全体が揺れた。
……何だ?
居間から廊下に出ると、玄関のドアが綺麗に外れていて。
その先に立っていたのは、Aランクの紺野楓と皐月里緒。
……まさかとは思うが、気流操作と念動力でこの強固なドアを突破したのか。
野蛮すぎる、控えめに言ってドン引きだ。
凄い音がしたせいで上から下りてきたらしい哀花様も、その光景に目を丸くしていた。
僕の後ろから顔を出した泰久様も、困惑した顔で外れてしまった玄関のドアを見ている。
「…………何の用ですか」
「あんたらが約束破るって言うから、強行突破しようと思って」
ふん、と鼻を鳴らすのは紺野司令官の一人娘であるはずの紺野楓。
こんなことを首謀して……本当にあの司令官の娘か?一体どんな教育を受けてきたんだ。
「何で僕がこんなこと…」
「だははははははは!マジで底辺がSランク寮に居やがる!釣り合わねぇ!ひーっ!だははははははは!」
ぼそっと不満げに呟く皐月里緒と、その後ろから現れて何が面白いのか腹を抱えて笑う大神薫。その隣にいるのはやる気の無さそうな相模遊。
思った以上に厄介な連中だな。
能力を使って無理矢理追い出すのは簡単だが、立場上泰久様か哀花様の指示を待たなければならない。
そう思ってちらりと哀花様を見ると――
「ふっ…あはっ……あはははははは!」
哀花様まで大神薫のように笑い始めた。
「はははははははははは!やばい!皆やばい!Sランク寮のドア壊すのはやばいでしょ!伝説だよ!?あはははははははは!」
「な、何よ。そんなに笑わなくても……こっちはあんたを取り返すために、」
「うん、そっかそっか、ここまでしてくれたか~……ふっ、ふは、ふははははは!あはっ……あははははははは。……っふー……」
どうにか笑いを抑えたらしい哀花様は、こちらを振り向き、少し申し訳なさそうに微笑んだ。
「――ねぇ泰久、ごめん。こいつらと一緒にいるの楽しいんだ。心配してくれるの分かってるけど、楽しいんだ」
「……」
「ここに来て2番目にできた友達なんだよ」
「……」
「こいつらと関わっていくうえで、泰久に心配されるようなことは極力しない。約束する」
「……」
「ね、お願い。今からこいつらと遊んでもいい?」
「…………分かった」
意外だった。頑固な泰久様が了承するとは思わなかった。
泰久様の言葉にパアッと明るくなった哀花様は、嬉しそうにAランクの連中を連れて外へ出ていく。
残されたのは、僕と泰久様、……そして外されたドア。
「いいのですか?本当に」
「あんな顔を見て、止められるわけがないだろう」
「あんな顔?」
「あいつは、久しく俺たちの前であんな笑顔を見せない」
泰久様は静かにそう言って居間へ戻っていく。
「大人として認めてやるのが当然だ」
「……そんな顔をしながら言うことですか」
「は?」
この鈍感男、やはり自覚はないのか。
「泰久様、あなた、―――めちゃくちゃ拗ねてるじゃないですか」
無理もない。泰久様からしてみれば、大切に育ててきた娘が離れていくといった感覚なのだろう。
大晦日もAランク隊員と過ごしていたようだし、明らかに僕たちより優先されている。
「拗ねてなどいない」
あーはいはい、ソウデスネ。まぁ、気持ちは分かりますよ。
いつか哀花様が、もし本当に僕たちから離れていこうとしたら。
僕はきっと、哀花様を縛り付けずにはいられないだろうから。