深を知る雨


 《14:30 軍事施設内中央統括所》小雪side


紺野芳孝の言う拷問とやらを始めて3日。

未だ有力な裏切り者候補は絞れていない。

誰も彼もが無実なのだから驚きだ。

何も知らない人間相手に拷問したって意味はない。

それは自白を強いているのではなく、ただ痛め付けているだけだ。

これまで痛め付けた相手は全員何も知らなかった。


……本当に、このリストの中に売国奴がいるのか?


俺のしていることは無意味ではないのか?

勘でしか無いが、例の売国奴は、こんなリストに載るようなヘマはしない気がする。

痛め付けた人間に対しては、記憶消去技術よりはリスクが少ない記憶入れ換え技術で痛め付けられた記憶を他の記憶と入れ換えさせているらしい。

だから後に俺を見ても自分を痛め付けた奴だとは分からないらしい。が、俺の方はどうしたって忘れられない。

痛め付けた相手の悲鳴。苦しむ顔。臭い。当然感じて気分の良いものではない。

……いや、これも紺野芳孝から哀を守るためだ。そう考えれば、これくらい何てことない。

リストに載っている名前はあと2つ。この拷問ごっこも終わりに近い。

軍事施設の敷地内に立つ、最も広い建物の中の一室が、総司令官である紺野芳孝の部屋だ。

そこで紺野芳孝に対する報告を終え、部屋を出て廊下を歩いていた俺の元に、紺野芳孝が後から付いてきた。

……何の用だ?

「君は本当に人の話を聞かないな。今日はまだ伝えたいことがあったのに、すぐ出て行くなんて酷いじゃないか」
「紺野司令官と同じ空間の空気を吸いたくないんですよ。付いてくるならさっさと用件だけ言ってもらえますか?」

日に日に冷たくなる俺の態度に対し、ククッと面白そうに笑った紺野芳孝は俺の前方に立つ。

「もう一人、疑わしい人間が増えてね」

行く手を阻まれ立ち止まった。

「―――千端哀、と言うらしい」
「……は?」
「聞こえなかったか?千端哀だ。君がよく一緒にいるあのEランク隊員」
「有り得ません。何かの間違いです」
「しかし現在最も怪しい人物は彼なんだ。敵国でもスパイとして何度か名前が出ているし、彼、随分経歴を偽造しているようじゃないか」

―――哀が何者か。それは俺も知らない。

頭ごなしに否定はできない。

哀が売国奴ではない、とは、言い切れない。

俺は哀が売国奴だって構わない。だが総司令官であるこの男にとっては違うだろう。

嗚呼、この男は。

「哀を拷問しろって言うんですか……?」

どうしてそう、残酷なことばかり思い付くんだ。

「君の理解力にはいつも助かっているよ。いちいち説明をしなくて済む」
「……ッ」
「近々千端哀をこの場所に連れてこよう」

笑っているのに冷たい目。俺は紺野芳孝の、こういう目が大嫌いだ。

「好きな女性が実の妹。友人は売国奴疑い。……君は本当に不幸体質だな。見ていて飽きない」

紺野芳孝は俺の耳元で愉しそうにそう囁き、俺の隣を通り過ぎて部屋へ戻っていく。

その背中を振り返って芽生えたのは、今まで誰に対しても抱いたことのない感情だった。

い っ そ 殺 し て し ま お う か ?

簡単だ。ぶつければ死ぬ固さの物をあいつの頭上に瞬間移動させればいい。

一瞬で終わる。一瞬で俺は解放される。

もう苦しまなくていい。

この男の言いなりにならなくていい。

心臓の鼓動がやけに速い。

息も僅かに荒くなっているのが分かる。

拳を握りしめ、能力を発動させようとした―――その時だった。


――……「……小雪が苦しんでたら傷付く」


哀の言葉が頭に響く。

一瞬にして体の力が抜けた。

「……っ、はぁ……」

息を吐いた。苦しさが少しだけ和らぐ。

顔を上げると、紺野芳孝はもう見えなくなっていた。


―――あの男を殺すとして、唯一悲しむことがあるとするならば。

あの男を殺せば、きっともう哀や雪乃には会えなくなるということだ。




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