深を知る雨
「あぁ。まさか小雪くんがあれほど感情的になってくれるとは思わなかったがね。驚いたよ、あの部屋で能力が使えないと分かれば殴りかかってきたんだから」
「……そのわりには楽しそうですが?」
「予想外にも従順な駒の1つが僕に歯向かったんだ。ドラマや映画でも、予想外の展開というのは面白いものだろう?」
「そうやって今まで小雪を苦しめてきたんですか?ただ小雪の反応を見るために?小雪はあなたの玩具じゃないんですよ?」
「君は怒っているのか?小雪くんの友達だから、かな?……実に若いね」
まるで金魚鉢の中の金魚を観察しその動きを楽しむかの如く笑う紺野司令官の目元の皺が、酷く恐ろしく感じる。
「……拷問させようとしたのは、何故です」
「君にスパイ容疑が掛かったからだ。もっとも、僕の中で今その疑いは晴れたがね。君がスパイなら、こうして堂々と僕と関わりを持つことは避けるだろう」
スパイ容疑……やっぱりね。
イタリィで内通者が千端哀と名乗っていると聞いた時から予想していたことだが、恐らく売国奴は自分以外の名を使って情報を売っている。
私だけではない。他にも名前を勝手に使われている隊員はいるだろう。
自分が疑われないための努力をするのではなく、他に疑わしい人間を大量に作ること、それが売国奴の狙いだ。
「最後にもう1つ聞かせてください。小雪は8年間あなたの言いなりになっていたそうですが、あなたのような人間に小雪が自発的に従うとは思えません。何らかの弱味を握っている、と考えてよろしいのでしょうか?」
紺野司令官は、ふう、と白い息を吐いた。
「君も知っているんじゃないか?小雪くんと、その実の妹の関係のことは」
「……、」
「ああ、誤解しないでくれ。僕は彼らを否定しているわけじゃない。この世にはもっと劣悪な性癖が星の数ほどあるからね。しかし彼が妹に恋をしていることを知り、彼の義母が倒れたのは事実だ。大切なのは僕がどう思っているかじゃない。彼自身が、そして世間一般の人々が、実の妹に欲情するような人間をどう見ているか。大多数の人間が否定する恋は十分弱味に成り得る。そして人の弱味を利用することは、友情や愛情、口約束よりも確実だ」
まるで、利用価値のある道具を利用しただけだとでも言いたげな口振り。
だが恐らくそれだけではない。
―――人を操るのが楽しいのだ、この男は。
自分の掌の上で人を転がし、その様子を眺めるのが楽しいのだ。
「……お願いがあります。小雪を解放してください」
「何のメリットもなく君の言うことを聞くと思うかい」
「力尽になっても聞いてもらいます」
「できるのか?Eランク隊員の君に」
「できなくてもやります」
私がそう言うと、紺野司令官は弾けたように顔を上げ、高らかに笑い出した。
「ハハッ…ハハハハハハハハハ!アハハハハハハハハハハハハ!!……面白いじゃないか。しかし1つ言っておこう」
その目が私を捕らえる。
「―――僕は弱い人間に口出しされるのが嫌いだ」
「……ッ!」
グラウンドの横の建物にあった大きな看板が飛んでくる。
念動力?いや、娘である楓の能力を考えるとおそらく気流操作だ。
あんなの当たったら、死なないにしても大怪我するに決まってる。
咄嗟に近くにいた人型掃除ロボを操り、代わりに看板に当たってもらった。
ガチャン!と大きな音がしてロボットが壊れたが、私は無事だ。
すまんロボット、修理代は後で払う。
にしても、今の凄いな。能力は歳と共に衰えるから、40過ぎてあれだけ強い能力を維持できているのは珍しい。Cランクくらいあったんじゃないか?
考え事をする暇もなく、今度はベンチが飛んで来る。
風を感じるから、やっぱり気流操作で飛ばしてるんだろう。
周囲の建物を利用した接着能力で回避する。
建物の壁と自分の背中を接着させようと力を働かせ、接着してしまう前に能力を切って下に落ちる。
これなら接着能力であることはバレないし、弱い飛行能力か何かだと思ってくれるだろうけど……紺野司令官、思ってたより強い。
上層部は全員無能力者かそれに近い存在だと思ってたから、Cランクレベルの能力を持つ人間がいるとは思わなかった。
参ったなぁ……手加減してられないじゃないか。