深を知る雨
誰かの話
《23:00 北京》
領土を広げている大中華帝国の軍事施設の1つで話し合うのは、大中華帝国の軍事指導者である将官や佐官――能力者の若者達。
日本帝国とは違い、年齢ではなく能力が全ての軍隊であるため、超能力に目覚めた比較的若い世代が軍での高い地位を持つこととなるのだ。
「まさか本当に日本帝国と軍事同盟を結ぶことになるとはな」
「大英帝国はこの状況に危機感を抱いているらしいわ。近々大韓帝国とも会談があるし、東アジアの大国同士が纏まりつつある」
「日本は超能力戦に強く、我が国は資源が豊富だ。大韓帝国には優秀な人材が多いし、最新の兵器がある。悪くない組み合わせだな」
「―――こんな夜中に話し合い?」
流暢な北京語で突然話し掛けられ、円卓テーブルの周りに座っていた大中華帝国の将官達は入り口の方を振り返る。
そこにいたのは短髪の、口元にホクロのある日本人の女。
「世界トップレベルのセキュリティを誇るこの軍事施設にもあっさり入ってくるとは、衰えてはいないようね」
「この時代、私に突破できないセキュリティはないよ」
「敵に回したくないねぇ」
女が手を上げると、円卓テーブルの近くにもう1つ椅子が現れた。女はそれに腰を掛け、並んでいる料理に無断で手を付けるが、女を止める者は誰もいない。
他国の女とはいえ、彼らは彼女とそれなりに親しくしている。それは彼女の力への信頼から来る友好関係だった。
日本帝国との同盟も、彼女がいたから実現したようなもの。
「日本から離れて大丈夫なのか?今日本はお前の能力で攻撃を防いでるんだろ?」
「この程度離れたくらいで弱まるような能力なら交渉は成立しない」
「交渉?」
「軍隊に入れてもらった。日本を常に守ることを条件に男として超能力部隊にいる」
テーブルを囲む将官達は驚きのあまり食事をする手を止める。
前々から入るつもりだとは言っていたが、まさか本当に入るとは。この女ならわざわざ軍隊に入らなくても戦争に貢献できる。実際、中国と日本が軍事同盟を結ぶに至ったのも彼女の単独行動の結果だった。男のふりをしてまで超能力部隊に入る理由が、将官達にはよく分からなかった。無論、聞いたって教えてくれはしないのだろう。
この女は秘密主義者だ。言う必要のないことを語ろうとはしない。
「な~んか面白そうな話してんねェ」
そこで部屋の奥から伸びをしながら出てきた男を見て、女は僅かに眉を寄せた。どうやらこの男が苦手らしい。
男は世界最年少15歳にして中国人唯一のSランク能力者であり、頼られる一方で敵にも味方にもどんな非情なことでも遣って退ける、人の心が無いと言われる人間。
軍では“猛獣”、“獰猛な虎”――決して褒め言葉ではない呼び方で呼ばれる男だった。
先程までお喋りをしていた将官達も、この男には恐れを生して黙り込む。
「鈴《リン》が男のふりして超能力部隊入りか~。輪姦モノAVのネタになりそ。ボクそういうの好きだぜ?つか輪姦モノでしか興奮しな~い」
鈴、というのは女が中国で使う偽名だった。周囲の軍人達はそれが偽名であることを分かっているのだが、調べても彼女の本名が出てくるはずがない。偽名でも何ら困ることは無いのだから、それについては触れずにいるのが現状だ。
「相変わらず気持ち悪いね、天《ティエン》」
男にこのような口を利けるのはこの女だけだった。他の連中がこんなことを言えば、男はその相手を殺すだろう。しかし男はこの場合に限っては気にする様子もなく女に近付き、チュッと軽く音を立ててその頬にキスをする。
女は嫌そうな表情こそしないものの、僅かに男を睨む。
「アッハ!あはははは!鈴サイコー!その目好きだよ、ゾクゾクしちゃ~う」
「黄海に沈めるよ?」
男は女に冷たい目を向けられるのが好きなのだが、女はそんな男を嫌悪していた。しかしその嫌悪を孕んだ声音すら、男を喜ばせるだけだ。
「……もう帰る。今日はちょっと遊びに来ただけだから」
女は少し高めの椅子から立ち上がり、出口へ向かう。
「え~もう帰っちゃうのォ?何しに来たのさ」
「……北京料理、好きだから」
男は女の単純なんだか複雑なんだか分からない部分を気に入っていた。単独で国を動かすような力を持つ女が、本当かどうかは置いておいて、食の好みを理由に海を渡ってくる。そしてそんなくだらない理由でセキュリティをいとも容易く突破する。男にはそれが愉快で仕方なかったのだ。
「冷たいな、折角来たんだから遊んで帰れよ」
帰ろうとする女の行く手を阻むように立ちはだかった男は、その耳元に口を近付け囁く。自分もテレパシーを使えるくせにいちいちこうして距離を詰めてくるところも女は嫌いだった。
女が跳ねるように距離を置くと、男は胸ポケットの中から手榴弾をいくつも取り出す。
男の周りへの影響を考えない行動に、周囲の軍人達は唖然とした。男は女と戦いたいがために武器を出してきているのだろうが、そんなものを使えばこちらへの被害は免れない。
男はSランク収容能力者。どんな物でもあらかじめ入れておけばいつでも取り出せる。
衣服のポケット、髪の中……あらゆるところから武器をほぼ無制限に出し入れすることが可能なのだ。
「――オコサマはもう寝る時間だよ」
女がそう言うと同時に、部屋の明かりが一斉に消えた。
男はしまったと思ったが、暗闇の中で適確に爆弾を投げることは難しい。収容してあるライトを取り出したが、もう遅い。
女は消えた後だった。