深を知る雨
杏と最後にまともに話したのはいつだったか、最後にどんな会話をしたか、遊は思い出せなかった。
それが最後のまともな会話になるなんて誰が思う?
次に会う時、杏がこんな状態であるなんて、誰が想像できただろう。
「―――…何で」
弱々しく呟いた遊は、その直後女職員を睨み付ける。
「何でこんなことすんねん!杏は何もしてないやろ!」
女職員は血相を変えて怒鳴ってくる遊を見て意外に思った。
女職員が聞いていた話では、相模遊は子供らしい感情の無い冷たい人間で、ある種の不気味さを感じるとのことだったからだ。
さすがに妹のこんな姿は応えたということか、と女職員は薄く笑う。
「子供を何やと思てんねんお前らは!こんなことして少しも心痛まんのか!?」
「うっさいガキやなぁ。研究に犠牲は付き物やで」
「ッ研究……?」
「兄妹の能力の種類は似るっていう研究結果はもう出とるけど、能力のレベルに相関関係があるかはまだ分かっとらん。妹の方にも才能があるんやったら、早い段階で高レベルになるはずやろ?だから、これはそういう実験も兼ねてんねん」
女職員の言葉を聞いた遊は、ゾッとしてもう一度杏を見た。
(………俺が)
(俺が、強力な能力を持ったから……?)
自分がAランクにならなければ、杏はこんな状態にならなかったのではないか―――そう考えるだけで酷い頭痛がした。
「あー…。話に割り込んで悪いけどぉ、ここは見逃してくれないかしらぁ?」
そこで、部屋に麻里が入ってきた。どうせバレているのだから監視カメラに映るのも同じことだと思ったのだろう。
「わたし、実は外部への連絡手段を1つ持ってるのよねぇ。いつでもボタン1つで外部にこの育成所の有り様を漏らすことができるわぁ。写真は結構撮ってあるしぃ、警察にでも送ったらどうなるかしらねぇ?」
ハッタリだ。冷静に考えればおかしいとすぐ分かる嘘だが、この場さえやり過ごすことができればそれでいい。
しかし、女職員は所詮は子供の浅知恵だと笑う。
「アハハハ!警察?本気で言っとんの?国家の犬に漏らしたところで何が変わんねん。っていうか、どこへ漏らそうと揉み消されるだけやで。今1番この国で成果をあげてるんは、この育成所なんやから」
「……は……?」
「超能力は軍事力にもなり得るんや。国はこの育成所を支援しとる」
これには麻里もそこまで考えが及んでいなかったのか立ち竦む。
国にとってここにいる子供たちは軍事力強化のための“多少の犠牲”なのだ。
再軍備化を進める日本帝国の状況を考えれば、それも納得のいく話だった。
と。そこでふと女職員が拳銃を持っていない方の手でポケットから端末を取り出した。
「もしもし?……あぁ、はい。……そう」
電話は、会議を終えた他の職員からのものだった。
短く済ませた女職員は、銃を下ろす。
こちらが銃を下ろしたところで遊は打ってこないと考えたのだ。
10やそこらの子供に、人を殺す勇気などあるわけがないと。
「よかったやん。あんたら、関東支部に移動みたいやで。今後は何も考えず平穏に過ごせるで」
二人は信じられないという顔で女職員を見上げたが、女職員は嘘を吐いているわけではなかった。
「自分達の能力に感謝せえよ。殺されずに済んだんやからな」
女職員は最後に遊と麻里の頭を撫で、興味が失せたかのように部屋を出ていった。
残されたのは遊と麻里、そして、―――遊の妹“だった”固まりだった。