深を知る雨
《21:38 東館》遊side
「Bランク以上の職員は見つけ次第どんな手を使ってでも拘束しろ。殺すなよ」
チビと別れてすぐ、一ノ宮は自分の能力で操ることのできるCランク以下の職員たちに先程までとは違う口調でそう指示した。
「仰せのままに」
「仰せのままに」
「仰せのままに」
「仰せのままに」
60人はいるであろう職員たちが口々に返事し、散らばって他の職員を拘束しに行く。
噂には聞いていたが、催眠能力ってのは本当に人を自在に操れるのか。
楓がぼそっと「……やな能力」と呟いたが、一ノ宮は気にする様子も無く俺たちの方を振り返る。
「あなた方は彼らがやり損ねた職員を倒してください。恐らく様子がおかしいことに気付けば逃げ出そうとするでしょうから、出入り口で待っていましょう。東館の出入り口は何ヵ所ですか?」
「まさに今おるこの西館に繋がる道と、正面玄関の二ヶ所だけや」
「では2人と3人に別れましょうか。正面玄関には僕が向かいます。あなた方はここで西館へ逃げようとする者を止めてください」
セキュリティ解除コードを知る俺と一ノ宮が正面玄関、楓と薫と里緒が西館への通路ということか。
早々に歩き始める一ノ宮を追っていると、ポケットの中の端末が震えた。―――インターネットに繋がっている。
外部との通信を遮断しているこの建物で使えるということは、チビが何かしたのか。
あいつ、こんだけ能力使って大丈夫なんか?
さっきだって端から見ればただ歩いていただけだが、妙に鋭い薫辺りは勘づいたかもしれない。
メッセージが1件届いていた。
この育成所の非人道的超能力開発方法の詳細文書が添付されている。
……まさかとは思うが、全国民に送ったのか?
確かにこれなら揉み消しようがない。この育成所は確実に潰れる。
「……凄いな」
「彼女、その気になれば国家機能を7分で制圧できる化け物ですからね」
思わず呟いた俺の言葉に対し、隣の一ノ宮が素っ気なく答えた。
……7分て。
「やっぱりSランクか、あいつは」
「確信しているくせに聞くんですか」
「旧SランクNo.1の、優香さんの妹やろ」
これは予想外だったのか、一ノ宮は少し驚いたように俺を見た。
「凄いですね、そこまでお気付きになったんですか。……まぁあの人隠すの下手ですもんね」
「姉ちゃんの方も童顔やから気づきにくかったわ。電脳能力なんてそうそうあるもんちゃうし、最初は同一人物やとおもとった。でも、姉妹なら同じ能力ってのも有り得るやろ」
「何故別人だという発想が出てきたんです?」
「それは色々あるけど。1番は、国家間の戦争を経験しとる奴の雰囲気とちゃうように感じたことやな」
「雰囲気?」
「空気感っちゅうんかな。前線で戦ったことある奴って、独特の雰囲気持っとるやん」
「はあ……。僕にはよく分かりませんが。読心能力者の直感のようなものですか?」
直感とはまた違うのだが、上手く説明できる気がしなくて止めた。
セキュリティを潜って正面玄関まで辿り着いた俺たちは、外に出て誰かが逃げて来るのを待つ。
一ノ宮と二人になるのは初めてだった。
「正解です。彼女は優香様が亡くなった後、入れ替わるようにしてNo.1になった、優香様の妹です」
「姉妹揃ってSランクってのも凄いな」
「いえ、彼女は元々Dランクですよ。努力でSランクになりました」
「……は?」
まるで楓だ。楓のようにDからAになるのでも相当難しいことなのに、Sになるってのは……控えめに言って有り得ない。
「不可能やろ」
「不可能を可能にしたんですよ、彼女。本来超能力というのは生まれた時のレベルからそう大きく変動するものではありません。しかし彼女はそれを知ってもなお地道な努力で何とかランクを上げたんです。努力せざるを得ない境遇でしたしね」
「“せざるを得ない”?」
「比較されていたんですよ、生まれた時からずっと。優香様は正真正銘の天才でしたから。周囲は優香様の妹であるというだけで彼女に期待しました。そして自分達の期待に添わなければ失望した目で彼女を見た」
いつも明るいチビからは想像できない過去だ。
「彼女は姉を好いていましたが、同時に憎しみに近い嫉妬心も常に抱いていました。どれだけ頑張っても優香様には届かなかったんです。Sランクになったのも終戦間近で、その数日後に優香様が亡くなったので、彼女は結局優香様に勝てないまま終わったことになります」
「……何でそんな話を、俺にすんねん」
必要以上であると感じられるほどにチビの過去を話してくる一ノ宮に違和感を覚えてそう問えば、
「優香様のことも彼女がSランクであることも知らずに出会ったあなた方なら、彼女に教えてくれるのではないかと思うんです。たとえ能力が無くとも、凡人であろうとも、ありのままの彼女を評価する人間がいるということを。……僕には、できないことですから。あなた方にお願いしたい」
一ノ宮は寂しそうに笑った。
「……お前、ええ奴なんやな。誤解しとったわ」
「ほう、悪い人間だと思っていたんですか?」
「チビとおる時えげつないこと考えとるやん、お前」
「おやおや。……これだから読心能力者は」
「別に本人に言うつもりはないから安心せえ。ただ、自制心は失うなよ」
「あなたに言われずとも、分かっていますよ」
と。その時、誰かがこちらへ走ってくる音が聞こえた。
早速職員の誰かが逃げてきたんだろう。
そういえばお互い攻撃型の能力じゃないのにどう対応するんだ。……素手か?
喧嘩とか好きじゃないねんけどなぁ、と渋々構えようとした時、隣に一ノ宮では無い人物が立っていることに気付いた。
警官の服を着ている。……ん?一ノ宮はどこに……って、こいつが一ノ宮か。恐らく変装能力だ。
「はぁっ、はぁっ、はぁっ……助けてください!」
「どうされました?」
「様子がおかしいんです!同僚が一斉に襲い掛かってきて……ッ、今逃げてきたんですけど、多分まだ追ってきてると思います」
「それは大変ですねぇ」
「保護してくだ、ッ!がフッ……」
腹を殴られた職員は、腹を押さえながら苦しそうに地面に倒れ込む。
一ノ宮はその様を恍惚とした表情で見下ろしながら、催眠スプレーらしきものを吹き掛けた。
……お前、それあるんやったら殴らんでよかったんちゃうのん。
「安心できる相手だと信じ込んで頼ってきた奴の醜い間抜け面を見るのは快感ですね」
「……前言撤回。お前やっぱ悪い奴やわ」
どうやらチビの幼馴染みは二人共、なんというか、個性的な人間らしい。