深を知る雨
遊が私たちを連れてきたのは、大きな複合ビルだった。
その一階にある一面ガラス張りのかっこいいベーカリーの前で立ち止まった遊は、我先にと店内へ入っていく腹ぺこな楓たちに続く。
中にはパンの他にも食材やケーキが並んでいた。イートインも可能みたいだ。
次々とパネルをタッチしてパンを買っていく楓たちと、端末でお金を払う遊。
晩ご飯食べてる組の私と一也、小雪は一歩下がってその様子を見てる。
「……正直、まだ実感が湧かん。お前らが俺を止めに来たこともたった一時間ちょっとであの育成所を制圧できたことも自分が今生きてるんもここにおるんも、夢みたいに思う。でも、これが現実なんやとしたら言わせてくれ。……ありがとな、お前ら」
今日初めて聞いた遊からのお礼の言葉だ。
1度しかない分重みを感じた。
……この人、つい一時間ちょい前まで死ぬか捕まるかの二択の中で生きてたんだよね。
もしあの時Aランク寮にいなかったら、もしあの時麻里がこのことを教えてくれなかったら、助けられなかったかもしれないんだ。
と。
楓が他の皆の背中を押して私たちから離れていく。
「じゃあ遊と哀はこっから別行動ね」
「は?」
「礼を言うならあたし達じゃなくて哀にしなさい。じゃ、そういうことで」
「……」
食事を済ませているはずの小雪や一也まで向こうに行ってしまった。
私は言い出しっぺってだけで、実際こんなにすんなりと遊やあの育成所の人たちを助けられたのは皆の働きがあったからだ。
皆だってお礼を言われる筋合いはあるのになぁ。
「……楓の言う通りやな。まずはお前に礼せなあかん。高めの靴でも買ったるわ」
「靴?」
「神戸は履き倒れの街って言われるほど靴が揃っとる。“京の着倒れ、大阪の食い倒れ、神戸の履き倒れ”って知らん?東の人はもうあんま聞かんのかな、古い言葉やし」
遊が店を出ていき、私もちょっと興味が湧いてきたので付いていく。
この複合ビルにはどうやら靴屋さんもあるらしい。
「ヒールのある靴でも買え。そしたらそのチビさが多少はマシになるやろ」
そんなチビ扱いしなくても……。
「女物の靴履く機会なんかないよ」
「お前まだ20代前半やろ。お洒落したい年頃なんちゃうん」
「お洒落より戦争が大事」
「20代前半の女から初めて聞いたわそんな言葉……。可哀想になるからやめてくれ」
「可哀想って何!?別にいいじゃん!?」
「若いうちはもっと自分のこと中心に生きろよ」
「……それ遊が言う?」
「俺はちゃんと自分中心に生きとるわ」
「自分中心に生きた結果死ぬか逮捕されるかの道を選んだ、と……ふーん?」
「……何やねんお前、怒ってんのか?」
「べっつに。」
今になって腹が立ってきた。私との約束破ろうとしやがってこの野郎。めっさ高いの買ってやる。