深を知る雨
誰かの話
《15:15 ロンドン》
男は高級レストランに足を踏み入れた。
ある女性―――大英帝国の元帥と食事の約束をしていたからだ。
「“日本の国土に立たないでください”か。…ふふ、あはは。カワイイなぁ」
「大きな独り言ね、ロイ・エディントン」
予約している席に進みながら笑っていた男の背後から呆れたような声で話し掛けたのは、青色の瞳と茶系の髪を持つ比較的大柄な女性。
男は彼女の気配に気付けなかったことに少々驚きながら、くすりと上品に笑ってみせた。
「お久しぶりです、ナディア元帥」
向かい合って席に座り、料理が運ばれてくるのを待つ。
女は男の格好を見て、ここへ来る前に男がどこかへ遠出していたことを悟る。
「どこへ行っていたの?」
「愛娘に会いに」
「愛娘?あなた、隠し子がいたのね」
「例えですよ。愛娘のような存在なんです。何せ、その子の能力は俺が育てたんですからね」
女は思うところがあったが何も言わなかった。
お互い昼食をまだ取っておらず、運ばれてきた料理にすぐ口を付ける。
その日は彼ら2人の貸し切り状態だった。
彼らはこの店を信頼し、戦争について個人的な意見を交わす時は必ずここを選んでいた。
「あなたはこの戦争、どちらが勝つと思う?」
女はワインの渋さに顔を顰めながら、ふとそんなことを問う。
「さぁ。戦争というものは何が起こるか分かりませんからね。俺の口からは何とも」
「じゃあ質問の仕方を変えましょうか。この戦争のキーパーソンは誰?」
「キーパーソン、ですか」
「やっぱりあなたなら東洋の死神と答えるかしら。あなたと唯一互角にやり合える男だものね」
「いいえ」
男がきっぱり否定したことは、女にとっては意外だった。
男は思い出す。
つい先程会った女性の必死な顔を。
こちらが怖くて怖くて仕方なくて、今にも震えそうなくらい緊張しているのに、それを気づかれまいと必死に平静を装う、以前会った時よりは成長した女性の顔を。
ああ――弱い。
こちらに怯える弱い生き物。
誰よりも人間らしく人に怯えるその姿に、男は愛おしさすら感じていた。
「キーパーソンは――――日本帝国SランクNo.1、橘哀花です」
男は口には出さないものの、次の戦争での自国の勝利を確信している。
しかし、もしだ。もし、苦戦を強いられるとするならば。
その原因はきっと、“強い人間”でなく“強さと弱さを併せ持つ人間”であろう、と、男は思っている。