深を知る雨
2201.01.23
《4:00 軍事施設外》泰久side
父の死の報せを受けたのは、非常識と言っていい程朝早い時刻のことだった。
そのうえ今から来いと言うものだから、朝食も食べず、電子新聞にも目を通さず寮を出ることになった。
俺が実家に着く頃には、少数の親戚、そして父の生前の部下が既に集まっていた。
何も今集まらなくても、葬式の時集まればいいのではないか――と、考えかけてやめた。
恐らく葬式は行われない。
つい十数年前まで葬式は一般的なものであったはずなのに、最近ではする家庭が滅法減ってきている。
積極的に開こうとする者は誰もいないだろう。
父はまだ超能力が発達していない時期に活躍していた、凄腕のパイロットだった。
何やら相当偉い地位にいたようでもある。
大した興味を抱けなかったうえ、俺が軍に入る頃父は既に軍にいなかった為、結局父が軍でどのように見られていたのか知る機会は無かった……が。
今ここに集まっている大勢の人間を見れば、かなり慕われていたのは確かであろうと思った。
部下らしき人々は何も言わず座っているが、父といた日々を回顧しているのが見て取れる。
ふと、親戚の一人が気遣うように声を掛けてきた。
「辛いでしょう。大切に育ててくれていたものね」
思わず鼻で笑ってしまいそうになった。
“大切に育ててくれていた”?
この人は俺たち家族の何を知っていると言うのだろう。
少なくとも俺からしてみれば、あの父に大切にされた記憶など無いに等しい。
父は子供が嫌いだった。軍ではさぞ頼れる優秀な人間だったのだろうが、立派な人間が立派な父親であるとは限らない。
“愛されていなかった”なんて言うつもりはない。ただ、今思い返しても、父は俺のことを自分のコピーとしてしか見ていなかったように思う。
子供が嫌いな父なりに、自分の子供を無理にでも好きになろうとした結果だったのかもしれない。
自分の子供なのだから、自分と同じ運命を辿って当然であると考えていただろう。
父は絵に描いたような完璧な人間だった。それは子供の頃からだったと祖母には聞かされた。
そんな父は、俺が自分のように育たないことに腹を立てることが多々あった。
自分がお前くらいの時はもっと勉強していた、この学校に入学していた、もっと賞を取っていた―――なのにお前は何故そうしない?というようなことを、父からはよく言われたように思う。
出来る人間には出来ない人間の気持ちが分からないと言うが、父の場合、優秀な自分と自分の遺伝子を受け継いだ子供との違いを分かっていなかった、と言う方が的確だろう。
俺には俺の得意分野があり、それが必ずしも親と同じであるとは限らない。
そんな、言ってみれば当たり前のことを、父は理解できていなかった。
母は既に他界している。
これで俺の両親はこの世から居なくなったことになる。
なのに心が痛まないのは―――俺が冷たい人間だからだろうか。