深を知る雨
「っいったぁ~。もぉ、相模くんってばぁ。女の子に暴力振るっちゃいけないんだぞ?」
「嫌なら所構わず襲うな!」
「あらあらぁ、そんなに怒んなくたっていいじゃなぁい?ひょっとして羨ましいのかしらぁ?」
「………、」
「……ちょっとぉ?何でそこで無言になるのよぉ?」
訝しげに遊を見上げた麻里は、不意に固まる。
「……あらあらあらあらぁ~。そーういうことぉ。へぇ、ほぉ、ふぅ~ん。相模くんってこーいう子が好きだったんだぁ?」
「……お前、マジでしばくぞ」
「やーん怖い。千端さん助けて~」
「え!?お、おう。助ける」
私の後ろに隠れる麻里。よく分からないが麻里みたいな子に助けを求められて無視するわけにもいかないのであっさり返事してしまった。
正面の遊は少々不機嫌そうに睨んでくる。睨んでいる相手は私ではなく麻里みたいだけど。
……ていうか!どうする!?麻里に性別バレたぞ!?
普段交流のない一般部隊の人間とはいえ、性別がバレていいわけではない。
ここは心を鬼にして麻里を脅すしか……。
「それにしても本当、千端さんのおかげねぇ」
「へ?」
「今頃相模くんは獄中かあの世だと思ってたのにどういうわけかここにいるしぃ。どうやったのか知らないけどあの育成所の連中は社会的に抹殺されたわけだしぃ。“あとは全部どうにかする”って言葉、嘘じゃなかったってことよねぇ」
瞳をうるうるさせながら私に顔を近付けてくる麻里の表情は最高に色っぽい。
「お礼にわたしのファーストキスあ・げ・る」
むちゅ。一瞬何が起こったのか分からなかった。
く、唇に何か柔らかいものが……ッ!!
「何がファーストキスやアホ!」
しかしそれも一瞬のことで、柔らかいものはすぐに離れて行き、目を開けると麻里の襟首を掴んで私から引き離したらしい遊がいた。
「もー、乱暴ねぇ。確かにファーストキスじゃないけどぉ、唇プレゼントするくらいには感謝してるわよぉ?」
「……や……柔らかかった……マシュマロ…………」
「お前も目ぇ覚ませや、何で俺とした時よりぽーっとしとんねん」
「あらぁ?もう手ぇ出してるわけぇ?やっだー、相模くんもヤることヤってんのねぇ」
「急に女にキスし始めるお前に言われたないけどな」
クスクス笑う麻里があまりに美しすぎて脅そうという気も起こらなくなってしまった。ま、魔性の女だ……。
私の視線に気付いたのか、麻里はばっちんとウインクしてきた。かわいいです。たまらんです。
「ま、別にバラさないから安心なさぁい。恩を仇で返すような真似はしないわぁ。わたしだってそこまでクズじゃないわよぅ」
「嘘つけ」
「も~、ほんっと相模くんってわたしのこと信用しないのねぇ。そりゃ相模くんが何か重大な隠し事をしてたら面白がってバラしちゃうかもしんないけどぉ、相手はこ~んな可愛い女の子よぉ?そんな酷いことするわけないじゃなぁい」
遊の手から逃れた麻里の瞳が妖しく光る。
「じゃあまたねぇ千端さん。東宮さんを狙う恋敵同士仲良くしましょ?」
ちゅ、と今度は私の頬にキッスしてふっと消えた麻里は、恐らく透明化能力か何かを持っているのだろう。
あんな美女にキッスされる日なんて2度と来ないんじゃないか……?と幸せを噛み締めながらぽけーっとしていると、不意に遊に顔を覗き込まれた。
「“東宮さんを狙う恋敵同士”って何やの」
その表情から感情は読み取れない。ただ少し、むすっとしているようにも見える。
「え?知らない?麻里、泰久が好きらしいよ?」
「そうやなくて。……お前はどうなん」
「泰久?好きだよ?」
「それは、あれか。幼馴染みとして、ってわけちゃうよな」
「幼馴染みとしても好きだけど、ラブ的な意味でも好きかな」
キャッ言っちゃったっ。なんてふざけて無駄に頬を染めて乙女らしく体をくねらせてみたが、遊は無表情で「ふぅん」と言っただけだった。
「何だよ、反応薄いな」
「お前ってああいうのが好きなんやなと思って」
「ああいうのって?」
「堅そうな男?」
「まぁ堅いっちゃ堅いよね」
「告らんの」
「何回も好きだって言ってるんだけど、“悪いがお前の気持ちに応えることはできない”の一点張り!」
無駄に泰久の声真似をしてみたが似てなかった。
「まぁ当然なんだけどね」
「当然?」
「泰久、お姉ちゃんが好きだから」
「優香さんか」
「え!?」
名前を言い当てられ、びっくりして遊を見た。
ど、どういうことだ?一也から聞いたのか?いや、一也には私がSランクってことは教えていいよって言っただけで、お姉ちゃんのことまでは喋らないはず……て、ことは、だ。
遊の方が先に気付いたのか。
「探偵になれよ遊……」
「退職したら考えといたろ」
「冗談だよ……」
「死んだのに、ずっと好きなんか。東宮は」
「……まぁねぇ。泰久は一生お姉ちゃんのこと好きなんじゃないかなぁ。お姉ちゃんが生きてたら恋敵として戦ってみたかったけど、……死んだらもう、戦いようがないじゃん?」
お姉ちゃんが本当の意味で届かない存在になったのは私の自業自得だろう、と心の中で自嘲した時。
遊が、私の顔にかかった髪を耳にかけた。
遊から外しかけていた視線をまた遊に戻すと、視線が絡み合う。
「そんな辛そうな顔すんなや」
「……してないよ」
「しとるよ」
「……指、離して。私右耳の裏弱いの」
「そう簡単に男に弱点晒すもんちゃうで」
「じゃあ弱くない」
「何やそれ」
ふ、と笑う遊の笑顔がさっきの麻里に負けず劣らず色っぽいことに気付き、やっぱ幼い頃一緒にいると雰囲気も似るのかな、なんて思った。
「哀ちゃんは笑顔が似合うとるよ」
「……そりゃどうも」
「泣き顔も可愛いけど」
「馬鹿にしてる?」
「しとらん」
遊の指先が唇に触れてきたと同時に、あ、来るな、と思った。
「目ぇ閉じて」
この人ほんと意味もないキスが好きだなー、と少し呆れながらも目を瞑ろうとした、その時だった。
ぽつりぽつり。小雨が私たちを濡らし、私も遊も空を見上げる。
「うわっ、雨降ってきた!合同練習大丈夫なのかなー」
「第一第二グラウンドは屋根作れるけど、このまま雨が酷なったら中央使うんは無理やろなぁ」
「天気予知報道じゃ降らないって言ってたのになー」
とはいえ予知報道の的中率も96%程度だ。
外れる日があってもおかしくはない、か。珍しいことに変わりはないけど。
端末を見れば、天気予知報道についさっき大きな変動があったみたいだ。
雨は今後も降り続ける。
『放送します。本日の合同練習は中止とし、超能力部隊のA、B、Cランクと一般部隊の師団大隊小隊は第一グラウンド、その他は第二グラウンドへ向かってください。繰り返します―――……』
こんなにすぐ指示を出せるとは、さすが対応が早い。