深を知る雨
そんなティエンの心情など露知らず、鈴はカップを一旦テーブルに置き、頬杖をつく。
「お前さ、人殺すの怖くないの」
「……はァ?」
「昔からの習慣だったってならまだしも、殺し始めたの最近でしょ?10歳にしては結構なことやってるよね」
ティエンは僅かに身勝手な失望を覚えた。
そんな一般論を突き付けられたくはなかった。
答えるのも面倒に感じられるほどの愚問だ。
自分が普通でないことは、ティエン自身もよく分かっている。
自分の才能を利用しようとするのは大人たちであり、利用させてやるからには自分を楽しませて然るべきだというのが、ティエンの考え方だ。
与えられた軍人という立場に関しても、能力を人に対して無遠慮に使う許可を大人から得られたのだと前向きに捉えており、それを利用し楽しもうとするのは利用されている側の当然の権利であると思っている。
ティエンにとって戦いは新しい遊びだった。
自分の能力を思う存分発揮できる遊びだった。
しかし、最近はその遊びですらつまらなく感じてきてしまっている。
一度戦い方を覚えると、どのようにすれば相手が全滅するか分かってしまう。
確実に勝つ方法を身に付けてしまう。
自分が負ける可能性の無いゲームに、ティエンは魅力を感じない。
「ご期待に添えず悪いけどォ、恐怖を感じたことがないんだよねェ」
鈴の質問に対し、ティエンは暫くしてからこう回答した。
そしてそれだけでは説明不足であるように感じ、付け足す。
「手応えを、探してる」
お前には分からないだろうけどね、という言葉を呑み込んだ。
言っても口を動かす分の力を無駄遣いしてしまうだけな気がした。
しかし鈴はまるでティエンの言わんとしていることをその一言で理解したかのように「なるほどねぇ」と言ってまた珈琲を一口飲んだ。
(……そんな、薄っぺらいセリフいらねェ)
ティエンは分かっている。
誰にも理解されないことくらい、分かっている。
いつだって独りだった。
軍事能力者学校でも、軍でも、誰も自分と並べなかった。
確かに鈴は、優秀であるが故の孤独など知らない。
彼女には誰よりも優秀であった時期など無かった。
必ず自分より優秀な人間が周りにいて、いつも彼らを羨んでいた立場だった。
だが、ティエンが自分のような立場になりたがっているのであろうということはすぐ理解した。
自分より強い敵を欲しているのだ、彼は。
ゲームでも、倒すべき敵が常にいるように。
(お互い無い物ねだりだなぁ)
人間そんなものか、と鈴は内心苦笑する。
お互い数分間無言だった。
不思議なもので、初めて会ったにも関わらずその無言が心地好いと感じたのは、恐らく片方だけではない。
鈴はちらりと時計を見る。
そろそろ、お喋りの時間は終わりだ。
―――なってやるか、この子の“倒すべき敵”に。
先に沈黙を破ったのは鈴だ。
「総じて簡単だね、大中華帝国の将官佐官は。簡単すぎてつまんないくらい。まぁ、能力はあってもまだまだ子供なんだから仕方ないか」
馬鹿にするような視線を向けられ、戦闘経験の多いティエンは瞬時に理解した。
―――この女はこれから自分と戦うつもりだと。
先程までは全く感じなかった殺気を感じる。
「今飲ませたのは超能力抑制薬を溶かした飲み物だよ。そろそろ効いてくると思うけど」
―――そう、ティエン側の珈琲だけが不味かったのは、抑制薬を混ぜたからだった。
少々驚きながらも、抑制薬程度でSランクレベルの能力を完全に押さえ付けられると思ったら大間違いだ、と、最もよく使う刀を取り出したティエンだった―――が。
突如部屋にあったゲームのコントローラーが飛んできて勢いよく手首に当たり、その衝撃で刀が床に落ちる。
そして、次の瞬間部屋の家具が次から次へとティエンの体目掛けて飛んできた。
ティエンは瞬時に念動力だと判断したが、実際はそうではない。
鈴が使用しているのは接着能力で、家具とティエンを接着させる形で能力を発動させている。
「収容能力者の弱点って知ってる?多分知らないよね、弱点に付け入られたことなんてなさそうだし。それだけ頭悪い敵とばかり戦ってきたんだろうね」
鈴は床に落ちた刀を拾い、くすりと笑った。
「収容能力者は、“入れると同時に出すことができない”。つまりお前は、“飛んでくる物を自分の体に収容して衝撃を和らげながらでは、武器を出すことができない”」
「……ッ」
「それに、抑制薬が効いてる今は、本来ほど物を体に収容できない。そろそろ限界なんじゃない?」
その通りだった。
タンスが勢いよくティエンに向かって飛んできた時、ティエンはそれを受け止めきれず、思いきりぶつかった。
その瞬間接着能力を切りタンスとティエンを離した鈴は、ティエンの出した刀でティエンを容赦なく切りつける。
倒れ込みそうになるティエンの腹を反対側から蹴り飛ばし、逆方向に倒れたティエンの横腹を刺した。
「…っ…はぁ、…はッ……」
血の臭い。くらくらする。酸素が足りない。
血なんて見慣れているはずなのに、その血が自分の物であることにティエンは少なからず動揺した。
Sランク能力者とはいえ、相手はまだ10歳の少年。
しかし鈴はティエンを踏んで逃げないよう固定し、容赦なくまた他の部位を切りつけ続ける―――痛みを知らない子供に痛みを教えるように。
何分そうされていたか分からない。
身体中に痛みが走り、意識も朦朧としてきた頃。
鈴は血塗れのティエンを椅子に座らせた。
(……あぁ、ボク、殺されるんだ)
ティエンはどこか他人事のようにその状況を受け入れる。
「何か言いたいことは?」
「……ッ、は、ァ?」
「可愛く命乞いしてみなよ。“許してください、見逃してくれたら何でもします”って。“あなたに永遠に服従します”って」
「……ッ、誰が」
「強情だなぁ」
そういうの嫌いじゃないけど、と鈴はまた笑う。
そして人差し指を立て、ティエンの額に当てた。
「その足りない頭で今から言うことの意味をよく考えてみなよ、少年」
鈴は綺麗に綺麗に、返り血すらも美しく感じさせる程に、妖美な笑みを浮かべた。
「私はSランク電脳能力者。この能力はまだ分かってない部分が多い。応用力や使い方の範囲、限界も不明。脳の電気信号を乱して人間の思考をどうにかすることだってできるかもしれない。―――私の能力、お前の脳に対して使ったらどうなるんだろうね?危ないから試したことないんだけど、お前、実験台になってくれる?」
人生で初めて感じた命の危機に、ティエンは―――これまでにないほどの興奮を覚えた。
今まで味わったことのないスリル。
自分が死ぬかもしれないという状況。
たった1人の女に、自分の命を握られている感覚。
生き死にを他人に支配されている実感を得て初めて、ティエンは。
“この女に服従したい”―――そう思ったのだ。
「ッは、ははははは、ははははははは!っはー、分かった分かったァ、分かったよ」
世界最年少にしてSランク能力者となった少年。
今や世界トップクラスの軍事力を誇る大中華帝国軍の上将兼中将の役割を果たす、異例の10歳。
過去所属していた大中華帝国屈指のエリート軍事能力者学校では学力・運動能力・超能力において常にトップを維持し、戦闘機の扱いでも右に出る者はおらず、軍の要望で引き抜かれた彼の嫌いなものは―――“退屈”であった。
「―――永遠に服従してやるよォ、ジョオーサマ」
人の下に立ったことの無かった彼が求めていたのは、スリルだったのだ。