深を知る雨

2201.02.20



 《20:00 Sランク寮》一也side


2月20日。

哀花様の誕生日でなければただの雨の日になっていた今日も、僕たちにとっては特別な日だ。

数日前哀花様に頂いたキャンドルは部屋に飾った。

部屋に戻ると毎回そのキャンドルを見ることになる。

嬉しいはずなのに苦しい気持ちになるのは何故なのか、自分でもよく分からない。

ただ――日に日に、泰久様にとって哀花様がただの妹的存在ではなくなっていることだけが、傍にいる僕にははっきり分かるのだった。


「今日は来られないらしい」


夕食を食べるために部屋から下りた僕に対し、泰久様が端末を見ながら残念そうに言う。


「友達に祝ってもらうそうだ」
「はあ。またAランクの面々ですかね」
「いや。Cランクの奴らしい」


どうせこの男は、毎年のように冷蔵庫にきっちりケーキを用意してあるんだろう。

用意するくらいなら先に誘っておけ。

幼馴染みだからといって、毎年誕生日を一緒に過ごせるとは限らないことくらい、分かっとけ。

哀花様が傍にいることが当然だと思うな。


――――優香様が好きだったくせに。


哀花様が最も泰久様を欲していた時期に、見向きもしなかったくせに。

誰よりも強く凛々しく輝く完璧な人間にばかり目を奪われて、その陰で苦しむ、愛されるべき1人の少女の存在に気付きもしなかったくせに。


「もしかして、セックスしているのかもしれませんね」


そんな言葉が出たのは、ほとんど無意識だった。

世間話をするような口ぶりで言った僕に対し、泰久様は何も言わず眉をひそめる。

聞き間違いか何かだと思ったらしい。

変な話だが、僕にはその様子が愉快に感じられた。


「あぁ、ご存知ないんですか?」


哀花様本人が必死に隠しているが故に泰久様が知るはずのないことを、知っていて当然かのように聞き返す。


「彼女、おそらくCランクの澤小雪とは体の関係がありますよ」


泰久様の表情が固まるのが分かった。

その表情さえ見なければ、僕はこの話を冗談として終わらせたかもしれない。

そんなわけないじゃないですか、何信じてるんですか、と。笑ってみせたかもしれない。


でも、その表情を見て心底――――…もっと傷付け、と思った。


妙な高揚感があった。

教えてしまいたくなった。

全て伝えてぶち壊してやりたくなった。

それで、彼女が、どれだけ悲しんだとしても。


「彼だけではありません。哀花様のお相手はその気になれば他にも沢山いらっしゃいます。数え切れないほど」


―――気付けば、彼女が最も泰久様に知られたくないであろう事実を吐き捨てていた。

お前が可愛がっている妹のような存在は、お前の知らないところで他の男に散々愛されていた――そう伝えたのだ。


「ケーキ、早めに食べてもらった方がいいですよね。泰久様も僕もああいう甘いものは苦手ですし」
「……」
「ご友人とのお祝いパーティーが終わった後にでも来てもらうと良いのでは?……まぁ、彼女は向こうで泊まるのかもしれませんが」
「……」
「僕もこれから用事があるので祝えないのが残念です。メッセージだけでも残しておきましょうか」


分かるか?東宮泰久。

もうあの頃の僕たちじゃないんだ。

4人の中の誰かの誕生日となると必ず集まって祝っていた頃の僕たちじゃないんだ。

優香様がいた頃の僕たちは、とっくにもう消えている。



冷蔵庫を開くと、そこには思った通り哀花様の好きなチョコレートケーキがあった。

外の雨音が激しくなるのが聞こえる。

窓に打ち付ける雨を見て、泰久様に知られたことで泣くであろう哀花様の顔を思い浮かべ、僕はその瞬間初めて我に返ったのだった。




 《20:30 Cランク寮》


「うわアアアアアアアアア!」


部屋中に私の悲鳴が響いた。小雪の部屋に入った途端小雪と雪乃に打たれたのだ。こんなの驚いて声も出る。

しかしどうやら実弾ではないらしく、怪我はしていないし何故かカラフルな紙が床に落ちていた。


「………な、何……」


わけが分からず後ろのドアに背中を貼り付けたまま力無く問う。


「あれ?知らない?これ数百年前の玩具らしいよ」
「クラッカーって言うんです」
「数百年前の文化なんか分かるかぁぁぁ!打たれたのかと思ったわ!誕生日に殺されるのかと!」
「そんなことするわけないじゃん」


クスクス笑う小雪に、雪乃もつられたのか笑い始める。

未だドキドキする心臓を押さえながらも部屋の奥へ入ってくと、室内が可愛らしく装飾されていた。

ま、まじか……私の誕生日ってだけでここまで……。

更に部屋の真ん中には、いつもはないテーブルが置かれている。……これは。


「こたつ?」
「そうそう。随分使ってなかったんだけど、今日引っ張り出してきたんだ」
「座ってください哀様。今ケーキ出しますね」


促されるままこたつに足を入れその温もりを味わう。

雪乃が楽しそうにひょこひょこ冷蔵庫の方へと歩いて行く様を見て危うく恋に落ちそうになった。

ロボットにさせればいいのに、動くのが好きなのかなあ。可愛いなあ。

雪乃がキッチンに向かっている間、正面に座った小雪が私にプレゼントが入っているであろう袋を渡してくる。


「あ、ありがとう。開けていい?」


早速ではあるがそう聞けば、小雪はにこにこしながら頷いてくれた。

開けてみると、シンプルな可愛さのある星柄のクリアボトルだった。

わざわざこんなプレゼントまで用意してくれるとは驚きだ。


「ボトルなら普段使えるかなって。男の子が持ってても不自然じゃない柄選んだから、よければ訓練所にでも持ってってよ」
「うん!使う!この星可愛いね」
「この柄が1番いいと思ったんだ。哀は俺にとって輝く星だからね」


満面の笑顔でそう言われツッコミ待ちなのかそうじゃないのか測りかねていた時、雪乃が戻ってきた。



テーブルの上に3つのお皿が置かれる。

山の形に似た、よく見るケーキだった。


「…………オレさ。モンブラン好きなんだ」
「ほんとですか!?良かった……。何がいいかなって悩んだんですけど、直接聞く機会もなかったから直感的にモンブランを選んだんです」


ほっとしたように笑う雪乃を見て、鼻がつーんと痛くなった。

今までの人生、誕生日にモンブランを出してもらったことなんて無かったから。


「……え、ちょ、哀?泣きそうになってる?」


鼻を啜る私に対し、小雪が心配そうな声を出す。


「……嬉しくて。ほんとは……モンブランが1番好きなんだ」


本当はモンブランが好き。だけどそのことを誰かに言ったことはなかった。

きっかけは私の嘘だった。

チョコレートケーキが好きだと言った。お姉ちゃんがチョコレートケーキを好いていたから。

お姉ちゃんの真似事がしたくて。

お姉ちゃんに少しでも近付きたくて。

それからずっと、私の誕生日に出されるのはチョコレートケーキだった。

誰も、私の嘘に気付かなかった。


「……ありがとう、2人共」


泣きそうな声で言った私に、2人は微笑を浮かべてくれた。

ふと、雪乃が可愛らしい袋を差し出してくる。君もか。


「マフラーです。って言ってももう冬も残り少ないですし、遅いかもしれないですけど……」
「……雪乃さん。まさかとは思いますが、手編みでしょうか。」
「は、はい。そうですよ?」


ぶち犯す!!何なのこの子!!どうしてこうこっちをきゅんとさせるようなことしてくるの!!心臓がぎゅいんぎゅいんする!!


「ありがとう。四六時中……着ける」
「そ、そこまでしていただかなくても……」


若干引かれた気がしないでもないが、本当にそれくらい嬉しい。

3人でモンブランを食べながら、私は何度も泣きそうになった。



食事を終えた後も、暫く2人とこたつで駄弁った。

実家のような安心感とはこういうことを言うのだろうか。

雪乃と小雪が私の親だったら……こうやって、ありのままの私を祝ってもらえてたのかな。

そこまで考えてふと、幼馴染み2人の顔が思い浮かんだ。

……ちょっとは顔出しとかないと悪い気もする。

私の誕生日は幼馴染み組で祝うのが恒例だったし。


でも正直、何か。

今あの2人に会いたい気分じゃない。


あの2人の前じゃ、私は橘哀花に戻ることを余儀なくされる。

もそもそと引きずり込まれるようにこたつの中に体を突っ込みながら気乗りしないでいると、端末が震えた。


 〈お誕生日おめでとうございます。Sランク寮の冷蔵庫にケーキがあるので食べておいてください〉


今日1度も会っていない一也からのメッセージだった。

ありがとうと送ろうとして、まだ続きがあることに気付く。


 〈それと。先に謝っておきます。すみませんでした〉


……? 何かあったのかな。

ケーキにとうがらし仕込んだとか?

……やはり気になる。

端末を閉じてもそりとこたつから出た私は、Sランク寮へ向かう準備をした。


「もう行くんですか?」
「あぁ。ちょっと他の人にも会わなきゃいけなくてさ。今日はありがとな、ほんと!あとは2人でごゆっくり」


含みのある言い方をしてやれば、雪乃の頬が紅潮する。

その様子を微笑ましく思いながらも、小雪の部屋を後にした。




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