深を知る雨
2200.12.08
《3:50 Aランク寮居間》
目が覚めると、裸の男に抱きしめられていた。
「………」
頻繁に盛ってた頃に何度か経験した出来事ではあるのだが、相手が薫――女だとバレてはいけない相手だっただけに、正直物凄く驚いて、めちゃくちゃ焦りながら自分がちゃんと服を着ているか確認した。下着の具合も確認した。
焦ったあああああヤっちまったかと思ったああああああ。昨日殴り合いしてるうちにお互い疲れて寝ちゃったんだな……。
幸いEランク寮の起床時間までまだ余裕がある。そろりと薫を起こさないように薫の腕の中から逃れた私は、伸びをして勝手にキッチンへ行き、冷蔵庫にあった牛乳を取り出した。
と。
「もう起きたの?」
そこに音もなくやってきたのは楓。
まだ外は暗いってのに、そっちこそもう起きたのか。2人きりになるのは初めてなので妙に緊張する。
「おう…。楓も、早いのな」
「………」
楓は少しの間黙って私の方を見つめていたが、その後静かにキッチンのドアを閉めた。
「あんた、ほんとブッサイク」
……また言われた!! 好みじゃないのは分かったからそんな何度も言わなくても……。
ショックを受ける私に対して、楓は冷静な声で衝撃の一言を口にした。
「似合ってないわよ、その男装」
思わず楓を凝視する。
……面倒なことになった。何故分かったのかは分からないが、確信を持った言い方だ。
―――どうやって口止めする?
やりたかないけど、向こうで寝てる2人を人質に……なんてことを考えていると、楓は何でもない顔で私の近くまで歩み寄ってきて、食パンを二枚取り出す。
「気流操作能力者の空間把握を舐めない方がいいわよ。こんな能力使ってると、能力を使う必要がない時でも常に空間を把握しようとする癖がつくからね。……あんたに、男についてるはずのものがついてないことくらいはすぐ分かる」
「ちょ、どこの空間を把握してんの…!」
咄嗟に股間を隠すが、隠したって意味はないだろう。空間把握が重要になってくる能力を扱う能力者は、無意識下で空間把握が鍛えられる。目を閉じていても周囲の物体のおおよその形状が分かるのだ。人間でいえば、服で隠れていようと体のラインが分かるらしい。
とはいえそんな部分までハッキリ分かるとは思っていなかったから、そこからバレてしまったのは不覚だった。
「勘違いしないで。あたしはただ気を付けろって警告してるだけ。空間把握を使う能力者は少ないながらこの部隊にはいるからね」
零細な読心能力を使って楓の心の内を探ってみたが、楓はどうやら私が男だろうが女だろうがどうでもいいらしかった。詳細な思考は読めないが、本当に興味がないみたいだ。ましてや言い触らすつもりもないだろう。
「……あの2人は、空間把握できるの?」
「薫と遊?あいつらはできないわよ。里緒も、よく分かんないけど大丈夫じゃない?念動力者はそこまで正確な形状が分からなくても対象の物体を動かせるから、空間把握の力はそこまで発達してないと思うわ。気にしなくていい」
楓は皿を2枚取り出し、そこにトーストを乗せ、片方を私に渡してきた。
さりげなく優しい……。なんか、あいつらが楓を好きなの、分かる気がするなぁ。
キッチンにある小さなテーブルに向かい合って座り、暫く楓の様子を観察していたが、「さっさと食べなさいよ」と言われた。……楓なら、大丈夫、な気がする。
「……あのさ、私が女ってことは、言わないでほしい」
「分かってるわよ。隊員に女がいるなんてどう考えても言っちゃ駄目でしょ」
冷たく言われ私が黙ると、キッチンは静まり返る。それから数分食事をする音だけがしていたが、沈黙を破ったのは意外にも楓の方だった。
「あんた、薫と仲良くしてやってね。あんまり大きな音がするもんだから昨夜ちょっとだけ様子見に行ったけど、薫と互角に喧嘩できる奴なんてそういないんだから」
そしてその話題は私が女であることについてではなく、薫のことについてで。
「……大切に思ってるんだね、薫のこと」
「まぁ、恩人の弟だから」
「え、薫ってお兄さんかお姉さんがいるの?」
「5つ上の兄がいたわ。8年前に死んだけどね」
8年前。終戦の年だ。
「……殉職か」
「敗戦後、軍事裁判が行われたでしょ。彼は非人道的な行いをした戦争犯罪人として裁かれた人間の中の一人だったわ」
そこまで言って、楓はふっと何かを馬鹿にするかのように笑った。
「おかしいわよね。戦争に非人道的もクソもあったもんじゃないじゃない。勝戦国の人間だって、酷いこと沢山したはずよ」
戦争の終結は、敗戦国の戦争犯罪人を裁くことを伴っていた。だが、その程度の裁判では効果が無かったということだ。超能力開発によってそれまで以上の軍事力を得た日本は、利益を追求しまた同じ道を歩んでいる。
「……今度は勝たなきゃいけないね」
「…勝とうが負けようが、犠牲者は大勢出るわ。戦争なんて本当はすべきじゃない」
楓の言うことはその通りだと思う。でも、今の国際情勢じゃそんなこと言ってられない。食うか食われるか。獣の争いと同じ。
「大切な人を殺されないために人を殺すのが戦争だよ」
かつてあの人がよく使っていた言葉をそっくりそのまま楓に言うと、楓はそれ以上何も喋らなくなった。
朝食を取った後、私はそろそろEランク寮の起床時間だと思い立ち上がる。食べ終わった後の皿をロボットに渡しておいてからキッチンを出ようとし、私はふと楓の方を振り返った。
「あのさ。楓に私のこと言うつもりがないっていうのは分かるんだけど、楓って遊といること多いよね?遊に読まれるかもしれなくない?」
「遊は信用してる相手の心を読もうとしないわ。それに、あたしがあんたのこと考えることなんてないだろうし」
「………そ、そうですか」
少しも私のことを考えてもらえないのはちょっと残念だが、安心でもある。
しかし、一応釘はさしておこう。
「もしも楓が原因で遊にバレるようなことがあれば、その時は―――口止めのための手段は選ばないよ」
遊と楓をどうするか分からないよ、という意味を込めて低い声で脅せば、楓は少し驚いた表情をしつつも頷いたのだった。