深を知る雨



2185年。

地方のある病院に、集団で暴行を受け搬送された少年がいた。

少年の血液はボンベイ型――出現頻度1%以下の、その当時確保が難しいとされた“黄金の血”であった。

ボンベイ型には通常のO型にない抗H抗体があり、血液型判定ではO型と判断されるものの、実際はABO式血液型と同様に扱ってはならない血液である。

外傷による失血が酷く生命に関わる状態にあったとはいえ、彼に輸血できる血液はその場になかった。

更に悪いことに、少年の一族は自己の利益を最優先した商売を行い続けた結果、日本帝国では差別の対象となっていたため、少年の治療に手を貸そうとする者はいなかった。

もちろん当時の医療人の誰もが少年に対する差別意識を持っていたというわけではないのだが、周囲や世間からの目を恐れ少年の治療に対し積極的にはなれなかった者が殆どであった。


そんな中、血を差し出すことを申し出た少女がいた。

少女は当時8歳、とても献血できる年齢には及んでいなかったのだが、少女の余りの必死さにその場にいた人間は圧倒され、その場にあった技術を駆使して国の定めた採血基準を無視し少女から血を貰った。


彼を助けた医者は言う。


「貴方は本来なら死んでいたわ。与えられた命に感謝しなさい。あなたと同じボンベイ型の人間があの場にいたのが、どれ程の奇跡か分かる?貴方は神に生きるべきだと思われた存在なんだわ」


少年は病院での唯一の話し相手であるその医者に対し、ぽつりと言った。


「……神なんて、いませんよ」
「まだ比較的宗教的意識が強くない日本帝国だから言えることよね、それ。ここが外国なら打ち殺されてるわよ」


ひねくれた少年に対し、椅子に座った医者はもっと素直になれと嫌そうな顔をした。


「まぁ、今は神よりドナーに感謝することね。同じボンベイ型の人間があの場にいたことも奇跡なら、本人が積極的に血を差し出すことを提案したのも奇跡よ」


そんなことは少年にも分かっていた。

少年の名は一ノ宮一也。

“一ノ宮”と聞けば、誰もが関わることを避けるはずである。

しかしその少女は、そんな一ノ宮の一族である自分に血を与えることを望んだ。


理由を聞きたい、と思った。

その時一也の内にあった感情は、感謝というより疑念であった。


「……その人、名前はなんていうんですか」
「悪いけど、それは教えられないわ。最近そういうの厳しくなってるのよねー。第一、緊急だったから確認しなかったし」
「小学校の鞄に“橘”と書かれていたそうです」


隣にいた看護師があっさり教えたことに対し、医者は瞠目する。

しかしすぐにそれが少年の能力であることを悟り、はあ、と溜め息を吐いた。


「怖い怖い。私もいつ操られるか分かんないわけね」
「あなたのことは1度も操っていません。……だから、不思議です」
「不思議?」
「操られてもいないのに僕を助けたことが不思議です。嫌な目で見られたんじゃないですか?」


差別の対象にされていることを自覚したうえで何とも思っていないかのようにそんな質問をしてくる少年の可愛いげのなさが可笑しく、医者は思わず吹き出した。


「医療人として当然のことをしたまでよ。例えばあなたが連続殺人犯だろうが、私はあなたを治療してたわ」
「……僕に対する差別意識は全くないんですか。大抵の人間は僕を人としては扱いません」
「理由なく恨むところもないガキ嫌ったりしないわよ。大抵の差別意識の根本にあるのは無知と他者を受け入れられない幼児性だしね」


不思議な人だと一也は思う。

そしてこんな不思議な人間と今話すことができているのは、自分に血を差し出した少女“橘”がいたからであると、その瞬間初めて感謝の気持ちを覚えた。


「……会いに行きます」
「え?」
「会って、お礼を言います、いつか。“橘”さんに」


病室のベッドから青い空を見上げ、一也はそこに生きる意味を見つけたのだった。




「人の肉は高く売れるのよ」――幼い頃、一也は親からそう教わった。

「この世で1番金になるのは、殺人と人を狂わせる薬だ」――中学に上がる頃には、それが事実であると嫌というほど分かるようになっていた。

一也は生まれ持つSランクレベルの能力を使用し、ずっと一族の商売に力を貸していた。

一ノ宮の一族は、役に立つ見込みがなければ子供であろうと何だろうと躊躇なく捨てるであろうことを分かっていたから。

実際一也は親戚の子供が殺される場面を何度か見たし、実の弟が肉の塊になっている様子も両親に見せられた。


親ですら自分に道具としての価値しか見出だしていないと、一也が悟るのは早かった。

外に出れば罵詈雑言、内に入れば冷たい指図。

一也はその暴行に遭い搬送されるまで、1度として人として扱われたことはなかった。


だから酷く気になった。

あの医者が自分を助けた理由が“医療人だから”であるならば、自分と何ら関わりのない一般人の少女が必死に血を差し出そうとしたのは何故なのか。

その地域に橘という名字の人間は少なく、更に病院の近くの小学校に通う“橘”となれば、すぐに見つけることができた。

ただ、その家は容易に近付くことができなかった。

一件普通の屋敷に見えるその建物の周辺には何者かによって超能力結界が張られており、中の様子を見ることは不可能だった。

結界の緻密さから、相当高レベルな何者かがその家を守っているであろうことは想像できた。

一也は何度か人を使って橘家に出入りする人間を調べさせたが、それらの人間は次々と謎の失踪を遂げ、一也はそこでようやく、橘の家が普通ではないことを察した。




一也が何とか橘家との繋がりを持つには、それからおよそ5年がかかった。

橘家と深い付き合いのある東宮家の関係者と関わる機会を巧妙に作った一也は、自身の能力が評価されるよう仕向け、東宮家の一人息子である東宮泰久の護衛として採用された。

Sランクといえど、一ノ宮家の人間を雇おうとする人間は珍しい。

だからこそ、信頼を勝ち得るには何年もの月日が必要だった。



その頃一也はちょうど20歳。

おおよそ親が不要になる年になったその日、一也は一ノ宮家の一族を皆殺しにした。

特に理由があったわけではない。

不要であるから殺そうと思った。


まず殺害したのは母親だった。

次に殺害したのは父親だった。


殺害した両親の肉を売った後、一也はたがが外れたように、一ノ宮家の商売を支える親戚を次々と惨殺し始めた。


彼は家族を殺す時に限って、一切超能力を使用しなかった。

自らの手で殺すことこそが、彼にとってのギリギリの愛情だった。

罪を隠すためにのみ超能力を使用した。

人を操る能力を持つ一也にとって、完全犯罪は息を吸うより容易な事だった。



一也の護衛対象である泰久は一也と同い年の軍人だった。

父親は空軍の重要人、母親は相当なお金持ちのお嬢様。

金も地位も十分にある、そのうえSランクレベルの超能力も授かった、持って生まれた人間。

予め東宮泰久という人間を調べていた一也は、予備知識通りの男だと思った。

一也はまともな家庭というものを東宮家に入って初めて目にした。

多少厳しい父親ではあったが、何もしなくても毎日食事が用意され、温かい笑顔を向けてもらえる泰久。

その光景の中に、一也の知らない常識が沢山あった。

東宮家では誰もが一也を人として扱った。

特に泰久の母親はとても優しい人間で、一也が今まで受けてきた扱いを知り涙を流してくれさえした。

一也にとってはそれが逆に居心地悪かった。

こんな世界があっていいものか、と感じた。

自分が20年苦しみ続けてきた場所のすぐ傍に、こんな幸せな世界が広がっている。

東宮家の人間は一也に、人の温もりや一般家庭の常識、人として扱われる権利や娯楽……多くのことを教えたが、同時にこの世界のどうしようもない不平等までもを思い知らせたのだった。

一也の思惑通り、東宮家で働いていると、橘家の人間と関わる機会も増えた。


「何かあるんですか?」


ある日、テーブルに並べられたもう1つの、誰か別の人に向けられたものであろう料理を見て、一也は聞いた。


「もうすぐ優香が来るんだ」
「……すみません、存じ上げません。どなたです?」
「橘家は分かるだろ。そこの娘だ。俺の幼馴染み」


――ついに来た、と思った。

何年も見てみたいと思っていた娘を、この目で見られる日がくると思った。



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