深を知る雨
第九章
2201.04.15
《1:30 オヴラ本部》エフィジオside
オヴラ本部――そこは、様々な機密情報の行き交う場所でもある。
「イタリィ軍のフーランス侵攻は、6月10日らしいわよ」
アタシの言葉に対し、珍しく煙草を吸っていたルフィーノはふっと笑って火を消した。
「んじゃあもうすぐだねえ。戦争」
「そうね。今回も大きくなりそうだわ」
「まあたかわいこちゃんが沢山死ぬのかなあ?嫌な時代だよ、まったく」
空を見上げても星は見えない。
真っ黒な世界が広がっているだけだ。
「こんなことばっか続けてたら、いずれ人類は滅びるでしょうね」
「つうか、もーそろそろマジでそうなるんじゃなあい?今後平和な世の中がおれらに訪れるとも思えないしい」
「随分あっさり言うのね。嫌じゃないわけ?」
「時代の流れに人は逆らえないからねえ」
それでも時代に逆らって自分の正義を貫き通す人間を人は後に強者と呼ぶんだろうけど、とルフィーノは付け足す。
人類は滅びるその瞬間もきっと戦っているだろう。
戦争のない世界、軍縮を目指した数百年前の人々は、きっとこんな世界になるなんて思ってもいなかったはずだ。
ゆらりゆらりと自己の利益を優先する人間が人々の上に立ち、心優しい弱者を押し退け、平和を望んだはずの1つの時代を終わらせてしまった。
世界の常識はたった数百年で変わってしまったのだ。
「なら、その常識を覆す誰かを待ち望むしかないんじゃなあい?」
「どういう意味よ」
「たった数百年年で世界は大きく変わった。なら、たった数百年で世界をある程度平和にすることも可能なんじゃないかなあ」
「何よ、さっきは平和な世界が訪れるとも思えないって言ったくせに」
「このままだったら、って意味だよお。このまま何もしなかったら、そりゃ人類は終わりだ」
現代の常識を覆す人間。
破滅の道へと進む世界を、力ずくで押し戻す人間。
……そんな人間が、もし本当に現れたとしたら。
アタシたちは、自由に国家間を行き来できる生活を送れるようになるんだろうか。
「ルフィーノ、アタシね」
「ん?」
「いつか日本観光をしてみたいと思ってるの」
真っ黒だった夜空の中に、ぽつんと輝く1つの星を、うっすらと見た気がした。
《6:00 軍事施設内》小雪side
哀が訓練所に現れなくなってもう1ヶ月以上が経つ。
聞くところによると、特別な訓練を受けさせるために他国に送られたらしい。
それも実験的な訓練らしく、超能力部隊の中から抽選で数名が選ばれ他国へ行ったという話だ。
……聞いていない。
そんな話が舞い込んできたなら哀は真っ先に俺に話そうとすると思うのに、哀は何も言ってなかった。
俺は哀の連絡先を知らないし、正直寂しい。
そもそも何なの、特別な訓練って。そんなの受けなくていいじゃん。俺と一緒にいりゃいいじゃん。
断れば良かったのに、なんて不満に思っていると。
やや遠くに朝からどこかへ向かっているらしい大神薫が見えた。
呼ぶのが面倒なので取り敢えず近くまで瞬間移動させた。
「っ、」
「ねぇ、哀の連絡先知らない?」
「ッお前かよ!急に瞬間移動させんな!驚くだろうが!」
「哀の連絡先知らない?」
「……」
はあ、と何故か溜め息を吐いた大神薫は、「知らねぇよ」と言う。
なーんだ、こいつ最近哀と仲良くなってたし知ってるかと思ったのに。
「それ聞いてくるってことは、お前も知らねぇのか、連絡先」
「お前と一緒にしないで。お前は聞いても教えてもらえないのかもしれないけど、俺はそもそも聞いてないだけだから。俺の方が哀と仲良いよ?」
「いや別に張り合ってねぇし……」
っと、無駄話しちゃった。今日は午前の訓練が早めに始まるし、もう行かないと。
「最後に聞くけど。特別訓練のこと、哀から何か聞いてる?」
「俺は何も聞いてねぇよ」
「……そ」
こいつにも何も言ってないのか。
守秘義務でも課せられたのかな?
特別訓練に関してはよく分からないことばかりだ。
突然端末に送られてきた上層部からのお知らせメッセージには特別訓練があるということ、受ける人間は抽選で選んだということ、加えて選ばれた何名かの名前が挙げられており、その中に千端哀という名もあった。
そしてちょうどその日、哀はこの軍事施設に姿を見せなくなった。
いつ帰ってくるのかとか、どんな訓練内容なのかは明確には書かれておらず、最初見た時は首を傾げたのを覚えている。
……哀、今どうしてるんだろう。
切ない気持ちになりながらも、俺は訓練所へと向かった。
《12:50 Aランク寮》遊side
「哀って秘密主義なのか?」
昼休憩中、餃子を食べている薫がふと聞いてきた。
その隣にはすっかり薫に慣れた様子の里緒が座っている。
「どないしたん、いきなり」
「今日澤にあいつの連絡先聞かれたんだよ。澤にまで連絡先教えてねぇとか、あいつ自分の個人情報頑なに隠す趣味でもあんのかと思って」
「そういえば、特別訓練で海外行くなんて話も一切してなかったしな」
ぽつりと隣から付け足す里緒は、珍しくチビの話題に関心を示している。
「それはやっぱり、言うなって言われてたんじゃないの?もしくは、直前まで聞かされてなかったか」
然り気無く薫の餃子を奪いながら言う楓。
数秒の沈黙の後、里緒が真剣な表情になった。
「今回の話、伏せられてることが多すぎるだろ。上層部は何考えてるんだ?特別訓練の内容に関して言及しないのは、隠したいことがあるからじゃないのか」
疑念を持っていたのは俺だけではなかったらしい。
あの上層部は何をするか分からない。
俺の方でも調べてようとはしているが、上層部と顔を合わせる機会自体が少ないうえ、Aランクレベルの読心能力者として顔が割れている分警戒される。
……それに、俺が疑っているのは上層部だけじゃない。
チビがいなくなる前日、俺はチビを寮まで送り届けた。
その時話していたのは、Sランクのあの2人のどちらかがスパイである可能性についてだ。
寮に戻った後、チビが気になってあの2人のどちらかに何らかのアクションを起こしたことも考えられる。
電話か、もう一度外へ出てSランク寮まで行ったか。
どちらにせよ、探ったとしたら――そしてその探った相手が、本当にスパイであったとしたら――口封じのために消された可能性もある。
そしてチビを消した本人は上層部のサーバーを乗っ取ってあんなメッセージを隊員に一斉送信したか、あるいは――超能力で操って送らせたか。
東宮である可能性もまだ捨てきれないが、現段階で最も怪しいのは一ノ宮だ。
あいつなら上層部の無能力者を思うように操れる。
……ただ、一ノ宮のチビに対する想いは本物だった。
あの育成所の一件以来それだけは知っている。
あいつがチビを殺すとは考えにくい。
生かしたまま口封じしているというのが俺の予想だが……証拠が全くない分下手には動けない。
怪しんでいることが本人にバレたら警戒され、より真実が分かりにくくなってしまう。
最悪の場合、俺や俺の周りの人間が消される。
……けれど、何を言おうとチビがいなくなってからもう1ヶ月以上経つのだ。
スパイを放置し続けるわけにもいかないし、これ以上チビが無事かどうかも分からない状態でいるのは俺が嫌だ。
「俺、ちょお先行っとくわ」
昼飯を早々に食べ終え、立ち上がって寮を出た。
午後はSランクとの合同訓練だ。
東宮の場合、いつも俺たちより少し早く来ている。
チビを隠した本人が東宮である可能性も考慮するとリスクある行動ではあるが、このまま何もしなければ事態は動き出さない。
自分より早く来ていた俺に少し驚いたらしい東宮は、「早いな」と短く思ったことをそのまま口にした。
「お前と話したいことがあってな」
「俺と?何だ?」
「チビのことや」
東宮の胸ぐらを掴み壁に押し付け、攻撃してきた場合に備える。
「俺の目ぇ見て答ええよ。――あのチビは、ほんまに特別訓練に行っとるんよな?」
「……そう聞いているが?」
[何故急にそんなことを聞くんだ?この男]
白だ。嘘は吐いていない。
東宮の目からは、焦りというよりは困惑の色が見える。
「連絡は」
「連絡?」
「あいつからの連絡はちゃんと来とんのか?」
「……向こうからは来ていない」
[端末を没収されているか壊れたかだろう]
そこまで聞いた俺は、東宮から手を離した。
「お前それ、何とも思わんのか?」
「は?」
「怪しいやろ」
東宮は眉間に皺を寄せ、俺の次の言葉を待つ。
……ここは、全部バラしてこいつを味方につけるべきやろな。不本意やけど。
「売国奴の話は、Sランクの方にも回っとるよな?」
「当然だ」
ちらりと時計を見る。
薫や里緒が来るまでには、まだ時間があるだろう。
ここで話しておいても問題はない。
「あのチビが消えたんは、俺が売国奴はお前ら2人のどちらかかもしれんって言うた日ぃや」
「俺たち2人……?一也と俺か?」
「消去法で考えて、お前らのどちらかしかおらんと思った。そんで、それを伝えたらチビはおらんようになった。この意味分かるか?」
「……あいつは俺か一也がスパイかどうか調べようとして消えた――あるいは消されたということか?」
へえ、なかなか物分かりええやん。