深を知る雨
誰かの話
《23:55 マカオ》
今日も男はその場所へと足を運ぶ。
これからは毎日一緒にいられると心を躍らせながら。
男は予定を僅かに変更した。
本当は戦争が始まるまで雇い主の傍にいるつもりだった。
男は雇い主に恩を感じていないわけではなかったから、できるだけ長い間護衛をしたいと思っていた。
しかし、それはできなくなってしまった。
男は軍から姿を消すことにした。
最上階のその部屋に入る時、男はいつも何故だろうと思うことがある。
汚しても汚しても綺麗な彼女は、一体どうすれば汚れるのだろうと疑問に思う。
見た目の美醜の問題ではないのだろうか?
こんなにぼろぼろになっても尚、目の前の女性が自分ほど汚くならないのは何故なのだろう。
「こんばんは、哀花様」
試しに挨拶してみたが、返事はない。
ここ数日、女は何も返答していない。
男は仕方なく女の鎖を外し、ぐったりした状態の彼女を抱えてすぐ傍のベッドに下ろした。
まるで恋人を愛でるようにその頭を優しく撫で、嬉しそうに微笑む。
女はその表情を視界の隅にいれ、以前の彼とは比べ物にならないくらい自然な、作り物ではないその笑顔を見て、僅かに目を細めた。
男は女の傷跡を噛む。
突然のことに小さな悲鳴を上げた女は、しかしすぐに声を抑えようと唇を噛んだ。
その目から一筋の涙が溢れたのを見て、男は得も言われぬ満足感を得る。
(やっと泣いた、)
男は他の傷口に舌を這わせ、女の顔が歪むのを見て今度はある種の安心感を得た。
(可愛い、可愛い、可愛い…可愛い可愛い可愛い可愛い可愛い可愛い可愛い可愛い可愛い)
愛しい相手との今後の人生を手にして初めて、彼は。
「―――これからはずっと一緒ですよ、哀花様」
この世に生まれてきて良かったと感じた。