深を知る雨
誰かの話
《22:15 マカオ》
「失礼します」
使用人に対し、愛しい相手との情事を楽しんでいた男は動きを止め鬱陶しそうに舌打ちした。
「入ってくんなっつっただろうが」
「申し訳ございません。しかし、ご報告したいことがありまして」
「10秒だ。10秒で出ていけ」
「はっ。瀬戸川麻里が客の端末を使い外部に助けを求めたことが確認されました。以上です。失礼しました」
“瀬戸川麻里”というワードを聞いて、男の下にいる女の体がぴくりと反応する。
この建物には、賭け事で不正ができないよう至るところの天井に隠しカメラが設置されている。
客の動きはすぐに分かるのだ。
麻里の行動も、全て見られている。
「ああ、哀花様。あなたは何もお気になさらないでくださいね」
男はクスリと笑ってゆるゆると律動を再開した。
「手は打ってありますから」
男は自身の能力を駆使して、自分の支配下にない人間は誰もここへは来られないよう仕向けてある。
ここへ助けが来ることは有り得ない。
「……麻里が……来てるの……」
弱々しい声で女は問う。女が久しぶりに自発的に喋った瞬間だった。
「……ええ。来てますよ?」
「麻里が助けを呼んだなら……泰久も来るね……」
「……無駄ですよ。こちらには来られないようにしてあります。あなたは助からない。諦めてください」
「私じゃないよ……一也を助けに来るんだよ」
女は可笑しそうに、しかし力なく笑う。
女の言葉の意味が分からず、男は訝しげに女を見下ろした。
一体何を言っているのだろうと。
ついに壊れてしまったのかと。
女はそんな男を見上げながら、言葉を続ける。
「この10年……泰久と一緒に過ごして……私しかいらないなんてそんなこと……ほんとに思った……?」
「……何言ってるんですか。僕は、」
「泰久は一也のこと好きだよ……?」
男は耳を疑った。
(―――どうして、)
(どうしてまだ、そんな綺麗事を吐けるんだ)
「――――ッどうしてあなたは少しも汚れないんですか……!どうしてそんなに、ずっと綺麗なままなんですか!!」
半ば叫ぶようにしてそう言いながら、男は女の首を絞めて黙らせた。
「僕はあなたが好きです、愛してます……!でも時折、無性に憎らしくなる……っ!」
男は泣いていた。
「あなたが僕の近くに来てくれないから……!!」
女は声を出せない。
しかし伝えたくてたまらなかった。
――――この10年ずっと、自分は汚いと言って傍に来ようとしてくれないのはそっちじゃないか、と。