深を知る雨
2201.04.21
《0:10 マカオ国際瞬間移動輸送場》遊side
東宮と合流してすぐやってきたのは、世界一のカジノ街と言われるマカオ。
瞬間移動で輸送場まで到着したとはいえ、俺達の目的地はまだ先だ。
大型ホテルとカジノの連なる、マカオの中心地――そこへ行きたい。
輸送場の外へ出て、飛行タクシーを待つ。
が。そこで周囲の異変に気付いた。
……何やこの数?
いくら輸送場の近く言うても、何でこの時間に、この場所に、皆が皆一定の方向を向いてこっち来とんねん。
違和感を覚えた次の瞬間、――――何千人といるであろう人々が一斉に武器を取り出し、俺達に向かって突っ込んできた。
「っ、」
咄嗟に楓が防御するが、人々は次から次へと襲ってくる。
その虚ろな瞳を見て漸く分かった。
――――操られている。
俺達を襲ってきているのは、無関係の一般人だ。
傷付けるわけにはいかない。
「一ノ宮の差し金か……ここは早く抜けねぇとまずいぞ」
と薫。
「つってもどんどん来てるわよ!?この人混みの中先へ進むのは無理だわ!」
と楓。
2人の言う通り、厳しい状況なのは間違いない。
中には能力者も数多くいるようだ。
空中へ逃げたとしても捕まるだろう。
「蹴散らすのは容易だが、日本帝国の軍人が大中華帝国の領土で暴れれば両国間の関係に響きかねないな」
東宮が難しい顔をして言う。
きっとこれが一ノ宮の狙いだ。俺たちは大中華帝国の人間に対して何もできない。
なかなか小賢しい真似してくれるやん、ムカつくわぁ。
俺たちにできるのは防御のみ。
数十分経つと、力を制御しなくてはならないストレスと弾いても弾いてもキリのない人数により疲れが出てきたのか、楓がイライラし始めた。
「ねぇもう一気に吹っ飛ばしていい!?いいわよね!?いいって言え!」
「誰に許可取ろうとしょんねん。あかんわ」
「じゃあどうしろっつーのよ!これじゃいつまで経っても哀たちのところへ行けないわ!」
一ノ宮の支配下にある人々はどんどん集まってきている。
防御するにもいずれ限界が来るだろう。ここにいる人間を、傷付けることなく戦闘不能にする方法があれば……。
――――と。次の瞬間、目を疑う光景が広がった。
先程まで俺たちを襲っていた人々が、次々と幼児へと変貌してゆく。
……何だ?何が起こってる?一ノ宮の仕業か?
Sランクは多重能力者だ。
こんなよく分からない能力を持っていてもおかしくはない。
しかし、この状況で彼らを戦闘能力のない幼児に変えるメリットは、一ノ宮にはない。
他の誰か……誰かが俺たちの援護をしている?
一体、誰が。
「行くぞ」
何故か冷静な東宮が、幼児達の間を通り抜けていく。
俺たちも状況を理解できないままそれに続いた。
「な、何だったの今の……」
「東宮、お前の仕業か?」
「いや。俺じゃない」
徒歩で輸送場から距離を置き、次の飛行タクシー乗り場へと向かう。
今度こそ邪魔されるわけにはいかない。
――――――周囲に気を付けながら先へ進んでいた、その時だった。
「あーあー。ここまで来ちゃったかー。参ったなー、止めなきゃなんねぇじゃん」
頭上から聞こえてきた、溜め息混じりの声。
街灯の上に立っていたのは、英国の軍服を着用した1人の西洋人。
一目で分かった。
8年前、日本帝国軍内部で聞き飽きるほど話題になった人物だ。
“西洋最強のSランク能力者”
“あの男がひと度戦場に現れれば終わり”
“その国は速やかに滅びる”
“全てが赤に染まる”
“血の海が出来上がる”
“大英帝国、最大の兵器”
ロイ・エディントン――――かつて西洋の死神と呼ばれた男。
……このタイミングで英国軍の要人が出てくるって、一ノ宮が英国と繋がっとるとしか思えんのやけど。
「久しいな。英国の軍人が何の用だ?」
ロイ・エディントンとは戦場で一度は会ったことのあるであろう東宮が、厳しい声で問うた。
東洋と西洋の交差するマカオで、死神同士が対峙している。
「悪いんだけど、君たちをこの先に行かせるわけにはいかないんだよねー。うちのお偉いさんの命令でさ」
ライトブラウンのルーズパーマが夜風で揺れた。
その青色の瞳が酷く不気味に見えるのは、夜だからだろうか。
空気が張り詰めた、その時。
「俺とあいつが本気でやり合えばこの街が壊滅する。先に行くから、足止めは頼んだ」
東宮が水に乗って軽やかにこの場を去ろうとする。
「お、おい!何1人で行こうとしてんだ!」
「共に行く必要もないだろう」
「俺らだけ置いてく気かよ!」
「何のために俺が日々お前達の担当をしてると思ってる?訓練の成果を発揮してみせろ」
ふ、と挑発的に笑った東宮に向けて、ロイ・エディントンがにこにこしながら手を翳した。
「そう簡単に逃がすと思うー?」
ドッ、と大きな音を立てて一瞬でその手の内から多量の血が生み出され、矢のように鋭く東宮へと放たれる。
噂通りの血流操作だ。
しかし東宮の方も負けてはおらず、遠ざかりながらも水を発生させてロイ・エディントンからの攻撃を防ぎ、血の勢いを打ち消す。
打ち消されてもなお血は生み出され、血と水の激しいぶつかり合いが続いた。
流石Sランク能力者同士と言ったところか、出力が桁違いだ。入る余地がない。
「君を見ると戦場を思い出してたぎるよ」
「悪いがお前の相手は俺じゃない」
「こんな未熟者たちを俺に残していこうとするなんて、君もなかなか鬼畜になったね?」
「未熟かどうかは戦ってから決めろ」
何度か互いの能力をぶつけ合った後、ロイ・エディントンは東宮への攻撃を止めた。
東宮が随分と遠くへ行ってしまったからだ。
東宮を追うということは、すなわち俺たちを逃すこととなる。
1人を逃すより3人を逃す方が痛手だと考えたのか、あるいは――俺たちを先に倒してすぐ東宮を追おうと考えているのか。
薫が楓を庇うようにして前に出る。
しかしロイ・エディントンは薄ら笑いを浮かべるだけで、こちらに攻撃してくる気配はない。
「そう警戒すんなよ。俺君たちと戦う気はないよ?すぐ勝てちゃうから。それだと面白くないからさー、できれば自発的にあの子を諦めてほしいんだよね」
ふわり。ロイ・エディントンが街灯から地面へと降りてくる。
「俺は無知な人間が嫌いでね。何も知らないくせに知った気になってる奴を見てるとイライラするんだー。君たちが、まさにソレ」
言いながら、道に落ちている花びらを踏み潰す。
「こんなところまで来ちゃってさー。あの子のオトモダチのつもり?」
“あの子”……この男はチビを知っている?だとしたらどこに接点があったんだ?
8年前に活躍した大英帝国の軍人と、8年前は単なる一般市民だったはずのチビ。
一体いつ繋がった?
「教えてあげるよ、君たちが今救おうとしている子がどういう人間か」
囁くその声が、やけに夜の空気に響いた。
「あの子は君たちの想像しているような子じゃない。あの子は平気で嘘を吐けるし、人を殺せるし、利用できるし、踏みにじれる」
「……どういう意味よ」
言い返すような語気で問うたのは楓だった。
さっきの血流操作を見てもまだこんな態度を取れるのだから大した女だ。
「5年前大中華帝国で起こった、世界最大規模の人道危機を知ってるよねえ?」
当然知っている。
大中華帝国政府側の軍の人間がジェノサイドを行った事件だ。
当時は国際社会から多くの批判を浴びていた。
「あれを主導していたのはあの子だよー?」
「……は?哀が?何のために……?」
楓が僅かに動揺する。
「大中華帝国の軍人からの絶対的な信頼を得るため、かなー。俺の憶測だけど。あの子は自分の目的のためなら手段を選ばない。信じるか信じないかは君たち次第だけどね。生半可な気持ちであの子と関わってるなら、仲良しごっこはそろそろやめた方がいいんじゃなーい?あの子は正真正銘の“怪物”だ」
……さっきからゴチャゴチャゴッチャゴチャ。
チビの何ポジのつもりなん、コイツ。
圧倒的力量差のある能力者相手に、今この状況で喧嘩を売るのは賢明じゃない。
そんなことは分かってる。
「だから何やねん」
――でも、腹立つもんは腹が立つ。
「どんなことが過去にあろうが、それはあのチビを見捨てていい理由にならへんわ」
俺の返答が予想外だったのか、ロイ・エディントンはぽかんとした。
その表情が年齢に似つかわしくない程度には幼く見えて可笑しくなった。
しかしそれは一瞬のことで、すぐにロイ・エディントンは先程よりは愉しげな笑みを浮かべ、特徴ある自国語で囁く。
「It’s a shame.」
その声だけで鳥肌が立つ。
「――Good bye for good」
本能的に危機を感じたその直後、
視界が赤くなった。
「―――…ッ、」
―――色しか、見えなかった。
それは一瞬のことだった。
何が起こったのかも分からないままに、気付けば横腹から血が吹き出していた。
やっ……べぇ……!