深を知る雨
《0:47 高層ビル》麻里side
ベッドに寝転がって外の景色を眺めていると漸く端末が震えたので、すぐさま通話に出る。
「もしもぉ~し?」
『お前、今自分がどこにおるか分かるか?』
「おっきな窓がある部屋ねぇ。最上階から2つ下。噴水ショーやってるのが窓から見える方角にある部屋よぉ。……あ、因みにぃ、従業員がやたらと食事運んでるのを見たからぁ、あなたのお姫様がいるとしたら多分最上階よぉ?」
相模くんにとって有益であろう情報を最後に付け足し、ベッドから上半身を起こした。
『分かった。今すぐ行くわ』
「そ。まぁさっさと千端さん助けてわたしのとこ来なさいよねぇ。わたしだっていつまでもこんな部屋でじっとしてたくないしぃ」
『いや。チビは東宮に任せて俺はお前の方に行く』
「……はぁ?」
え、何。東宮さんと来てるわけぇ?
っていうかそうだとしても優先順位間違えてんじゃないわよ。
ふざけてるのか、この男。
「あなた馬鹿ぁ?先に千端さんを助けなさいよ。いいとこ見せるチャンスよぉ?」
『アホ言え。怯えとる幼馴染み見捨てて好きな女助けたところでええとこもクソもあらへんやろ』
「……怯えてるって何よぉ。あなたわたしのことそんなか弱い女だって思ってるわけぇ?」
『思とるよ』
ばっさり言い切られ、思わず言葉を失った。
『そらお前は計算高くて強くて肝っ玉据わっとるけど、いつ何されるか分からん状態が怖ない人間はそうおらんわ』
―――……ああ、そうか。この人は分かってる。
わたしがこの状況に実は少し怯えていることも、それが何故なのかも。
欲に満ちた男しかいないこの建物の一室に閉じ込められることで、わたしが超能力開発のために強姦された育成所での日々を思い出しそうになってしまっていることを分かってる。
だからこの男は……この愚かなお人好しは。
『待っとれ、死んでも助け出したる』
――恋敵にいいところを譲ってまで、わたしみたいな女を助けに来ようとしている。
わたしよりずーっと人間の汚い部分を知っていて、人の本音を読んできて。
荒んでもおかしくないくせに。
いつまでも、“良い人”なのだ、相模くんは。
「……わたし相模くんのそういうとこ嫌いだわぁ」
『何やねん、急に』
「そう言えばいっつもそうだったわよねぇ、あなた」
『あ?』
「弱者を助けたがる性分。誰かを守るために自分を危険に晒すタイプ。ったく、もっと上手に生きなさいよ」
育成所のことだって、自分1人で片付けようとしてた。
誰にも頼らず、自分だけを犠牲にしようとしていた。
そうまでしても、人を見捨てることのできない人間。
「……あなたみたいなのが居るからぁ、男も捨てたもんじゃないって思っちゃうのよねぇ」
柄にもなく安堵の涙が溢れてきたわたしに、相模くんは苦笑のような笑いを漏らしてから、通話の向こうで『そら悪かったな』と言った。
それから急に騒がしくなるまで、ほんの10分ほどだった。
部屋の外から「侵入者だ!」「捕まえろ!」「殺害許可も出ている!」と五月蝿く大人数が走り回る声が聞こえてきた。
暫くすればこの階にいる警備が殆ど下にいったらしく何も聞こえなくなり、数分静かな時を過ごした。
かと思えば、今度は「追え!追えー!」とまた大きな声がして、ドタバタこちらに大勢が走ってくる気配がした。
――――と、次の瞬間。
勢いよくドアが蹴破られ、長身の見慣れた男が息を切らしながらこの部屋に入ってくる。
急所ではないものの、何発か打たれている様子だった。
「丸腰で来るとかバカじゃないのぉ?武器くらい調達してきなさいよ」
「助けに来てもろて第一声がそれか、お前らしいな」
嫌みったらしく口角を上げた相模くんは、ちらりと部屋の外を見る。
銃を持った警備員たちが長い廊下を走りこちらへと迫ってきていた。
廊下は一本道だ。逃げられない。
「武器なしでどうするつもりなわけぇ?」
ここの警備員は一ノ宮さんに操られてるだけだから殺すわけにもいかないしぃ、かなりのピンチなんじゃないの、この状況。
まさかノープランとか言わないわよねぇ?という意味を込めた視線を送ると。
「しゃーない、飛び降りるか」
「は……?」
さも当然のように呟いた相模くんは、不意に部屋にあった椅子を掴んだかと思うと――――「耳塞いどけ」と言って思いっきり窓を割った。
ガッシャアアアアアンと大きな音を立てて窓ガラスが外へと飛び散る。
目の前に広がるのは、ガラスを通さないマカオの華やかな夜景。
極彩色のネオンが街を彩り、多くの建物がライトアップされ、遠くで噴水ショーが行われているのが見える。
夜空に人工の花が沢山咲いているみたいだ。
――――しかしその光景に見とれる暇もなく、相模くんが強引にわたしの肩を抱き寄せてくる。
「目ぇ瞑っとけ。行くで」
「え、ちょ、ちょちょちょちょ」
恐怖で僅かながらも抵抗したのだが相模くんの力には敵わず、そのまま突き落とされるかのようにしてわたしの足が床から離れた。
…………嘘でしょ……。
警備員がわたし達の部屋に入ってきたのはわたし達が飛び降りたのとほぼ同時で、幸いにも銃弾は当たらなかった。
でもこれはこれで命の危機だ。
相模くんに抱かれたまま身体が急速に落下していく。
こんなの助かるはずがない。
何階だったと思ってるんだこの男は。
怖すぎて悲鳴も出ない。
気を失いかけたその時、――――空中で相模くんがわたしの下になったのが分かった。
……まさか、こいつ。
「わたしを庇って死ぬ気じゃないでしょうね……?」
「何でやねん、んなわけあるか」
「じゃあ何よこの体勢は!庇う気満々じゃない!」
冗談じゃない。
相模くんを犠牲に生き延びられたって嬉しくない。
自己犠牲の精神も大概にしろ。
こうしている内にも落ちていく。
どうにかしなければ、そう思って焦るわたしに、相模くんが「アホ」と笑う。
「衝撃から守ろうとしとるんちゃうわ。風から守ろうとしとんねん」
は?と思ったその直後、下方から強い風が吹いてくるのが分かった。
遠すぎてよく見えないが、何とかその風の発生源がAランクの楓嬢であることを理解する。
その隣には、以前Aランク寮で見た大神とかいう男の子もいた。
落下速度が落ちる。
と同時に液体が下からわたし達を包み、落下に合わせて徐々に固くなってゆく。
地面にかなり近付いたところで周りの液体は完全に固まり、わたし達は固定された。
「…………仲間がいるなら先に言いなさいよねぇ……」
心底安堵したわたしは、心の底から溜め息を吐いたのだった。
《1:10 高層ビル最上階廊下》一也side
「東宮泰久と相模遊の侵入が確認されました。相模遊は先程瀬戸川麻里と共に逃亡した様です」
使用人からの報告を聞いた僕は、思いの外動揺していない自分がいることに気付く。
こうなる可能性を心のどこかでは予想していたのかもしれない。
――――「私じゃないよ……一也を助けに来るんだよ」
哀花様のあんな言葉を聞いたから、か。
それにしても、どうやってここまで来たんだ?
輸送場で足止めするよう市民に指示しておいたはずだ。
「目撃者によると、全員が一斉に赤子になった、と」
「……赤子?」
……あの人か。
一体誰に聞いてこの状況を知った?
泰久様があの人に頼み事をするとは思えない。
かと言ってAランクのあの男があの人と気軽に頼み事をし合えるような仲であるとも思えない。
「相模遊の侵入が先で、東宮泰久の侵入は後だったんだな?」
「はい、その通りです」
こちらが瀬戸川麻里を人質に取れなくなるよう、そっちを先に回収することにしたのか。
瀬戸川麻里に関しては、使い道など考えずに先に始末しておくべきだった。
そうすればこちらの居場所が漏れることもなかっただろう。
……まぁいい。
今は哀花様を連れて移動することが最優先だ。
僕の能力で操れるのは所詮人間。
人の力を超える攻撃力を持つ泰久様相手では歯が立たない。
居場所が漏れてしまった以上、ここにいるのは危ない。
「でき得る限り足止めしておけ」
最後にそう命令し、哀花様を運ぶため部屋に向かう。
ここは最上階だ。
この階まで上ってくる手段を無くしてしまえば時間稼ぎにはなる。
エレベーターを止めて非常階段を大量の人間で封鎖してしまえばこちらにはなかなか来られない。
泰久様が苦戦している内に僕たちは隠し通路を使って逃げてしまえば……なんて考えながら、哀花様のいるベッドまで足を運ぶと。
そこには呼んだ覚えのない一台のロボットと――――ロボットに運んで来させたらしい衣服に着替えている哀花様がいた。
手錠も足枷も首輪も外れている。
「何故……」
思わずそんな言葉が漏れた。
この部屋には超能力抑制ガスが充満している。
抑制剤だって欠かさず飲ませていたし、超能力なんて使えないはず……。
いや――哀花様の能力が以前の数倍も成長しているのか?
彼女の超能力はここ数年で――僕の把握し得ないところで、より強力なものになっていたと言うのか?
「何故って。もうすぐ泰久が来るでしょ?平気だってメッセージ送ってあるけど、私の怪我見たらさすがに一也が怒られちゃうかなって思って。そこは隠さなきゃね」
自身で身体のあちこちにある傷の手当てをしながら、クスクス笑う哀花様。
「……あなたは……いつでも逃げられたということですか?」
「さすがにいつでもってわけじゃないよー。ここで超能力を使えるようになったのはつい最近。この部屋の抑制ガスが一也に効いてないってことは、そうなるように調節されてるってことでしょ?抜け穴があるってことだ。私も一也と同じ超能力の出し方をすればいい。コツを掴むまで1ヶ月以上掛かっちゃったけど」
「何故、」
「何故すぐ逃げなかったのかって?」
僕の疑問を平然と言い当てた哀花様は、
「一也の本音をもう少し聞いてたかったからだよ」
意味の分からないことを口にし、妖艶に笑う。
「一也ってずっと私にあんなことしたかったんだ?言ってくれれば良かったのに。なかなかのハードプレイだったね~」
ケラケラ。場に似合わない笑い方ばかりする哀花様は、僕のいない間に十分な水分と食事を取ったらしく随分と元気だ。
「私ねぇ。セフレ作る時に決めてるルールがあったんだ。“私に恋愛感情を抱いている人はセフレにしない”っていうね。気持ちに応える気もないのに身体だけ許すのはどうかと思ってたから。……でも私は、ずっと一也にそんなことをしちゃってたんだね」
哀花様の声から、僕への怒りは感じられない。
嫌悪も感じられない。
「こんなことさせてごめんね、一也。あなたをこんな風にしちゃったのは、多分私だ」
そこには優しい響きだけがある。
「私は泰久が好きだよ。でも泰久と同じくらい一也も大切。それは恋愛感情じゃないけど、私は泰久と同じくらい一也のことも想ってる」
1ヶ月以上ずっと痛め付けてきたこの女は、もう僕のことなんて嫌いになっていてもおかしくないはずのこの女は、以前と変わらない真っ直ぐな眼差しを僕に向けて、
「一也がどうしても私を欲しいならくれてやる。求めるなら応えてやる。痛い思いしたって平気だよ。いくらでも好きだって言うよ。――あなたにそんな顔されるくらいなら、私は何をしてでもあなたを救いたい」
当然のように僕を救ってやりたいと言う。