深を知る雨
《1:30 高層ビル前》
久しぶりに外へ出た。
一也に連れ去られてから外気に触れる機会なんて滅多になかったけど、いつの間にか随分と暖かくなっているように思う。
いやあ、外の空気は素晴らしいねっ!と伸びをしようとした――が、
「いった!いたい!」
その前に遊にビシビシチョップされた。な、何故。
「おっまえはほんま……」
「なになになに!遊怒ってる!?機嫌悪い!?」
「こっちがどんだけ心配したと思てんねん。“一也が高級料理人に作らせた炒飯マジうまい”……こんなくだらんメッセージ東宮に送る余裕あるんやったら俺にも安否の報告くらいせえや」
「だ、だって遊まで勘づいてるなんて思わなかったしぃ……」
私から泰久に送ったメッセージを泰久から見せてもらっているらしい遊が超怒ってる。
楓と薫に目だけで助けを求めたが、この2人が助けてくれるはずもなく。
「まー、今回1番怪我したのは遊よね」
「さっき止血したばっかなのにまた打たれてるしな」
ま、まじか……。ここに来るまでにそんな苦労を。
「あんたが哀を誘拐なんてしなかったらこんなことにはならなかったんじゃないの?遊に謝んなさいよ」
楓がギロリと私の隣の一也を睨む。
「あなたに言われるまでもなく、そちらの方には後日改めてお詫びの品を送らせていただきます」
涼しい顔で答える一也に余計苛立ったのか、楓の眼光がより鋭くなった。仲悪いなーこの2人。
「あ、そうだ!じゃあオレ、遊と一緒にちょっとそこの治療センター行ってくるわ。マカオの治療センターって凄いらしいじゃん?」
日本にはまだ普及していないが、大中華帝国――特にマカオの治療センターは、BCランクレベルの治癒能力者が揃っており、ある程度の傷ならすぐ治せる。
実は結構な怪我をしていることをバレても困るし、遊と話したいこともあるしで他の皆には「そこで待ってて!」と言い遊を引っ張って近くにあった治療センターに駆け込んだ。
初めて入る治療センターで、遊と一緒に治療待ちの人々の列に並びながら、小声で話し掛ける。
「ごめんね、心配かけて。怪我までさせちゃった」
「……ええよ、別に」
およよ?あっさり許してくれたな。
素直に謝られるのには弱いのかな。いいこと知った。
「それで……報告なんだけど。結論から言うと、一也はスパイじゃなかった。私を拐った目的も、スパイってことがバレたからってわけじゃない」
一也は気付いていたのだ、私の目的に。
20歳になったあの日、私は自分が酔っ払った勢いで何を漏らしてしまったか、きちんと覚えている。
大中華帝国で死にたいと言った。
まさかあの言葉をきっかけにバレるとは思っていなかったが、一也はきっと私のあの発言のせいで大中華帝国で活動するようになったのだろう。
今後はうまく言いくるめて止めさせなければならない。
……私は最低だな。
――――「いやそれはない!それはないよ!一也そんなこと考えてたの!?ぶはは!」
平気な顔で、切り捨てるように嘘を吐いたのだから。
「――――……なら、売国奴は楓か薫で決定やな」
降ってきた衝撃的なセリフに思わず顔を上げると、遊は渋い顔をして続ける。
「言うたやろ。“出会った頃に”徹底的に読んどるって。あいつらがスパイ目的でこの軍に入った可能性は皆無にしろ、どちらかが――あるいは両方が、途中でスパイになった可能性はある」
まだそう決まったわけじゃ……と言い返そうとして、不意に随分前楓に言われた言葉を思い出した。
――――「遊は信用してる相手の心を読もうとしないわ」
……そうか、そうだ。
私はSランクだけじゃなくて、Aランクの端末も調べてない。
泰久たちが違うのだとすれば、次に疑うべきは総司令の娘である楓とAランク隊員である薫……。
里緒の記憶は遊がつい最近読んでるはずだし、里緒はスパイ候補から外せる。
でも、薫か楓のどちらかがスパイ、あるいは両方がスパイだったとして――動機が思い浮かばない。
「この軍に入った時は確実にスパイではなかったんだよね?楓も知り合った時は普通の女の子だったんでしょ?もしスパイだったとしたら、どこで繋がったって言うの?」
「……明確な動機があるとするんやったらそれは、8年前の軍事裁判に関係する気がするわ」
軍事裁判……薫のお兄さんが裁かれたっていう……?
でもそれじゃ、敵国と繋がるのはおかしくない?
寧ろ裁いた側の敵国を恨みそうなもんだけど……。
「あの2人の様子が明らかに変わったんは8年前や。佳祐が死んで不安定になってる時期に付け入られた可能性は十分ある」
8年前。終戦の年。私は軍にいなかった。
そこで何が起こったのか、当時の隊員たちが何を思い何を感じていたのかなんて知らない。
敗戦という狂った状況下では、確かに何が起こっていたとしてもおかしくはない。
「……遊さ、辛くない?」
「辛い?」
「楓と薫がスパイ疑い、って」
私だって泰久と一也を疑わなくちゃいけないって時はショックだった。
遊だって何年も前からあの2人と一緒にいるのだ。
いくら遊でも動揺しないわけがない。
「辛い言うたら、慰めてくれんの?」
少しも笑っていない遊と目が合う。
思わず黙ってしまったその時、
「次の方どうぞー」
順番が回ってきて、私たちは別々の部屋に別れることになった。
……珍しいな。
遊があんな顔で、あんなこと言うなんて。
考え込んじゃってんだろうなぁ。
……まぁ、動揺してるのは私も同じだけどね。
そりゃ遊の方が動揺の度合いは大きいだろうけど、私だって楓や薫のスパイ疑惑に何も思うところがないわけじゃない。
あいつら2人のこといい奴らだって思ってる。
最近一緒に過ごすことも多くなって毎日が楽しかった。
何で売国なんてしてるんだって思う。
どちらかが売国しているのなら、どちらかが私の敵になってしまう。
……覚悟を決めろ、橘哀花。
私は別に、馴れ合うためにここにいるわけじゃないんだから。