深を知る雨



 《12:55 廊下》



午前の訓練が終わり一人食堂へ向かっていた私は、何やら外が騒がしいことに気付いてグラウンドの方を見下ろした。

―――そこには、最近よく見る茶髪の男と、その周りを囲むガチムチ男達がいて。

……何やってるんだろう?薫の友達?

薫って遊以外に友達いたんだ……なんて失礼なことを考えながら眺めていると、急に男の一人が薫に殴り掛かった。

ず、随分激しいお友達だな。

薫も薫で男達に殴り掛かったり蹴り飛ばしたり、とても友達相手にするとは思えない行動を取り始めた。よく見れば男達は皆薫に向かって攻撃している。薫は一人でそれに立ち向かっているようだ。

薫はそれ以上したら死ぬってくらいの勢いで男達を倒していく。しかも楽しそうに。周囲は物怖じして立ち尽くしている。

「あーあー、薫に喧嘩売る奴とかこの隊にまだおってんなぁ」

どこから来たのか、不意に遊が私の隣に立った。

「あれが薫の本性やで。ああなったら歯止めきけへんねん。あいつら殺されてもおかしないやろな」

今まで関わってきたムカつく男とはかけ離れたその獣のような姿を、私は黙って見つめた。……薫じゃないみたい。

グラウンドの薫を見下ろす私に、遊は含み笑いをしながら聞いてくる。

「怖なったか?」
「怖い?何で?…薫なのに?」

そう問い返すと、遊は少しの間口を閉じ、ふう、と溜め息を吐いて言った。

「お前は知らんやろうけどな、あいつ、何度か隊の人間殺してるで」

遊の言葉を聞いて感じたのは恐怖ではなかった。ただ納得したのだ。だからこの隊の人間はAランクに脅えているのか、と。

「揉み消されるから表沙汰にはならんけどな。戦争を経験した軍人には有りがちなことや。人の生の価値が分からんくなるんは」

薫は8年前の戦争に参加してたのか。…多分、その頃は少年兵だと思うんだけど。

「…あの顔の傷、戦争の時できたのか?」
「まーそうらしいな。あの時代は少年兵やろうが何やろうが能力のある人間は前線で戦わされとったわ」
「……そうか」

気のない返事をして薫の方へ向かおうとした私の手首を遊が掴んできて、その大きさに少しドキッとした。

「…ほっそい手ぇやよ」
「……細くてもつえーし」
「女みたいやな、どこもかしこも」

“抱かれたい男ランキング一位”……以前小雪が言っていたことを思い出した。何となく理解できた気がする。遊には妙な色気がある。少しゆっくりした喋り方や気怠そうな動き、包容力のありそうな体躯が、女としての私を欲情させた。

……あー、確かに抱かれてみたいかも。女として出会ってたなら一回は押し倒してたわ。ってそんな場合じゃない。

「遊、離してくれ。オレ薫を止めに行くよ」

今ならまだ野次馬も少ない。目立つことなく止めるなら今しかない。

でも遊は離してくれない。それどころかより強い力で私の手首を掴み、低い声で言ってくる。

「…お前、何勘違いしとるん。自分やったら薫が手ぇ出せへんとでも思っとるんか?ちょっと話したくらいで仲良うなったと思うなよ。ああなった薫は俺でも止めれらん。殺されても知らんぞ」

悪いが、私は死なない。何があろうとこんなところでは死なない。

死ぬなら戦場だ。そう決めている。

「今薫が隊の人間を殺すことで周りに与える恐怖心は日本帝国軍にとってマイナスにしかならない。オレ達は仲間として結託しなけりゃならないんだよ。殺し合いぐらい戦争が始まりゃいくらでもできる。時期を履き違えて貴重な味方の戦力を削ろうとしてる薫の馬鹿さには呆れる。―――その馬鹿を放っておこうとするお前の馬鹿さにも呆れる」

そう言い放つと、ようやく遊の手の力が弱まった。私はすぐにその手から逃れ、廊下を走る。



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