深を知る雨
そんなある日、ジュノンはCIGIの長官に呼び出された。
滅多に顔を出さない長官が直々に自分を呼び出す理由なんて、ジュノンには1つしか思い当たらない。
きっと、最近ジュノンが自分で働いてないことがバレたのだ。
自分から他人に任務を押し付けているわけではなく、勝手に奪われているに近い――言い訳ならいくらでもできると思いながら部屋に入ったジュノンは、思わずその場で固まった。
(上層部勢揃いかよ……)
1つの部屋に、普段はお目に掛かれないような階級の人間が集まっている。
「やあ、ジュノン。座ってくれ」
長官が優しい声で話し掛けてきたことで、ジュノンは幾分かの安堵を覚えた。
しかし長官以外の人間は全員難しい表情をしている。
元からそんな顔だったような気もするが、妙に恐ろしく感じられた。
「お前は少々、ヤバい女と接触しているらしいねぇ」
デスクの上に数枚の画像が浮かび上がった。
それは、食事をしている優香とジュノンの写真だった。
どの写真に写る優香もカメラ目線なことに気付き、ジュノンはゾッとする。
優香は気付いていたのだ。
盗撮に気付いていて何も言わず、あんなにも平然と、自分と食事をしていたのだ。
「……申し訳ありません。処分は覚悟しています」
「いや、お前には寧ろこれからよく働いてもらう。こんな機会は滅多にない」
ジュノンは、掛けられた言葉が予想とは違ったため困惑しながら次の言葉を待つ。
「彼女はSランク能力者である橘優香でほぼ間違いない。日本帝国軍の大物だ」
「Sランク……?」
「と言ってもしっくり来ないだろうね。どこの国もSランク能力者の存在は隠すし、情報は極一部の人間にしか回らない。桁違いに強い超能力者だとイメージしてくれればそれでいい。因みに彼女はSランク能力者であるばかりか、“世界最強の”能力者だよ」
ジュノンは耳を疑った。
能力面で優香が自分より強いことは最初の時点で明白であったが、世界最強とまでは思えなかったからだ。
彼女は1人の女性であり、ジュノンの想像する世界最強の姿とは全く違う見た目をしている。
衝撃の事実を信じられずにいるジュノンに対し、上層部の人間はどうにかして優香から情報を得ることを命令した。
(優香から情報を……?本当にできるのか?優香のことを何も知らない僕に)
思い足取りで他のメンバーのいる部屋へ入ると、
「いやっほーお、ジュノン。君年上のおねーさんと付き合ってるらしいねえ?」
入った途端にからかわれた。
「……別に付き合ってるわけじゃない」
どうやら同じチームであるルフィーノ達にも話は行っているらしい。
ジュノンは荷物をソファに置きその話はやめろという意味で溜め息を吐いたが、2人のからかいは止まらない。
「写真見たけどめちゃくちゃ美人じゃん。最近ノリ悪いと思ったらこんなおねーさんと食事してたのお?」
「年上の女たぶらかすなんて、ジュノンもやるわねぇ」
「そんなんじゃないって言ってるだろ。何で日本帝国のSランク能力者なんかが僕に付きまとうのか不思議なくらいだ」
どさりと大きな音を立てて荷物の横に座ったジュノンは、疲れを癒すために冷たい水を飲んだ。
「まぁ真面目な話、日本帝国が今欲してるものと言えばあれじゃないかしら?ドクイツに売る最新兵器の情報」
エフィジオの言葉に、ジュノンは思わず「あ」と短い声を漏らす。
それは確かに、ジュノン達のチームにのみ与えられている情報だ。
いつドクイツに兵器を売るか、それはどのような兵器か――その情報は紙にも電子にも残らず、ジュノン達の脳にのみ記録されている。
(……そういうことか)
合点が行ったと同時に、ジュノンは少しの失望を覚えた。
CIGIの人間はどれほどの拷問にも耐えられるよう訓練されているし、敵に情報を与えるくらいなら自滅しろと教育されている。
そう簡単に欲しい情報は得られない。だから。
これまで優香が自分と仲良くしてきたのは、無理矢理にではなく自発的に情報を与えさせるためだったのだ。
(……やっぱり、あの女は敵だ)
ジュノンは、少しでも優香と過ごす日々を楽しいと思った自分を悔いた。
ジュノンが優香の正体を知った次の日にも、優香はジュノンの前に現れた。
合衆国の縮図であると同時に最も合衆国らしくない場所と呼ばれる巨体都市ニューヨーク。
ジュノンは言うまでもなく任務で足を運んだのだが、その日も優香は「先に始末しといたわよ~」といつものようにどこからともなく現れひらひら手を振ってくるのだった。
その日の食事は、意識していなければ見逃してしまいそうな程こじんまりとしたハンバーガーショップですることになった。
ジュノンは精一杯いつも通りにしているつもりだったが、優香からすればそうではなかったらしく、
「そろそろ聞いた?あたしのこと」
ハンバーガーを頬張りながらジュノンにそう聞いた。
「……あぁ」
「ふーん。じゃああたしのこと探れって言われたんじゃない?」
「……」
「これで君はあたしを放っておけなくなったわけだ」
計画通りだとでも言うように、ケラケラ笑う優香。
こうなることを狙って、優香はわざと自身の存在を隠すことなくジュノンの周囲を彷徨いていたのだ。
優香にはジュノンから聞き出したいことがある。
そして、その情報がそう簡単には得られないことを知っている。
だから多少遠回りをしてでも、確実な方法で奪おうとしている。
「この国のドクイツへの働きかけを知っていて僕に近付いたのか」
そうであると確信していながら問うジュノンに対し、優香は冷たい微笑みを返した。
「それ以外に何があると思ったの?」
聡いジュノンはすぐに理解した。
きっとこの女は意味のない行動をしない。
全ては目的があってのこと。
ジュノンへの好意なんて微塵もない。
優香を友人のように感じていたのはジュノンの側だけだったのである。
「……どうして僕だったんだ。メンバーは他にも2人いる」
「んー、それは、君を救ってあげたいと思ったからってとこね~」
「はぁ?」
「最初に言ったでしょう。可哀想な子は放っておけないって。えーっと、ルフィーノ君とエフィジオ君だっけ?彼らとは仲良いの?ちゃんと信頼関係築けてる?」
「……当たり前だろ。チームだぞ」
ジュノンには何故優香がそんなことを聞くのか全く分からなかった、が。
不意に優香はその顔面から笑顔を消し、ずっしりとした肉が挟まっているハンバーガーを1度置く。
「君、近々裏切られるわよ。残りの2人に」
「……は?」
「彼らとのお仲間ごっこはそろそろ終わりだわ」
「……何を根拠に」
「分かるのよ。ほら、あたしって天才だから?」
「怒るぞ」
「別に君が怒ったところで痛くも痒くもないわ」
とんでもないことを言っておきながら平然と食事を再開する優香を見て気分が悪くなり、ジュノンは「帰る」と短く伝えて立ち上がった。
優香はきょとんとしたが、すぐにクスクス笑い出す。
「青いわね~人を無条件に信用できる青さは貴重だけど、君の生きてる場所が一般的な世界じゃないことを自覚しておいた方がいいわよ。ああいう組織って人の感情をある程度捨てた連中が殆どじゃないの?寧ろ君みたいな人間臭い奴の方が珍しかったりして。あの2人は上から殺せと言われれば例え君でも殺すわよ。君はそうじゃないのかもしれないけどね」
「うるさい黙れ!」
ジュノンにとって、幼い頃から交流のある人間はルフィーノとエフィジオだけなのである。
血が繋がっていなくとも、兄弟と言っていい存在なのである。
そんな2人が自分を裏切るなんて、ジュノンには考えられなかった。
優香から情報を引き出せという任務も忘れてその場を立ち去ろうとするジュノンを、優香は止めなかった。
(裏切る?エフィジオとルフィーノが僕を?)
人通りの多いニューヨークの町を歩きながら、ジュノンが思い出すのはやはり先程の優香の言葉。
馬鹿馬鹿しいと思いながらもどうしても忘れることができない。
(駄目だ、あんな女の言うことに惑わされるな)
所詮優香は己の利益のために近付いてきたような人間なのだ、寧ろ優香の方が信用できない――そう自分に言い聞かせて、壁の落書きが目立つ路地裏に足を踏み入れた、その時。
――――唐突に、頭上にベンチが現れた。
「……っ」
反射的に念動力で弾いたものの、急だったことでかなり驚いたジュノンは焦って周りを見回す。
ベンチなんて頭に直撃したら怪我どころでは済まない。
それに今のは超能力による攻撃だった。
単にベンチを落としたのではなく、瞬間移動させたかのような。
比較的治安の良い路地裏を選んだつもりだったが、どこかから襲われたようだ。
すぐに人通りの多い場所へ出ようとしたのだが、振り返るとそこには、立ちはだかるようにして人が立っていた。