深を知る雨



ジュノンは自身の目を疑った。

そこに立っていたのは、この日ルフィーノと共にシアトルにいるはずのエフィジオだったから。

コツリと後ろからも足音がしたため目だけで後ろを確認すると、そちらにはルフィーノがいた。


「やっほーお、裏切り者のジュノン」
「まさかこーんな身近な人間を処分することになるなんてねぇ。ビックリだわ」
「……何言ってるんだ?」


ルフィーノとエフィジオの目は、普段ジュノンに向けるそれとは随分違ったが、ジュノンはその目をよく知っていた。

それは――――彼ら2人が、いつも殺害対象に向ける眼だった。


「おい、どうしたんだよ、何でそんな……」
「昨日の夕方、敵国の人間に情報売ったでしょお?ちゃあんと記録に残ってるんだよお?びっくりしたあ、まさかジュノンが二重スパイだったなんてねえ」
「そんなことするわけないだろ!第一昨日、僕はあんたらと一緒に、ッ」


言葉の途中でエフィジオから炎が飛んできて、ジュノンはそれ以上何も言えなくなる。

容赦ない攻撃だった。熱い。咄嗟に火のついた服を脱いだが、そうしているうちにまた炎が襲ってくる。


「証拠が出ちゃってる以上しょーがないじゃない。アンタの処分は上からの命令よ」
「待てって!僕は昨日、あんたらと一緒にいただろ!」
「さぁ?覚えてないわねぇ」
「……っ」


覚えてないはずがない。

昨日のことであるばかりか、記憶力のいい2人のことだ。

忘れたふりをしているとしか思えなかった。


(何で。何で何で何で何で何で。)


悲しいことに、思い付く理由ならいくらでもある。

ジュノンが死ねばジュノンの功績はチームのものとして残り、2人の地位は上がる。

上層部のお気に入りであるジュノンに対する嫉妬が蓄積したとも考えられる。

しかし、頭で理解できたところで納得できるわけではない。


(こんな、ところで……)


組織のために、仲間のために死ぬのは構わないと思っていた。

自分の死が国の利益になるようであれば、いつ死んだって構わないと。


しかし今、その組織や仲間、国が自分を殺そうとしている。


(――――死んでたまるか)


どうして自分が、自分を大切にしない連中を大切にしなければならないのか。

ジュノンは自分を念動力で動かして宙に浮き、猛スピードで逃亡を謀る。

その時タイミング良く雨が降ってきた。

激しい雨の中ではエフィジオの能力の効果が薄まるうえ、ルフィーノも瞬間移動できない。

2人が仲間を呼ぼうと通信機で連絡しているうちに、ジュノンは路地裏から出て人混みに紛れる。


逃げなくてはならない。

しかしジュノンには逃げ場が無い。

1度組織の裏切り者として扱われた以上地の果てまで追い掛けられるし、どう足掻こうが殺される運命にある。

世界の各地に支部を置くCIGIのことだ、海外逃亡しようが意味はないだろう。



ジュノンは雨の中、行く当てもなく走った。

ぱしゃんぱしゃんと足元で音が鳴る。

空がジュノンの代わりに泣いているようだった。


徐々に前もよく見えないほどの大降りになっていったが、それでもジュノンはびしょ濡れのまま走り続け、ついには躓いて地面に倒れ込んでしまった。

何処か切れたのか、血が雨水に滲んでゆく。


「……はは、」


ジュノンの口から乾いた笑いが漏れた。


死にたくない。

死にたくない。

死にたくない。

でも、逃げる術がない。


友人だと思っていた2人に裏切られ、二重スパイの汚名を着せられ死ぬ――そんなことは当然御免だが、たった1人で合衆国の巨大組織を相手にできるはずがないのだ。




―――――ぱしゃん。



空から1人の女が舞い降りた。

その女はオレンジ色の大きな傘を持っていた。


「まさか言った傍からこんなことになるなんてね」


優香はその傘でジュノンに当たる雨を遮り、


「立ってよ」


未だうつ伏せの状態で地面に倒れているジュノンにそう話し掛ける。


「まだ死にたくないでしょう?」
「……」
「そりゃ君にとってあたしは得体の知れない、信用できない女だろうけどね、溺れる者は藁をも掴むべきよ」
「……」
「まぁここで死にたいって言っても死なせてあげないけどね。あたしまだ君に聞きたいことあるし」
「……」
「君はまだまだ青いわ。1番信用できるのは利害関係であって思い出でも絆でもない。そして今あたしと君の利害は一致してる。君は死にたくないだろうし、あたしも大切な情報を持つ君に死んでほしくない。持ってる情報を全てあたしにくれるならあたしは君を全力で守る気でいるし、君に新しい人生をあげていいと思ってる」
「……“新しい人生”……?」


ジュノンは顔を上げ、地に手を突いてゆっくり上体を起こした。


「ふふ、気になる?でも今はゆっくりしてられないわ、追っ手がいるんだし。先に日本へ行きましょう。話はそれからよ」


優香はジュノンの手を引き、周りを確認しながら飛び立つ。

どうやら飛行能力も所持しているようだ。

優香の声音からは絶対的な自信を感じられる。

この女なら本当に自分を生かしてくれるのではないかと思う一方で、行き先が日本であることに対しジュノンは思わず声を上げた。


「――――駄目だ!」


他の場所なら構わない。

だがそこは駄目なのだ。

ジュノンだからこそ知っている。


「日本帝国は駄目だ。今日のうちに爆弾が落ちる。爆弾の名前はバッドボーイ―――新型の核爆弾だ。影響範囲はかなり広い。日本からは離れておいた方がいい」


その瞬間、優香の表情が強張った。

相手を凍らせられるのではないかと感じさせるほど冷たい目で、優香はジュノンを見下ろす。


「そんなものを、無関係の人間に向かって投下するの」


ゴミクズを見るような目で、お前も共犯だと言いたげな目で、ジュノンを見る。


「最低ね」


初めて優香に心の底から罵られた気がして、ジュノンは胸の辺りに酷い痛みを覚えた。


バッドボーイこそが、つい先日合衆国からドクイツに売られた兵器だ。人類そのものを脅かす殺傷能力を誇る。

しかし長年深く考えないことを強要されていた国家の駒ジュノンは、バッドボーイを日本帝国へ投下することが悪いことだと、優香のこの表情を見るまで知らなかった。


「あたしは勘違いしてたみたいだわ。戦争に勝てば、圧倒的な強さを見せつければ、世界は平和になると思ってた。……でも、そんなわけなかったわね。例え日本がこの戦争で勝ったとしても、平和が訪れるわけがない。……やっぱりこんな世界、1度崩壊すべきなんだわ」


優香がジュノンから視線を外したため、ジュノンからはぼそぼそと独り言を言う優香の表情が見えなくなった。

感じるのは、相当な殺気だけだ。


「いつ落ちるの」
「そこまでは分からない……」
「あぁそう。ならまだ落ちないことを願って1度日本へ行くしかないわね」
「は?」
「何、来ないの?欲しい情報は得られたし、捨てて行ってもいいけど」
「っ話聞いてたか?いつ核爆弾が落ちるか分からない状況なんだぞ?なのに日本へ行くのか?」
「日本国民への被害は出させない。あたしが守る」
「止められるとでも思ってるのか!不可能だ」
「できなくてもやるわ。あたしは軍人である前に姉でもあるの」


ジュノンの手を握る優香の力が、覚悟を示すかのように強くなる。



「――――――あの子のいる国に核なんて、絶対に落とさせない」




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