深を知る雨


部屋に入ると、優香は早速モニターに何らかの映像を流し始める。


「それは?」
「合衆国の飛行監視カメラの映像よ。さっき調べてたんだけど、どうやらこの子のいるチームが重大な機密を知ってるみたいでね。大人より子供の方がまだ変えやすいだろうから、利用しようと思ってるとこ」


先程クッキーを食べたばかりであるというのに、今度は煎餅をポリポリ食べながら椅子をモニターの前まで移動させる優香。

モニターには優香曰く重大な機密を知っている10歳ほどの子供が映っている。


「ドクイツを裏で支援してるのは合衆国よ。そしてこの子はCIGI所属の子供。うまくすれば情報を引き出せるわ」
「CIGIの忠実な犬がそう簡単に組織の情報を寄越してくるとは思えないが?」
「そーそー。だから、その忠実な犬から忠実さを無くさせるよう仕向けるの、これから」


上着を脱ぎながら、芳孝は優香の次の言葉を待つ。


「簡単なことよ。CIGIは裏切りに敏感な組織だし、疑惑が浮上した時点でアウト。この子が組織を裏切ったと見せかけて、CIGIにはこの子を敵と見なしてもらうわ。そしてこの子には、仲間に裏切られて自分は裏切り者に仕立てあげられたと思い込んでもらう」
「ほう?」
「CIGI内部にいる他の裏切り者の通信記録を彼の端末のものにしておいて、彼と近しい仲間たちからは、彼と過ごした楽しい時間の記憶を奪う。CIGIの風習として裏切り者はチームの人間が責任を持って殺すってのがあるから、彼は確実に同じチームの人間に殺されそうになるわ。そこであたしが助けるってわけ。どう?うまくいけばあたしはあの子の恩人になれる」


優香は本来ジュノンの恩人でも何でもない。

ただジュノンから全てを奪っただけなのだ。

全ては情報を得るために。

優香は、他者の人生に大きく影響を与えるようなことを、自身の目的のためならば平気でやってのける人間だった。


芳孝は久々の煙草を吸いながら、手元のオイルライターをカチカチして一言。


「悪趣味だな」


芳孝は優香の言った“似た者同士”という言葉に内心同意した。

目の前にいる女は間違いなく自分と同族だと感じ、少しの嫌悪感を覚えつつも優香はいないものとして時を過ごした。



長い時間モニターを眺めていた優香は、暗くなってきた頃にふと呟く。


「芳孝くんといると落ち着くわね」


そんな言葉で長かった沈黙を破られ、私服に着替えていた芳孝は横目で優香を見た。

優香は相変わらずモニターの方ばかりを見ている。


「どうせ誰にでも同じことを言っているんだろう」
「ふふ、そう思うってことは芳孝くんもこういう口説き文句使ったことあるんだ?やっぱ似た者同士よね~あたしたち。でも芳孝くんといると落ち着くってのは本音よ?沈黙が心地好い」


つまらない女だ、と芳孝は思った。

やはり隙がない。

言葉を嘘だとも本当だとも捉えさせない、得体の知れない不気味さがある。



優香は「また来るわね」と言って夜更けに芳孝の部屋を出ていった。

匂いに敏感な芳孝でも不快に思わない種の仄かな甘い香りだけが部屋に残り、芳孝は妙な心地で夜を明かしたのだった。



優香はその後もしばしば芳孝の部屋を訪れた。

芳孝が彼女を無理矢理追い出さなかったのは、彼女が他の女とは違い自分に好意を向けているようではなかったからである。

やっていることは過去に芳孝のストーカーだった女性の行動とほぼ変わらないのだが、決定的に違うのはその温度差だ。

優香は部屋に来ても特に芳孝に話し掛けることなく、ただいるだけ。

そのうち芳孝は優香がいることに違和感を覚えなくなった。

優香は芳孝の部屋に布団を持ち込み、そのまま夜を明かす日すらある。


「ずっと思っていたんだが、こんなことをしていたら泰久くんに怒られるんじゃないか?」
「え?何で?」


芳孝は、布団に潜り込みながら新作の少年漫画を読んでいる優香に当然の疑問をぶつけた。

しかし優香はきょとんとしている。

まさか説明が必要だとは思わなかったが、本当に意味を分かっていないようなので付け足した。


「君は泰久くんと交際しているんだろう?」
「あっら~?そんなことどこで知ったの?ひょっとしてあたしのこと気になって調べた?もー、芳孝くんってば、あたしに興味津々じゃん」
「調べなくとも耳に入ってくる程度には君たち2人は注目の的だ。Sランク能力者同士のカップルだからな。しかしそうなると他の男の部屋に泊まるのは問題なんじゃないか?一回り以上年上とはいえ、僕が男であることに変わりはない」


その言葉を聞いて「芳孝くんにそんな常識があったなんて驚きだわ……」と失礼なことに驚愕した優香は、けれど寝返りを打っただけで帰ろうとはしない。


「問題ないわ。芳孝くんの部屋ではただ泊まってるだけだし、あたしの浮気相手は別にいる。泰久だって知ってるわよ?泰久は浮気するあたしも含めて好きなの。個性として受け取ってくれてる」
「それは……なかなか珍しい類いの男だな」
「へぇ……“珍しい”って思うんだ。ひょっとして芳孝くんも彼女の浮気は許せないタイプ?意外。確かバツイチよね?奥さんとはどうだったの」


芳孝は自分の場合を思い出してみたが、例え浮気されていたとしても自分は何も感じなかっただろうと思った。

芳孝は人を愛するということを知らない。

子ができたから結婚した。

子を育てる妻を見ても愛しさを感じなかった。

子供にだって1度も愛情を注いだことはない。

芳孝はそういう人間だった。

浮気を許せる許せない以前に、配偶者に対して興味を持てない。

どこか欠陥のある人間には興味があるのだが、芳孝にとってそういう人間は単なる玩具であり、恋人にしたことはない。


「なーんて、愚問か。芳孝くんは誰かに執着とかしなさそうだもんね」


芳孝が答える前に1人納得したように頷く優香。

知った風な言い方をされるのが嫌いな芳孝は僅かに眉を寄せたが、優香は気にせず漫画の続きに目を向ける。


「……君はどうなんだ」


部屋に漂う優香の甘い香りを消すようにして煙草を吹かした芳孝は、初めて優香の内面に触れるような質問をした。

ぱらり。今では随分と珍しい紙の本を、優香が捲る。


「別に、怒ったりはしないわね。ただ別れる。相手の女性とトラブルになるのも嫌だし」


話を逸らされたように感じた。

確かに言葉を省いた分かりにくい質問ではあったが、芳孝が聞いたのは恋人の浮気を許せるのか許せないのかについてではなかったから。




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