深を知る雨
戦前もそうだったが、悩んでいる時は今でもよくたなべれすとらんへ行く。
だが、今回は今までで1番悩んでいるかもしれなかった。
薫か楓のどちらかがスパイだ。
それを分かっていても、事実を知るのが怖くて心を読めずにいる自分がいる。
スパイを特定すれば必然的に上に報告しなければならないことになる。
しかし報告すればどうなるか――それを考えると、どうしても気が揉めるのだ。
今まで通りに接することを心掛けているが、俺の変化にあの2人が気付くのも時間の問題。
早くしなければ――でもそうすることができない葛藤を胸に、たなべれすとらんに着いた。
店に明かりは付いていない。
出掛けとるんやろか、と思って残念だが帰ろうとした時。
「あんた、この店に何か用かい」
たまたま出てきていたらしいたなべれすとらんの隣の家のおばちゃんが俺に声を掛けてきた。
「あぁ、ちょっと食べに来たんです。店自体はもう営業してへんけど、たまに来たらまだ作ってくれはるから……」
「……そうか。あんたはまだ知らないんだね」
おばあちゃんは眉を下げ、言った。
「千代さんは亡くなったよ。今年の正月に」
「…………は?」
千代さんが亡くなったという事実には衝撃を受けた。
だがそれと同時に、その時期にも衝撃を受けた。
そんなはずはない。
だって俺たちは軍事パレードの少し前にも――――。
「……正月って、どういうことですか」
「どういうことって……。確か1月の3日だったかな。寿命だよ、寿命。漸く旦那さんの所へ行けたんだ」
返す言葉がなかった。
《18:10 軍事施設内》
「目立ちすぎではないでしょうか」
D、Eランクの合同訓練の後帰っていると、後ろから一也に話し掛けられた。
げっ……見つかるまいと思ってわざとあまり通らない道通ったのに、結局バレちゃったか。
今日の訓練は1人1人に課された仕事をそれぞれが自分のやり方で処理し、そのタイムを競い合うもの。
監督は一也だったが、私は全ての仕事を最速で終わらせ注目を浴びた。
さすがにわざとやっていることはバレただろう。
恐る恐る振り返ると、
「何を企んでいるんです?」
不機嫌さを隠さない一也が腕組みをしてそこに立っていた。
「だいじょーぶだいじょーぶ。一也が心配するようなことは何もしないよ」
嘘だけどね。
「……まただ」
「ん?」
「また、あなたが分からなくなる」
一也は相変わらずの無表情でこちらへ歩いてくる。
私が分からない、か。
自覚してるよ、分かりにくい人間だってこと。
分かられたら困るもん。
「目立とうとしているのは何故です?」
「だから、別に一也が心配するようなことは何も……、」
「僕は理由を聞いてるんです。心配するかしないかは理由を聞いた後で僕が決める」
逃げようとしたが手で行く手を阻まれ逃げられなくなった。
こ、これが俗に言う壁ドゥン!
……でもこれって隙間から出れるよね、と思いながらもう一度そっと逃げようとしたが、今度は足が邪魔をしてきた。くっ無理だ。
「いつまでも逃げられると思わないでください」
ナチュラルに私の手を壁に押し付けた一也はそのまま久し振りのキスをしてきた。
「ちょっと、ここ外だよ?」
「最近ろくに触れ合えていないじゃないですか。襲いたくもなります」
「こういうことはホテルでだなぁ……」
「僕たち2人同時の外泊は泰久が許してくれないでしょう?最近やたらと目を光らせてますからね」
「……何、じゃあ私の隠し事暴きに来たんじゃなくて、こういうことしに来たの?」
「いいえ?勿論あなたの口を割らせに来ましたよ?」
一也の手が服の中に入ってくる。
……成る程、“こういうやり方”で私に隠してることを吐かせようってわけか。
「変態め」
「……あ、もうスイッチ入りました。抱きますね」
「何で!?変態って言っただけじゃん!!ちょ、ちょちょちょアーーーーーーーッ!」
一也の餌になった私の絶叫が夕方の空に響いた。
:
「はぁ……。」
一也にしこたま抱かれた後何とか逃げ出した私は、とぼとぼ目的地までの道を歩いていた。
外で……するのは……初めてだったなぁ……。何事も経験だと考えている、エロのスペシャリストたる私が遠い目になってしまうよ。
にしても、ちょっとまずいな。そろそろ一也たちの不信感も増大してるはずだ。
いつまでもこの調子だと干渉してくるかも……。
うーんどうしたものかと考えながら、一也に見つからないよう裏道を通って抜けると、ばったり薫に出くわした。
「げっ」
私を見た途端嫌そうに目を逸らす薫。
げって何だよ。
こんなイケメンと遭遇したんだから嬉しそうにしろ。
文句の1つでも言ってやろうかと思ったが、その前に薫が疑問を投げ掛けてくる。
「お前どこ行くわけ?こっちEランク寮の方向じゃねぇだろ」
「ちょっとねー。でもちょうどよかったよ。途中まで一緒に行こうか薫くん」
薫は私の発言に首を傾げながら私の隣を歩く。
まだそう遅い時間ではないのに、曇ってるからか外はすっかり暗い。
「「もうすぐ5月か……」」
「……」
「……」
「真似すんじゃねぇよ!」
「薫こそハモってんじゃねーぞ!」
言い争いの勢いに任せて殴りかかりそうになったが、こんなところで体力を使うのも嫌なのでやめておいた。
「ったく…5月っつったら、ランク混合対決の時期だな」
「ランク混合対決?何それ?」
「お前何も知らねぇのな。毎年行われる超能力部隊のイベントだよ。勝ち抜き戦。ランクはごちゃ混ぜで、下位のランクの人間はハンデとして同じランクの人間と組んで戦っていいことになってる」
超能力部隊内部で戦って誰が1番強いか決める感じか。
多分運動会みたいなもんなんだろうな。
下のランクの人たちは勝つために仲間と色んな作戦を立てるだろうし、軍内部の仲間意識を高めるという意味でも有効なイベントだ。
「まぁ優勝は元から決まってるようなもんだけどな。東宮相手に1分持ったやつなんていねぇよ。……昔は1人いたらしいけどな」
……お姉ちゃんか。お姉ちゃんだな。絶対お姉ちゃんだ。
泰久に勝てる当時の日本帝国軍の能力者なんてお姉ちゃんしかいない。
「薫は出んの?」
「俺は相手の隊員必要以上に怪我させるから参加禁止になった」
「ぶはは!バカだ!」
「んだと?」
「何でもないで~す。里緒は出んのかなぁ」
「さぁ。まだ男に慣れ切ったわけでもなさそうだし出ねぇんじゃねぇの?」
そこで会話が途切れる。
もうすぐAランク寮だ。
私はこのまま中央統括所に行くから、ここで別れることになる。
「――――なぁ、薫」
私が立ち止まると、薫も立ち止まった。
ごめんな薫。
さっき薫も出るのかって聞いたけど、その答えは分かりきってるんだ。
薫は出ない。
……出られない。
「オレ、お前といられて楽しかったよ」
私の言葉から私の意味するところを察したのか、薫の顔から表情が抜け落ちた。
「あの時、ティッシュくれてありがとな」
「……あぁ」
「しかもあれ、柔らかティッシュだった」
「そうだな、俺は柔らかティッシュしか持たねぇからな」
軽口を叩いているものの、声のトーンがいつもの薫と明らかに違う。
「――いつ気付いた?」
「お前らがマカオにオレを迎えに来た日、遊の話聞いてよく考えて、割とすぐ気付いたかな」
「何でわざわざ、俺に気付いてるって気付かせた」
「最後の言葉が必要だろ。楓や遊に、何か言っとけ」
「……ばかだな、お前」
見つめ合って数秒。
ぽつり、ぽつり――――冷たい雨が降り始めた。
薫の手がこちらに伸びてきて、私の髪をくしゃりと撫でる。
「もう1人で泣くんじゃねぇぞ」
それは薫の私への、最後の言葉らしかった。