深を知る雨


薫や佳祐に相手をしてもらうことで、Eランクレベルだった楓の能力は急速に成長していった。

薫たちの所へ行く途中柄の悪い連中に絡まれても、1人でやり返せるようになった。

薫や佳祐は楓の成長に驚きながらも、それを静かに見守った。

夜、バラックの中で2人して寝転びながら、彼らは楓の話をした。


「楓ちゃんは凄いなぁ……。このままいけば薫にも打ち勝てるんじゃない?」
「ふざけんな、俺は負けねぇ」
「好きな子に負けるのは恥ずかしいもんね……?」
「は!?ばっ、違ぇよ!」
「ふふ……弟が年頃みたいでお兄ちゃん嬉しい」
「うるせぇバカ兄貴!」


寝返りを打って佳祐とは違う方向を向いた薫と、そんな薫を見てくすくす柔らかく笑う佳祐。


「でも、ちょっと心配ではあるよね……」


佳祐は暗闇の中ぼんやりとしながら言った。


「あのレベルの急成長だと、パワーは強くなってもコントロールが不安定になる。発動させるべき場所で発動できなかったり、暴走する危険性が高まる」


そこは薫も心配していた点だった。

今のところは問題はないようだが、ワンランクアップでも暴走する例があるのだ。

Eランクからあんなに強化していれば何か起こりそうなものだが……嵐の前の静けさのように感じられるほど楓の能力は安定している。



――1年後、ついに楓は学校の超能力ランク測定でAランクを記録し、前代未聞だと校内のみならず地域中で話題になった。

電子新聞にも特集され、楓は得意になっていた。

あの男より強くなったと。

今度こそ母を守れると。

2度とあの時のように、誰かにすがり付いたりする必要はない――そう安堵した、その日の午後のことである。

学校が午前で終わり、楓は部屋で食事をしていた。

男が家に来たことは分かっていたが、いないふりをして部屋に閉じ籠っていた。



しかし不意に、話し声がするのを聞いた。

男の声と、聞き覚えのない声が話をしている。

楓は珍しく客が来たのかと思い窓の外を見た。

超能力育成所のマークがついた、派手な車が一台、外に止まっている。

胸騒ぎがした楓はできるだけ音を立てないようにドアを開け、会話を盗み聞きした。


「我々超能力学の研究者は、超能力のランクは生まれつき決まっており大きな変動はしないと考えてきました。しかし彼女は何のプログラムにも参加せず、自らの努力でAランク能力者になった。実に興味深いことです。超能力は生まれ持った才能ではなく、努力次第で変わるとなると、この事実は我々の業界における大きなパラダイムシフトになります」


どうやら自分の話をしているらしい――楓は息を潜めて育成所の職員らしき男2人を見る。


「電話でも言いましたが、改めてお願いします。紺野楓さんのゲノムに関する全情報を提供していただけませんか」


思わず声が出そうになった。

何を言っているのかと。


「ええ、どうぞ」


あっさりとゲノム情報の入ったチップを職員たちに手渡す男を見て楓は、当然ながら酷く動揺した。


(どうして……あいつが、あれを)


2185年の日本帝国では、病気のリスクや体質の遺伝的傾向を知るため遺伝子検査を受けることが義務付けられており、その情報は国民一人一人が管理することになっている。

単体では医学的意味合いを持たない、個人の塩基配列を文字列で表しただけの情報や、その塩基配列に解釈を加えた情報、子孫に受け継がれるであろう情報――それらは分けて国に登録された後、1つのデータとして纏められ国民に渡される。


未成年者の場合は親が管理することになっている――――究極の個人情報であった。


まだ正式な楓の父親にはなっていないこの男が楓のゲノム情報の入ったチップを所持することは違法なのである。



思考が追い付かず呆然としてしまった楓は、育成所の職員たちが家を出ていった後、ハッとして部屋から飛び出した。


「……ああ、お前、いたの」


男はいつも通りの冷たい目で楓を見下ろすと、煙を吐いた。

高価な煙草を吸っているその姿を見て、どうせ煙草を買う金も母から取ったのだろうと思い、楓は気分が悪くなった。


「今の、何なのよ……」
「は?何?聞いてたんじゃねえの?」
「聞いてたわよ!今の、本当にあたしのチップなわけ!?信じらんない!どう悪用されるか……!」
「まーまーいいじゃねえか。かなり高く売れたんだしよ」
「……っ、そもそも、どうして、」
「――どうして持ってんのかって?あの女が俺に渡したんだよ、お前のチップをな」
「また脅したの!?」
「あ?脅した?ちげえよ、あの女自ら渡してきたんだ。お前があの女に何を期待してるのか知らねぇが、あの女は俺に惚れてる。お前より俺が大切なんだよ。ったく女ってのはほんと信用ならねェ生きモンだよなぁ。ちょっと満たしてやりゃ簡単に股開いて、実の娘の情報渡しちまうくらい盲目なんだぜ?笑っちまう」
「そんなはずない……!ふざけんな!あんな暴力振るわれてお母さんがお前を好きになるわけないじゃない!!」

「――――“オマエ”?」


ぎろり、と男が楓を睨む。

凄まじい威圧感に震えた楓は、今こそ使い時だと気を取り直して超能力を発動させようとしたが――できなかった。

次の瞬間、楓は横から頭を殴られた。


「ッ、」
「生意気言ってんじゃねぇぞクソガキ!誰に向かってそんな口利いてんだ、アァ!?」


倒れ込んだ楓の腹を、男は容赦なく蹴り飛ばす。


「お前は何か勘違いしてるようだから言ってやるけどなァ、あの女はああいう扱い方されんのが好きなんだよ」
「っは……?」
「お前の前で殴った後突っ込んでやったら濡れてんだぜ。天性の売女だよなぁ、あんな女なかなかいねェよ。ぎゃははははは!」


ぐらりぐらり、楓の視界が揺れる。


「やっぱテメェは少し痛い目見ねぇと上下関係がわかんねぇみたいだなぁ?」


男が炎を発生させる。

楓は必死に逃げたが、腕が焼けた。


「う、あ、ああッ……!」
「ぎゃははははは!分かったかクソガキ!親の言うこと聞かねェとこうなるんだぞ!!」
「五月蝿い!!あんたなんかあたしの親じゃない!!」
「いいや親だ!!親ってのは子供を管理して利用する権利のある連中のことを言うんだよ!!」
「そんなの親って言わない!!」
「じゃあお前にとっての親って誰なんだァ!?オマエの母ちゃんか?男に依存して娘のゲノム情報譲るような女か、あぁ!?」


今度は蹴り飛ばされ、楓は壁に叩き付けられて呻いた。


「っは、いいザマだなぁ。あの女の元旦那と似てキレイな顔してらぁ。ムカつくからその顔も焼いちまおうな?その辺の治療センターじゃ治せないレベルまで焼いてやるよ」


男は楓の髪を引っ張って顔を上に向かせた――――その時だった。



楓の中の糸が切れた。



楓本人ですら何が起こったのか分からなかった。

ただ耳をつんざかんばかりの轟音が轟き、意識が朦朧とし、体が熱くなり、気付けば凄まじい風が起こっていた。

溜まっていたものが大きな塊となって一気に身体中から放出されるような感覚だった。


――――目を開けた時、そこには男の死体が転がっていた。




「――…武さん!!」


帰ってきた母親が、顔を真っ青にして男に駆け寄る。

この男の下の名は武というのか、と、楓は虚ろな目で思った。


「お母さん、退いて……。“ソレ”、捨ててくるから……」


楓はふらふらと母親に近付く。


「まさか……あんたがやったの……?」


母親は泣きながら楓を見上げる。


「武さんになんてことすんのよ!武さん、武さん……ッ、わたしの武さん……!!」
「……お母さん、何言ってるの……?その男に何されたか忘れたの……?あんなに、あんなに殴られてたじゃない……」
「武さんはそうすることでしか自分を保てないのよ!!武さんにはわたしが必要なの!!武さんにはわたししかいないの!!」


そこで楓は、何故自分の学校の教師が母に電話した時、母が暴力を受けている事実を否定したのか分かった。

楓の母親はあの男に依存していたのだ。

娘がどれ程脅えようと構わないほどに。


  ――――「本当に愚かな子だ。あの女に似ている」


いつかの芳孝の言葉が、楓の耳の奥で響いた。


(あたしが、あたしが今まで、守ろうとしてきたものって、何だったの…………)


楓は泣きわめく母親を見下ろし、心が空っぽになった心地がした。




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