深を知る雨





戦況はとっくの昔から厳しかった。

日本帝国が敵国サイドとの圧倒的な戦力差に気付いたのは、戦争が始まった直後である。

各地で戦い、次々に負けた。

日本帝国の戦力の大部分は超能力者であり、次第に軍は超能力部隊に頼りきりな状態となっていった。

しかしそれにも限界があり、超能力部隊隊員の人数は徐々に減っていく。

真面目な上層部の人々は、戦いに負ける度1人、また1人と病み始める。


そんな状況下で行われたのが、戦争捕虜を利用した人体実験の数々だった。

超能力部隊の隊員たちがどのように能力を使えば人を一発で殺せるのかを探るため、彼らは数々の能力者と敵国の捕虜を準備し、様々な非人道的殺害方法を試した。

健康診断をすると伝え眠らせた捕虜から血を抜かせたり、臓器を傷付けさせたりした。

いかに迅速に人を殺せるかを競い合わされた能力者たちもまた病み始め、次々と自殺者が出た。


戦争は泥沼化して行き、日本帝国の最大戦力と言っていい橘優香が自爆した時、いよいよ上層部の人間たちは希望を失った。


敗戦後、敵国による軍事裁判が行われることとなり、彼らは人体実験を行った事実を隠蔽できないかと考えた。

そしてそれが難しいと分かると、誰かに罪を擦り付けることを計画した。

そこで選ばれたのが大神佳祐である。

“日本帝国の暴れ馬”と呼ばれる程加減を知らない佳祐なら、人体実験をしていても誰も疑わないと考えた。

上層部の多くが口を揃えて証言すれば、佳祐1人の言い分等誰も聞かない。

全ては計画的に行われた。

口裏を合わせ、証拠を用意し、自分達が罪を免れるため――ただそれだけのために、若き青年の命は失われた。


日本帝国軍の元総司令も死刑になったため、次の総司令を誰にするか、生き残った上層部の人々は話し合うことにした。

彼らは佳祐が裁かれた後暫くして、殆ど自身の罪を忘れていた。

誰も知らない罪は罪ではない。

我々の罪を知る者は、共犯者たちだけである――そう考えていたのだ。



しかし彼らの罪を全て知る男が、日本帝国軍内部にはただ1人存在していた。

その男の名前は紺野芳孝。

随分と性質の悪い、最も敵に回してはいけない男だった。


「モルモットがいたでしょう。貴殿方が人体実験をしていたあの部屋に、2匹」


芳孝は上層部の生き残りに対し、薄く笑いながらそう語りかけた。


芳孝は動物と会話する能力を持つ。

人間の知り得ない情報も、彼なら一発で分かるのだ。

上層部の人間は驚き、何か恐ろしいものでも見るかのような目で芳孝を見た。

芳孝はクックッと笑い、青ざめる老人達を正面から見据える。


「大神佳祐の人体実験の証拠に関して違和感を覚えましてね。少々現場を調べさせてもらいました」


パラパラと弄ぶように軍事裁判に関する資料を捲る音がする。


「人体実験の行われた日付が数ヵ所改竄されていますね。実際に実験が行われた日には、大神佳祐は大陸にいたはずだ」


これから総司令を決めようと意気込んでいたはずの会議室の空気が、一気に冷えた。


「貴殿方は余程頭の働きが悪いらしい。僕なら身代わりにするならもっと低レベルな隊員にしますよ。あれだけの能力者は、失うには惜しいのでね」


にこりと愛想良く笑う芳孝だが、その場にいた誰もが、悪魔の微笑みだと思った。


「あぁ、いえ。貴殿方が愚鈍なのは今回の戦争の動かし方からして分かりきったことでしたね。戦争下手もあそこまで行くといっそ清々しい」
「……紺野君。人体実験のことを、誰かに教えていないだろうね?」
「え?…っはは」


芳孝は声を上げて笑った。


「僕がこんな面白い事実を漏らさないとお思いですか?」
「……っ」
「――大神薫。彼の弟ですよね。1番に知らせてやりましたよ」


芳孝は煙草を取り出し、火をつけた。

彼は目上の人間の前では煙草を吸わない人間だった。


「可哀想に。貴殿方のせいで大神薫の人生は滅茶苦茶だ。一生憎しみと共に生きることになりますよ、彼は。軍を止めるかもしれませんね」
「君が言わなければ……!」
「ええそうですね。僕が伝えなければ大神薫は真実を何も知らず、憎しみを覚えず、時間と共に傷を癒し、戦争で家族を失った被害者の1人として今後の人生を送ることができた。無知は時に人を楽にする。僕は彼の心の平穏を奪っただけだ。しかしそれで貴殿方が僕を責めるのは間違っていませんか?そもそもの原因を作った貴殿方が、一体どの口で僕を責められるんですか?とんだ思い上がりですね。責任転嫁も甚だしい」


そこで煙草を吸った芳孝は、白い煙を吐き出した後、笑いながら一言付け足す。



「将来性のある罪無き青年の命を犠牲にして生き長らえた気分はどうですか、皆さん」


笑えないことに紺野芳孝という男は、正論を使って人を苛めるのが大好きな生き物だったのだ。




 :


「薫?どないした」
「んあ?」
「いや、怖い顔しとったから」
「別に。んな顔してねぇよ」
「あんま思い詰めんなよ。佳祐かてお前に笑とってほしいはずや」
「……そうだな」


薫はソファから立ち上がり、平気な顔で伸びをした。




唯一真実を知らされた薫は、8年間、そのことを傍にいる誰にも言わなかった。

楓には特に悟られないようにしていた。

楓が佳祐を慕っていたことを知っていたし、憎しみが憎む人間それ自身を苦しめることを十分に分かっていたからだ。


薫だけが苦しい日々を過ごした。

薫はその苦しみを誰かと共有することだけは絶対にしたくないと思っていた。

こんな思いは自分だけが知っていればいいと思っていた。


楽しそうに笑う薫が裏でずっとどんな気持ちを抱えていたのか、楓や遊は知らない。

日が経つにつれ、薫の憎しみが比類無きものとなっていったことも、2人は知らない。




大神薫と橘哀花は似た者同士である。

一方は兄を、もう一方は姉を亡くし、同時に幼馴染みにも言えない秘密を抱え、今日まで生きていた。



もうすぐ再び戦争が始まる。

タイムリミットはすぐそこまで来ている。



1人は復讐のため動き始めた。

ではもう1人は。

もう1人の選ぶ道は、何処へ向かう物なのだろうか。




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